「なにをするって?」
「だから……」
ことの大きさに動揺しているのはこちらも同じであった。
「あなたは見たんでしょう? 地下で」
「見た? たしかに見たけどね」
ミサトは唇を尖らせた。
「あたしには感覚的に怖いと感じられただけよ? それ以上のことなんてわかるはずないじゃない」
「でもそれが問題なのよ」
リツコは資料の山を、ガラステーブルにどさりと置いた。
端ではアスカがクッションを抱き、黙って聞き耳を立てている。
「地下のものについての資料が公開されたわ」
「このタイミングで?」
「というよりもいつもそう……裏死海文書の解読はある時を境にして常に事態を補足するようなタイミングで成功するようになってきてる」
「誰かが情報を意図的に抑えているのか」
「考えようによっては事件から得られているデータの数々が、虫食いになっている穴を埋めてくれているのかもしれないけどね」
でも──リツコは推論を持ち出した。
「もしかすると、裏死海文書には何も書かれていないのかもしれないわ。それがわたしたちの動きに合わせて、なにかを書きつづっていってるとも考えられる」
「誰かが?」
「じゃなくて……裏死海文書自体が」
「はぁ!?」
いい? リツコはしっかりと考えが伝わるように前置きをした。
「裏死海文書と呼ばれているものは巻物とされているけれど、世間で公開されている死海文書ですら写本に過ぎないのよ? なら現物ってどんなものだと思う? それも公開するわけにはいかないと隠されてしまった裏死海文書は」
「……本じゃない?」
「紙に書かれたものじゃないのかもしれないわ。わたしたちが勝手に本だと思っていただけでね」
「じゃあなんだっての?」
「たとえば……」
あくまで空想よと念を押す。
「予知能力者っていうのは、頭にぱっと浮かんだイメージを、自分の中にある語句を用いて書き出し伝えようとするでしょう?」
「大本はイメージを……その、脳とかに直接焼き付けるようななにかだったっていいたいわけ?」
「そう。今回のことで気分を悪くした子はみんななにかしらの声とか絵とか……アスカは夢を見たっていったわね?」
アスカはクッションの陰に顔半分隠したままで頷いた。
「だそうよ」
なるほどねぇとミサト。
「つまりかつてわたしたちのいうナンバーズに近い力を持った人間がいた。その誰かがあそこへいった」
「あるいは南極ね」
「エヴァそのものが隔世遺伝の結果発現されているものだっていうのは、もう疑いようのない事実なんだから、自然発生的にそういう人間が生まれ出ていたって可能性は否定できないわね」
「聖者とか、予言者と呼ばれたようなひとたちだったのかもしれない」
「ノストラダムスとか?」
「そんな眉唾物じゃないわ」
「んじゃだれよ?」
「……言明はさけるわ。とにかく裏死海文書と呼ばれているものは、実はわたしたちが思っていたような、死海から引き上げられ、そのまま隠されてしまったものではなくて、その大本になったものだったのかもしれない」
「それを知ってるのは……碇さんたちか」
「でしょうね。あるいはそれよりも上の人たち」
「でも待って? 解読そのものはMAGIがやってんでしょ?」
「そうよ」
「なのにあんたは知らないの?」
だってと今度はリツコが拗ねた。
「解読はMAGIが完成する以前から行われていたのよ? それにわたしはシステムアップをしただけ。制作そのものは母さんがやったことだもの」
「だから?」
「つまり、MAGIには解読のための専用回路が組み込まれているのよ。その場所はわたしには触れないの」
「……どういうこと?」
「……わたしたちにはMAGIがわかったといって話してくれるのを待つことしかできない。そういうことよ」
「はぁ……」
「MAGIはずっと頭の中で、裏死海文書のことを気にかけているの。そしてたぶんこういうことなんだろうって推測がたったら、その仮説を披露してくれている。それだけなのよ」
「だから時々修正が入ってたのね……でもそれが後追いするようになったってことは」
やっぱりという。
「たんにMAGIが新しい情報のおかげでひらめきを持ったってだけなんじゃないのぉ?」
「なら誰が地下の樹のことをMAGIに知らせたの?」
「それは……」
「あなたが見たという樹。子供たちが話してくれた樹のこと。それだけでは情報不足もいいとこよ。なのにシンジ君は樹がなんであるのかを知っていた」
あの子もね……とは語らなかった。それはアスカの存在を気にしたからだ。
リツコは表に出さないように、シンジが彼を連れて会いに来た時の様子を思い起こした。
「人の魂が肉体を無くしても自分を維持していられるかどうか?」
「はい」
リツコの部屋である。
無愛想なデスクにパソコンが一台。そして白衣の自分とその前に座らされている少年。
さらに向こうに立っている彼は付き添いだろうか? そう考えるとまるで診察風景のようだとリツコは思った。
「あなたの考えはわかるけど、わたしは疑問に思うわ」
「どうしてですか?」
「人は五感によってはじめて自分がここにいるのだという自覚を持ちえる生き物だからよ。自分がどこにあるのかわからないあやふやな状態では、人は正気を保てないわ」
「生まれた時から頼ってきたものが失われた時、人はなにを頼ろうとするでしょうか?」
「……意識よ」
「そうです」
カヲルは睨まれながらも続けた。
「もしシンジ君が助けたいと思っている人に恐怖心が生まれていたなら? 必死に自己を保とうとしているかもしれない。記憶や思い出にすがって」
「だけどそうでなかったら?」
「洞木コダマさんは消えてしまっているでしょうね」
リツコはシンジへと会話を戻した。
「それでも行くというの?」
「はい」
「どうしてそこまで確信が持てるの?」
「わかりません」
「わからない?」
「はい」
だがシンジの瞳は揺るぎなかった。
「リツコ?」
リツコは少しばかり思索にふけりすぎてしまっていたようで、ミサトに声をかけられて、少々焦った返事をすることになってしまった。
「な、なに?」
「……ちょっと訊きたいんだけど」
なにを考え込んでいたのだろうかと思うのだが、ミサトは訊ねなかった。
やはりアスカに聞かれるとまずいことかもしれないと避けたのだ。
「樹が見せた夢……とか声とか、それ自体についてはわかってるの?」
「イメージ?」
「そう……資料は見せてもらったけど、中身についてはばらばらじゃない? 夢の方については覚えてない子がほとんどだし」
ミサトの目が自然にアスカをちらりと見る。
「樹が世界の一端、物質化した神経だとして、それから発せられた振動がどうして子供たちに妙なイメージを送りつけたの?」
「たぶん……それはシンジ君たちの話へとかかってくるわ」
「シンジ君が望む都合のいい世界?」
ぴくりとアスカが反応を示す。
「どうして……」
「え?」
「どうしてそのことを知ってるのよ?」
「ああ……」
リツコが答える。
「シンジ君に聞いたのよ」
「シンジが? 話したの? あんたに?」
「そうよ?」
どうして睨まれなくちゃならないんだろうかと考えて、リツコはある程度の察しをつけた。
「聞き出したのよ。正確にはね。それとも二人だけの悩みにしておきたかった?」
「あたしは!」
「ことはそう簡単じゃないのよ」
ミサトにも話に加われと目で合図する。
「わからない? 地下の樹は世界の末端神経なの。それを下手に刺激すれば、世界が痛みに反応しかねないわ。それがなにを引き起こすかわからないの?」
リツコの鬼気迫る迫力に、アスカはゾッとした様子で声を漏らした。
「セカンドインパクト……」
「サードインパクトと呼ばれることになるわね」
「……そこまで脅さなくてもいいでしょ」
「でも事実だわ」
「だけど碇さんは黙認を決めた」
アスカは顔を上げた。
疑問に思ったからだ。
「シンジのパパは知ってるの?」
パパねぇと思う。
「あくまでこれまでのことを鑑みての話よ。だけど碇さんは何かを知ってるわ。だからこそ止めようとしない。いいえ……むしろ必要なことだから、都合がよいとさえ考えているのかもしれないわ」
「まさか……」
「でもねミサト。リリスのことを考えてみて? あれがどれほど危険なものか、どれだけ重要なものだったか考えてみたことがある? それを碇さんはシンジ君のために使い潰したのよ?」
思えばそれだけではない。エヴァンゲリオンも一台潰しているのだ。
リツコは眉間にしわを寄せた。父親でありながら彼は槍を息子の腹に突き立てている。
信じられないと思う。そんな真似がよくできたものだと思う。
しかしそのことによってシンジが救われたのも事実なのだ……ただなにか真実が足りていない。
(本当に碇さんのしたことはシンジ君に救いを与えているの? もっと都合のよい方向に歩くようしむけているだけなんじゃないの?)
だがシンジとコダマが接触したのは偶然であったのだし、コダマがシンジに惹かれたのもまた作為のない流れであったのだから、それはそれで疑いすぎではないのかとも思えてしまうのだ。
(結局……碇さんの企みがわからない以上は、シンジ君の自発的な行為を止めるわけにもいかないのよね)
それがリツコの結論ではあった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。