ミサトとアスカを心配させながらも、シンジはよかったと胸をなで下ろしていた。
「ミサトさん元気そうだったな……レイもなにかあったってわけじゃないみたいだし」
アスカのように酷いことになっているのではないかと心配をしてはいたのだ。
思ったよりも普通に会話できたことからも安心していた。もし下手に『あの時』のことについて意識されていたら、今度こそ顔も見れなくなってしまっていたかもしれない。
「感情を読めか……できるわけないじゃないか」
それをコダマに教えてどんなことになったのか?
嫌悪する感情がそこにはあった。だから使おうと思ってもその力は現れないだろうと考えていた。
力の現出は意志によるところが大きいのだ。なら嫌悪が先立ってしまった場合は、形になる前に壊れるだろう。
(アスカには悪いけど)
場合によってはこの世界を捨てる。シンジはその覚悟を決めていた。
この世界には好きな人たちがいる。それがこだわりのすべてだった。だからこだわる理由がなくなったのなら捨ててもいいのだ。
「他人と同じ生き方なんてする必要がないのと同じくらい、僕はどうでもいいって思ってるんだな」
それもまたエヴァによる価値観の変動だった。
生きていくだけならゲームも音楽もテレビもいらない。友達でさえも必要がない。
この街にこだわるのは知り合いがいる。それだけだからだ。その知り合いにもうとましく思われるようになったらば、きっと昔の自分が吹き出すだろう。
もういい。別にどうでもいい。
関わりを捨てて生きよう。そうする自分が蘇るだろうことは明らかだった。
その日寝る場所に、その日食べるものさえ手に入ればよいのだから、言葉さえなんとかできれば、どんな世界中でだって生きていける。
日本で生まれたからといって、日本で生きて日本で死ななければならない理由もどこにもないのだ。保護者がいないから、住所不定だから働けない。お金が手に入らないから飢えるしかない。食べてはいけない。暮らしてはいけない。
それは日本のルールであって、世界に出ればどうとでもできる問題でしかない。そして別の世界でなら、もっとどうにかできることだ。
言葉を覚えていけば、どんな土地でだって生きていける。
それくらい楽観的であったから、シンジはやれるべきことを探そうとしていた。
「強制サルベージだと?」
「ああ」
ゲンドウの執務室である。
コウゾウは聞かされた話に目を丸くしていた。
「そんなことができるのか?」
「わからん……が、シンジのいうことだ」
「彼の力はそこなしだというのか?」
「いや……自分でも無茶だということはわかっているようだった」
ふぅむとコウゾウは顎に手を当て、ゲンドウは背もたれに体をゆだねた。
「わからんでもないが……」
「だが理屈はあくまで空想の域を出んものだ。何一つ検証すらできん」
「地下の樹か」
「ああ」
体を起こす。
「あれはこの世界という名の空間のへその緒だ。それが神経のようにはりだしているものだ。確かにあれからなら裏側ともいうべき無形の空間に潜れるだろう」
「だが危険すぎる。そこは混沌の世界だ。われわれの命と魂の源が汚泥のように溶けている場所だ。我々の魂はそれらが固まって生まれ落ちることで誕生している」
「『闇』か」
「宗教的な概念で言えばそうだ。母なる闇だ。そこに飲み込まれたなら人の意識などもつものではない。押しつぶされて混ぜ合わされて消えさることになるだけだ」
「だがもしその形状を保っているとすれば? ユイのように」
「混沌の中で繭にくるまり眠り続けて?」
「可能性はある」
「だがシンジ君が生きて帰るという保証はないんだぞ!?」
ゲンドウはぴくりと眉を上げて見せた。
「はっきりといえ。怖いのだろう?」
「怖い? ああ、怖いとも」
深呼吸をする。
「もしもだ。この上シンジ君がそんなものとの接触を可能と証明したならばどうなる? 彼は生命の根元元素を自由に操れることまでやってみせるかもしれないんだぞ!?」
「まさしく神だな」
「おもしろがっている場合か」
「……最悪シンジが死ぬだけだ」
「碇……」
「ユイがついている。問題はない」
「だがそれも確認したわけではないんだぞ?」
ふんと彼は鼻を鳴らした。
「そうとしか思えないことが確認されているだろう」
ゲンドウは自信ありげにそう語った。
「確かにできるはずだけどね」
カヲルである。
シンジは彼の元に訪れていた。
「それでなにかあった時には、彼女たちのことを……というのは、僕には了解できないね」
「やっぱり?」
「それでは失敗するといっているようなものだよ。自殺するといわれても了解はできないさ」
ここはエヴァの格納庫である。今はなきゼロワンの倉庫だ。
なにもない……それだけに二人の声はよく響いた。
明かりは薄暗いライトのみである。そんな場所で、二人はゼロワンがあった場所を見上げていた。
「でも他に思いつかないんだよ……」
「わかってる。取り戻したい気持ちはね?」
「そう?」
「僕だってそうさ……僕の短慮さ故に失ってしまった命はいくつもあるんだよ。それを取り戻し、罪をなかったことにできるのならなんだってするさ」
「死ぬかもしれなくても?」
「このまま生きるよりはいいと思うよ?」
だからわかるよと彼は微笑んだ。
「どのみちこのままではネルフはなくなるからね」
「そうなんだ……」
「それはそうさ。月の調査と裏死海文書の解読。そしてエヴァの開発の意味があってゲヒルンが誕生し、ネルフは月の発掘のために作られたんだ。なら月の中心に達した今、ネルフの必要性はどこにもないよ」
「みんなはどうなるのかな……」
「なにも? この楽園のような世界で暮らして死んでいくだけさ。僕と君を除いてね?」
二人は目を合わせた。
「カヲル君」
「僕は君には届かなかったけれど、君に近い力は手にしているよ」
「わかってる」
「同じ生き物ではないかもしれない。同じところには立てないかもしれない。わかりあうこともできないだろうね。それでも同じ時を生き続けることだけはできるんだ。少なくともそういう存在がここにいることだけは忘れないで欲しい」
「うん」
「僕を一人にしないでおくれ」
頷いたシンジの肩に、カヲルはポンと手を置いた。
「約束だよ? 君は帰ってくるんだ。そして彼女たちを選ぶんだ。でないと月のプログラムは止まらない」
「……止めるためにもいかないと」
「プログラムに直接接触して書き換えるんだ。君にならできるとはいわない。でも挑戦できる人間は君だけなんだ。だから君が帰ってこない時には」
「この世は今まで通りに流れていくんだね?」
そうだよとカヲルは頷いた。
「どんなに最悪なことになったって、彼女たちが泣くだけのことさ。この世界は終わらない。新しい世界に飛べないと嘆くものたちはいるだろうけどね? それだけさ」
「うん」
「だから、安心していっておいで? 彼女たちだってこのままではコダマさん……だったかな? その人に勝ち逃げされたようで、とても後味が悪いだろうからね?」
「わかったよ」
迷いのない瞳でシンジは頷いた。
「必ず連れて帰ってみせるよ」
「頼んだよ?」
僕も話してみたいねぇ、その人と。
それがカヲルがかけた応援の言葉だった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。