「くっ……」
 アスカは鏡に映る自分の顔に嫌悪した。
 なんと余裕のない顔をしているのだろうか? 自信のかけらもみられない。
 トイレの中だ。外にはシンジを待たせている。
 アスカはばしゃばしゃと顔を洗った。
(なにおびえてんのよ!)
 叱咤する。
 自分自身を。
(うかれてたんじゃないの? 力がなんなの? あたしはそんなことに関わってくために来たんじゃないでしょう!?)
 確認する。
(あたしはどうしてこの街に来たの? シンジを追いかけてきたんでしょう? あやまりたかったんじゃなかったの? 許してもらいたかったんじゃなかったの? 許してもらっていったいどうするつもりだったの!)
 記憶を順にさかのぼっていく。
 中学時代の、みなを扇動していた自分。
 そんな自分をさけていたシンジ。
 小学校時代の泣きそうなシンジ。
 冷たくうっとうしいと遠ざけていた自分。
 ──その遥かな以前。
(あ……)
 ぽろりと……アスカの目から、涙がこぼれた。
 幼い自分が走っていく。その後をシンジが追いかけていく。
 二人はまぶしい光の中に駆け込んで……。
 ぽたりと滴か髪から落ちた。
 顔を洗っていた水に混ざって涙も落ちた。
(そっか……そうよね)
 単純なこと。
(好きだったんだ)
 シンジと同じように。
(あたしもシンジが好きだったんだ。なのに)
 とても嫌なことをするようになった。
 それくらい勝手に嫌った。
 シンジが泣きそうだったのは何故だろう?
 好きな子に嫌われたからに決まっている。
(全部アタシの身勝手だった)
 そのことに気が付いた時には遅かった。
(シンジはあたしをかかわりたくない人間にしてた)
 ……それに気が付いた時、理不尽にも激怒した。
 だからますますいじめてやった。
 無視するなと思った。
 無視されるのは嫌だった。
 かといって馴れ馴れしくされるのも嫌だった。その理由は今ならわかる。
(あたしは同情なんてされたくなかった。でも、シンジがいなくなるのも嫌だった)
 その両立ができなかったからこその錯乱であったのだと位置づける。
「勝手な話ぃ……」
 アスカはくすくすと笑い始めた。
 なんてむしのいい話かと思った。
 勝手に嫌って、勝手にうっとうしいと邪険にして、勝手に昔を取り戻したくなって。
「あたしは……」
 鏡の中の嫌な女を睨みつけた。
「資格とか、そんなの知らない」
 顔を拭くものがないので、袖口でぬぐった。
「も……いい。忘れた。そんなの」
 幸いシンジも気にしなくなっている。
「あたしはあの時に戻るの。あのころのあたしとシンジに戻るの。それが最初からの夢だったんだから、あたしはそのためにシンジを好きになる」
 好きだから……ではなく、好きになる。
「好きでいる」
 アスカは鏡の前から身を翻した。
 しかし鏡に映っていた彼女の影は、ほんのわずかに立ち去るのが遅れ……。
 その口元は、なにかいやらしすぎるものによって歪んでいた。


 ──お待たせ!
 そういって出てきたアスカの元気さに、シンジは不自然さを感じてはいた。
 口に出すことはなかったが……。
「で、どこにいくの?」
「学校」
「学校?」
「そうよ! ノート取りに行くの」
 ノートとは文房具のノートではなく、授業用の端末のことである。
「あんなの取ってきてどうすんのさ?」
「あんたばかぁ? あたしもこうなっちゃお終いだしね? せめて勉強ぐらいはできるようになんないと」
 ただでさえ学力が落ちてんのにとぶつぶつという。
「今更ガリ勉なんてねぇ……」
 ふぅんとシンジ。
「まあガンバってよ」
「あんたねぇ」
 ジト目で見る。
「あんただってねぇ、いつあたしみたいになるかわかんないんだから」
「っても、僕は一度そういうの経験してるしね」
「ああ……前に一回あったっけ」
「うん。まああの時はまだ余裕あったし、どうにでもなるかって感じはあったんだけどね」
 それって……とアスカは剣呑な視線を向けた。
「あたしの歳だと後がないってこと?」
「ないじゃないか」
「あんたねぇ!」
「だって! 今から大学だなんていったって、もう浪人するしかないじゃないか!」
「まだ一年ちょっとあるじゃない!」
「それでなんとかなると思ってるのが甘いんだよ!」
「なんでよ!」
「サボリ癖」
 アスカはぐぅと唸った。
 ほらみろとシンジ。
「今更まじめにやろうったって、集中力が続くもんか」
「なんであんたこういう時だけ強気なのよ」
「アスカにならってるだけだよ」
「そんなよけいなとこばっかり見てないで、他にもっと見る場所があるでしょうが!」
「見るって……」
 アスカはシンジの視線に気が付いて、胸を抱いて一歩下がった。
「どこ見てんのよ! エッチィ!」
「あ、アスカが見ろっていったんじゃないか!」
「あたしは笑ってるとこか、仕草とか、そういうのを見ろっていってんのよ!」
 ばかぁっと本当に真っ赤になる。
「なんであんたってそんなにエッチなのよぉ!」
「なんだよもぉ……前は自分からそういうのいって来てたくせに」
「前は前! 今は今!」
「そんなのわかんないよ」
「前は……その、まだ子供だったからわかんなかっただけよ!」
「具体的に想像できてなかったってこと?」
「そうよ!」
「ふうん……」
「なによ?」
「じゃあいまはわかるんだ?」
「ばか!」
 ガンッと一発。
「いったぁ……だから殴るなよなぁ!」
「そういうデリカシーのかけらもないこというからでしょうが!」
「デリカシーなんて言葉使ってるような人にはいわれたくないね!」
「なんでよ!?」
「神経古いから」
 シンジはもう一発殴られた。


「あ〜〜〜そりゃシンちゃんが悪いわ」
 ベッドの上である。
 レイは横になったままだった。おなかの上に雑誌を開いたまま乗せている。今週分の少年漫画誌だった。
「なんだよ、レイまで」
「シンちゃんって……ほんっっっっっとに間が悪いよねぇ」
 雑誌の上に右手を置く。心地よい圧迫感をおなかに感じるのか頬をゆるめた。
「それともあたしたちの方がませてたのかな? やっぱり女の子の方が早熟なのかもね」
「どういうことさ?」
「だからぁ……やっぱり一番興味があったのって中学生のころだったもん。でもシンジクンってぜんっぜんそっちのこと避けてたし」
 まあいろいろあったからだろうけどと付け加える。
「でもね。その分だけ熱が冷めて落ち着いてくるのも早いのよね。あのころはそっちのことばっかり考えちゃったりして転がってたけど」
「転がってたんだ」
「そりゃもうウキャウキャと」
「…………」
「でもほら」
 赤くなってごまかしにかかる。
「だんだんそういうことばっかり考えててもムナシイなってね? 飽きてもきちゃうし。そうやってるうちにあたしなにやってたんだろとか、ばかみたいとか思っちゃって」
「レイも?」
「ううん? あたしは全然オッケーだけど?」
「…………」
「いまからする?」
「いいいいいよ!」
「胸くらいいじらせてあげるのに……」
「どうしてそういうこといえるのさ?」
「そうやって遠慮するのがわかってるから」
「…………」
 レイはくすくすと笑った。
「ほら……冗談になっちゃってだめじゃない」
 シンジはぶすっくれて膝の上のほおづえをついた。
「悪かったね……」
「拗ねないでよ。ほんとにさせてあげるから」
「そういう冗談はもう……」
 シンジは最後までいえなかった。
 強引に手を取られたからだ。支えから外された顎がかくんと落ちる。手は横向いたレイの胸もとにあてられていた。
「レレレ、レイ!?」
 ベッドの端に丸まるようにしてレイは笑っていた。
 シンジは半ば引っ張られた状態のままで硬直した。
「ちょっとやめてよ!」
「それあたしの科白なんだけど……いやなら突き飛ばせば?」
「そんなことできるわけないじゃないか!」
「胸つかんじゃうから?」
「そうだよ!」
「ようするにさ」
 レイは解放してやった。もぞもぞと動いて元の位置に戻り息を吐く。
「シンジクンって雰囲気ってものを理解してない。こっちだってこういうこというのもするのもちょっとドキドキしてるんだから、もうちょっとまじめにドキッてしてくれたらいい雰囲気になるのにね。慌てちゃってどうしようって感じだから、こっちも続けられないし」
「だめなの?」
「だめだめ。ぜんぜんだめ。だからアスカだって怒るんだってば……わかんない?」
 首を傾げているシンジに絶望的な感じになる。
「あのねぇ……こっちが期待してるのに肩すかしを食らわせる。そのくせこっちがぜんぜん考えてない時にそういうこという。それじゃあ気持ち的に盛り上がれないじゃない」
「そういうことかぁ……」
「そうそう。なんでもないときにいきなりキスを迫ったりしたら、やっぱりなんだよってひくじゃない? でもちょっとでもそういう感じがあったらね? うん……って、まあいっかって盛り上がれるじゃない」
「……僕に空気を読めっていうのは無理だよ」
「そうなんだけどね……」
 なんでそう不器用かなぁとレイは思った。
「だったらちょっとズルしちゃえば?」
「ズル?」
「そうそう。力使って読むとかさ?」
「チカラ……」
 ん? っとレイは不思議に思った。
 それはシンジが、変に辛そうにしたからであった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。