レイの病室を辞したシンジは、ミサトの部屋へと向かっていた。
 といってもミサトの別荘である。別名牢獄だ。
 ミサトは謹慎をいいつけられていた。周囲にはどうであれ、上司は本当のところを知っている。
 少しは反省しろというのだろうが……彼女もまたリックと同じような部屋に放り込まれていたので、効果があらわれるかどうかは懐疑的だった。
「うわぁ……」
「なによぉ」
「あんたもうちょっとなんとかしなさいよ」
「ほっといてよ」
 ふんだとミサトはビールをかっくらった。
 着ている物は紫のキャミソールである。下着は黒だ。部屋の中は中央が一段沈む形になっていて、その段差がそのままベンチになっている。
 ミサトはそこに座っていた。足下にはビールの缶が転がっている。
「ほかにすることないの?」
「謹慎中のあたしに情報が回ってくると思ってんの?」
「そっか……」
 アスカは空き缶を避けるようにして回り込み、ミサトの対面、ガラステーブルを挟む形でこしかけた。
 荷物は自分の脇に置く。
「……それでやけ酒やってるわけだ」
 そうよとミサト。
「寝るか呑むか、他にやることなんてないのよ。ほんと……謹慎なんて食らうもんじゃないわ」
「ふうん……」
「なによ?」
「ううん……そんなに呑んでるわりに、目がぎらついてるなとおもってさ」
 鋭いじゃないとミサトは笑った。あまりよい笑い方ではなかった。
「だめなのよねぇ……地下で見たもののこととかが頭から離れなくてさ。夢にまで見るの」
「木みたいなやつを見たって?」
「ええ。あれがなんだったのか。碇さんがなにを知ってるのか。ネルフはあれをどうしようとしてるのかってね? 考え出したらきりがないのよ」
「それで酒か……」
「でもぼんやりとしながらだし、一人酒だしね。どうしてもちびちびやっちゃって」
 気が付けばこの有様よと、ミサトはまた一つ空き缶を作った。酔うというペースでは飲めないのだ。
「で、なんの用なの?」
「ああ……どうせ暇だろうと思ってさ」
「はん?」
「勉強みてもらおうとおもって」
「勉強!?」
「うん」
「アスカが、あたしに!?」
「なによぉ? あたしが生徒じゃ不満だっての?」
「じゃなくてさぁ……あんた一応へたすりゃ学年主席の英才じゃない。なんであたしなんかに」
 それも過去の栄光なのだとアスカは肩をすくめた。
「このところこっちのことでかかりきりだったじゃない。それに学校っていわれてもさ。あの学校って全国平均でいっちゃえばレベル低すぎだし」
「まあねぇ……カンニングし放題の連中相手にテストなんて無意味だし。ほとんど自主性に任せるしかなかったもんねぇ」
「そういうこと。それにミサトって一応最高学府出てるじゃない」
「最高学府?」
「東大」
「東大っても第2東京大学よ? 最高学府だっていわれてたのは前世紀の東京にあった大学のことじゃない」
「違うの?」
「ぜんっぜん」
「そっかぁ……でも東大ってなんか言葉のイメージが」
「まあ大学出てるのは確かだけど……」
「それだけじゃないでしょ?」
「あん?」
「もともとネルフってゲヒルンっていう研究所だったんでしょ? その研究所って馬鹿でも入れるわけ?」
「そりゃまあねぇ……それなりの学歴は必要だったし」
「ふるいにかけられても残るくらいには勉強してたわけだ」
「まあねぇん」
「だったらさ……高校の授業内容くらいなんとか」
 ちょ、ちょっと待ってよとミサトは焦った。
「そりゃそうだけどさ。でももう何年前のことだと思ってんのよ? そんなの覚えてるわけないじゃない」
「だいじょうぶだって」
「あんたねぇ……」
「やってる内に思い出すって。理数系はリツコさんにでも頼むから、英語くらいは面倒見てよ」
 ミサトは大げさに嘆息して、まあそれくらいならと安請け合いした。
 ──そして三十分ほどして、シンジはアスカにどやされて泣いているミサトを見てしまったのだった。


「なにやってんだか」
「ミサトが悪いのよ!」
「ちょーっとからかっただけじゃない」
 ミサトは涙目になって頭を庇ったが、尻には先端に三角形の突起物の吐いた尻尾が生えて見えていた。
「あたしが教えてほしいっつったのは英語だっての!」
「だから英語で教えてあげたのに……」
「なにをですか?」
「保健体育」
「…………」
「あんたもう十七でしょう?」
「まだ十六よ!」
「げっ、それでまだなの!?」
「なにがよ!」
「シ〜ンちゃあん……なにやってんの?」
「なにって……」
「ミサト!」
「それで情緒不安定なのか」
「ちーがーうーっつってんでしょうが!」
「へ? じゃあシンジ君に迫られたりしたくないんだ?」
「そういうこといってんじゃなくって!」
「どぉんシンちゃん? あたしで手ぇうっとかない?」
「はぁ?」
「ミサトぉ!」
「気持ちのいいこといっぱい知ってるわよん?」
 そういって人差し指と親指でリングを作り、口元ですこすことこする素振りを見せる……が。
「はん! あんたの腐れマ○コなんてどうせ鼻が曲がるほど臭いに決まってんだから!」
「なんてこというのよ!?」
「やる気!?」
「やったろうじゃない!」
 はは……っとシンジは空笑いをして逃げることにした。
「じゃ……じゃあアスカ、勉強ガンバってね?」
 聞こえていない様子だった。しかしミサトはちゃんと聞いていたようだ。
 シンジがいなくなった途端に、様子を変えた。
「だめか」
「ちょっとミサト!」
「ああ。ごみん。ちょっとからかっただけよ」
「はぁ!?」
 やり場のない感情が空回りする。
「どういうことよ!」
「シンジ君の様子、変じゃない?」
「は?」
 ミサトは腰掛けると、新しいビールの栓を抜いた。
「おかしいじゃない……どう考えたってさ」
「どういうことよ」
 缶に口を付けつつ、その陰に隠すようにしてアスカを見やった。
「わからないの? あの子、コダマさんをなくしたばっかりなのよ?」
「あ……」
 冷水を頭からひっかぶらされたように、アスカは急激に冷静になった。
「そっか……そうだっけ」
 トンと底の音を立てて缶を置く。
「本当ならこんな話につきあえるはずないじゃない。相当親しかったんでしょ? 二人って」
 アスカはぎゅっと唇をかんでうつむいた。
 髪がわずかに上下に動いた。頷いたらしい。
 ミサトはいたましいものを見るような目をしてあわれんだ。
「……あたしもね、そういうことがあったから」
 なにをいうのだろうかとアスカは顔を上げた。
 そして後悔した。
(ミサト?)
 ミサトは自分の世界に浸っていた。はかなんでいた。
「……あたしも親しかった奴がいたの。ま、いろいろとあって別れたんだけどさ、その時の別れ方が最悪でね」
「どんな?」
「嘘吐いちゃったのよね……好きな人ができたって」
「どうして?」
「他に言い訳が見つからなかったから」
「じゃなくて、どうして別れようなんて思ったの?」
 ミサトは優しく微笑んだ。
「怖くなったから。優しすぎたから。だから怖くなったのよ」
「優しいから……怖い?」
「だってそうじゃない?」
 ぐびりと缶をあおり、液体を飲み下した。
 それからミサトはげっぷとともに吐き出した。
「……好きってね、基本的には重荷なのよね。好きっていわれればいわれるほど、どう答えればいいのかわからなくなるの。あたしはほんとに返せてるのかな? この人の気持ちにむくいてるのかなってね? そう考えた時にあたしがどれだけわがままで、身勝手に付き合わせてるだけなのかってのが見えちゃったのよね」
「だから逃げたの?」
「そうよ」
「好きだったのに?」
「そうよ。あっちもあたしのことが好きだったと思う。でもあの時のあたしはその内めんどうだって思われて捨てられることになるんじゃないかって怯えてた。だから逃げ出したくてたまらなかったの。それで逃げた」
「酷い女ぁ……」
「そうね」
 くすりと笑う。
「それでも……相手がもうちょっとだけいい加減な人だったらって思ったこともあったわ。そうならあたしはその人の気持ちにやきもきできたかもしれないもの」
「そうすればのめりこめたのに?」
「ええ……でもあたしにあいつの気持ちは重荷だった。気持ちを押しつけられたって堪えられなかった。あたしにはどうしても受け止めきれなかった」
「ミサト……」
「まったくね……あたしも贅沢だったわ。だったらって甘えてても好かったのにさ」
 きっとあいつは許してくれたのに──そんな風に愚痴ったミサトに、アスカはシンジはどうなのだろうかと問いかけた。
「シンジ君はね」
「うん……」
「間違いなく『見放せない』タイプでしょ?」
 だからだとミサトは言った。
「忘れられるはずがないもの。コダマちゃんとのこと。キスをしてたならなおさら。その先のこともしてたのならもっと忘れられないはずよ? あんな話をしてたら思い出しちゃって辛くなるはずなのに」
 ──笑っていた。
「ねぇ……アスカ」
「なに?」
「シンジ君って……弱音を吐いてくれること、ある?」
「うん……」
「そっか」
 ミサトはならまだ大丈夫かなと笑った。
「ちゃんと聞いてあげるのよ? 男ってのはどうしようもない生き物なんだから!」
「はぁ?」
「見栄っ張りなくせに誰かわかってくれないかって思ってるのよ! 甘えたがってるの。でもそんな都合の好い女なんて……あたしたちの場合男だけど、王子様とかお姫様ってことでしょう? 空想の中の妄想! 都合好すぎぃな具体像! それを口にするのが恥ずかしいから、勝手に決めて勝手に行動して勝手に傷ついて勝手に泣いて勝手に甘えに戻ってくるのよ! ったく! だったら最初っから話せってのよ!」
 アスカは、一体誰のことを思いだしているのだろうかと考えて、加持さんなのかなぁと首を傾げた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。