碇ゲンドウの思惑がどうであれ、洞木コダマは演出されたファクターではない。
 使徒に捧げるために選び出された生け贄であったというのなら、それはシンジが許しはしなかっただろう。
 たとえ父とはいえ、手にかけるような行為に及んでいたかもしれない。
 だが一方で、止められる流れと止められない流れというものが確実にあるのだと思う。そしてシンジとコダマがそうだった。
 興味を持つことで惹かれあった。決して男女の感情ではなく、もっと好奇心に近い感情だった。
 その流れを止めることはできなかっただろう。そう……結果的に彼女しかいないということになってしまった。
 だからこそ不安になるのだ。
 ゲンドウは最初から企みはしないかもしれない。だが途中からはどうなのだろうか?
 止められないのなら……いっそのことと、都合よく利用することも考えたかもしれない。ああなることを知っていながら、彼は放置していたのかもしれないのだ。
 リツコはシンジを刺した光景を思い出し、そこにどうしてもこだわっていた。
 その程度の割り切りはするのではないかと考えていた。


「どうにも……ね」
 トレーニングルームである。
 トレーニングといっても能力者用の調整室で、直系五十メートルの円形型に作られていた。
 真っ白で同心円が描かれている。足下はやや中央に向かってすり鉢状に沈んでいる。天井は逆に完全な球形であった。
「よかったのかい? 本当に」
 ストレッチをしていたシンジが、それをやめて振り向いた。
「なにが?」
「赤木博士さ。彼女に話す必要があったのかい?」
 シンジは苦笑のようなものを浮かべた。
「うん……リツコさんには昔からお世話になってるんだしね。今度もいざってことになったらきっと迷惑をかけることになるんだし」
「いざという時かい?」
「うん……」
「それは考えないように、といったはずだけどね」
「ごめん……」
「いいよ」
 カヲルはくすりと笑った。
「君のその後ろ向きの精神は、きっと一生治ったりはしないんだろうね。だからこそ惣流さんは君に苛立つ」
「アスカだけじゃないけどね」
 髪を梳くように指を入れてぐしゃりとかく。
「でもたとえ無事にすんでも後で恨まれることになりそうだしね。話しておいた方が気は楽になるから」
「そういうものか。そうかもしれないね」
「うん」
 シンジはまたストレッチを始めた。
「リツコさんはさ……考えすぎるところがあるから、ムキになって父さんに喧嘩を売りかねないしね」
「そういう人だからねぇ」
「父さんもさ、素直に話しちゃえばいいのに。それができないから」
「不器用なのさ。それに、どこに敵がいるかわからない」
「敵かぁ……」
 シンジは首を傾げた。ついでに首をぐるりと回す。
「カヲル君以上の敵なんているのかな?」
「シンジ君……」
「別にカヲル君を嫌ってるわけじゃないよ。でも父さんの目指してるものとカヲル君とは違ってる」
「だけど君もまた違う」
「そうなんだよね……」
 肩に手を当て、コキコキと鳴らす。
「あの樹の正体……あれは『逆転』なんだよね」
 シンジは唐突に語り出した。
「順行の状態だと樹は世界の夢とか希望とか絶望なんてのを吸い上げる。そうして枝に葉をつける。実がなるとそれはどこかに根付いて、新しい世界を花開かせる。だけど逆転の時は世界へと放とうとするんだよね。問題は」
「樹に栄養を提供しているもの」
「そうなんだ」
 はぁっと嘆息する。
「栄養を与えてるのは僕の妄想なんだ。コダマさんが持っていったものなんだ」
「彼女はやはりいると思うかい?」
「いる……ぜったいにいるはずなんだ。コダマさんでなくても誰かがいるはずなんだ。その人が僕の妄想をおなかに抱えて育ててる」
 そしてその夢が妙な影響を放っているのだ。
 シンジはそう考えていた。
「それが真実だと思うかい?」
「わからない……だけど僕は限りなく正解に近いと思っているよ」


 ──ネルフ本部発令所。
「なぁ……」
「ん?」
「俺たちどうなるんだろうな?」
 そこにはオペレーターの三人が、集ってココアを飲んでいた。
 マコトにシゲルにマヤである。
「どうなるってどういうこと?」
「ほら……ネルフって元々使徒とかエヴァとかの研究のために作られた機関じゃないか。だけどもう中心まで調べが付いたわけだろう?」
「だけど月は丸いんだし、まだ下はあるじゃない」
「ここの管理維持だって仕事はあるさ」
「だけどなぁ」
 マコトは不満げに呟いた。
「こんな軍人の真似事までさせられてさ。上は何がやりたいんだかわからないし」
「ま、そういうところはあるか……そっちは?」
「武器の開発はまだ続いてる」
「ほんと……俺たちどこへ向かってるんだろうなぁ」
 マコトは本気の嘆息を漏らした。


 精神的な集中をはかりたいというシンジを置いて、カヲルは一人になって考えていた。
 確かに自分は敵なのだ。障害といいかえてもいいのかもしれない。ならば消し去りたい要素の一つではあるだろう。
 そんな自分が最重要であるはずの機密を知っているのだ。いや、自分たちの関係こそが最重要の機密なのだから知っていて当然なのだが、だとすればそれこそ隠す意味はどこにあるのだろう?
「結局は妙な横槍を入れられないように、僕たちを僕たちの自由にさせておくために……ということか」
 他に考えようなどなかった。
「だとしても()せなくなる。勝手にさせておくだけでは、僕たちはあの人の望む関係には落ち着きはしないだろう。それともあの人にはそう落ち着くだろうという確信でもあるんだろうか? どうなる? わからないのだから干渉の手は必要だろうに」
 なにもない。
 そしてもう一つの懸念を、カヲルは思い浮かべてしまうことになった。
 シンジの陰に見た女の霊。
 あの影は、樹の根にくるまれてシンジの妄想を温めている女だったのだろうか?
(『端子』の先にどんな世界が広がっているのか。そこまでのことはわからない。真っ白な世界かもしれないし、ここによく似た世界かもしれない)
 戦えるだろうか? あるいは忘れずに戻ってきてくれるだろうか?
 居心地の好い世界に、囚われたりはしないだろうか?
 カヲルにはそのことの方が心配だった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。