「あ……」
 彼女は訪問者に対してなんと言葉を発したものか迷い、結果的に失礼に当たる態度をさらしてしまった。
「彼に取り次いではもらえないだろうか?」
 当たり障りのない、だが優しくもない笑みを持って問いかけたのはカヲルであった。
 彼女、マリアは、それでもなおリックを呼ぶことをためらった。
 マリアにもまた、カヲルに対しては確執に似た感情が存在していたからである。
 そんな彼女の堅い背中に疑問を持ったのか? リックが中より現れた。
「どうし……カヲル」
「やあ」
 目に見えて堅くなったリックにも苦笑して、カヲルはそれでもなお用件を告げた。
「少し話がしたくてね……かまわないだろうか?」
 ほんのわずかな逡巡の後で、リックはぎこちなく頷いた。
「ああ」
 まるで覚悟を決めるような態度であった。
「ぼくからも話があるからな」
「それはよかった」
 ──おじゃまするよ?
 二人は半ば意図的に、マリアの存在を意識の内から排していた。


 部屋の中に通されて、まずカヲルがしたことは、部屋の中を見渡すことであった。
 かたい感じがないことに顔をほころばせる。
「なかなかいい生活を送っているようだね」
 居心地は悪いとリックは語った。
「もっと悲惨な処遇に陥ることになると思って覚悟を決めていたからね、こうでは逆に落ち着かないものさ」
 向かい合って腰かける。その間にあるテーブルに、マリアがコーヒーカップをそっと並べた。
「それで?」
 リックが訊ねる。
「ぼくの能力を封じに?」
「まさか」
 肩をすくめる。
「ここはドイツでもなければアメリカでもない。本部だよ。すべては碇司令の意志の下にある。君から能力を奪うのであれば、君が目覚める前にやっていたよ」
 それもそうかとリックは納得した。
「なら、なんの用で?」
「話を……訊きたくてね」
「話?」
「そう」
 じっと見つめる。口元に薄ら笑いのようなものを浮かべて。
「樹……接触したんだろう? どんな感じだったんだい?」
 そのことかとリックは背筋を伸ばした。
「それはドイツの意向で?」
「……個人的な興味だよ」
「嘘だね」
「どうして?」
「君はそんなタイプの人間じゃないだろう?」
 カップに手を伸ばす。
「ぼくがアメリカでのことを忘れたとでも思っているのかい? 君はアメリカでなにをした?」
「まだ怒っているのかい?」
「怒るに決まってる! あの場で加害者を無力化すれば、被害者が暴徒となって逆襲に出るのは目に見えていたはずだ。それを……」
 ふうと息を吐きながらかぶりを振る。
「なによりも……君はその赤い瞳になんの感情も浮かべることなく、その様子を眺めていたじゃないか」
「そうだね」
「そんな君が好奇心から樹に興味を持っただなんて信じられるはずがないだろう?」
 ふぅむとカヲルは顎に手を当てて唸った。そんな様子をリックがジッと見つめている。
 黙って控えていたマリアは、よく恐れもせずに問いつめられるものだと感心してリックを見ていた。彼女もまたアメリカでのことは覚えている。
 少年少女たちが殴り合い、つかみ合い、けり合って、殺し合ったのだ。
 それを冷笑を浮かべて高みの見物を決め込んでいたのが彼だった。カヲルだった。
「……君はいまは碇シンジと親しいそうだね」
「親しくさせてもらっているよ?」
 それがと不思議そうにするカヲルに、リックは吐き捨てるように口にした。
「なんの魂胆があるんだ?」
「心外だねぇ……」
「君は……ドイツの切り札だった。能力者。ぼくたちには枷をつけることができない。だからこそ自主性に頼った自重を促すほかなかった。しかしそれにも限度がある。そんな中、君だけがただ一人、自浄作用的に働くことのできる人間だとして評価されていた。ドイツにしてみればすべてのチルドレンの首根っこを押さえたにも等しいことであったはずだ」
「けれどもぼくの力はシンジ君には通じなかった」
「だから迎合したっていうのか?」
「違うよ」
 くすくすと笑う。
「どうしてそう、君は権力欲にこだわるんだろうねぇ」
 ムッとする彼にさらに言い放つ。
「シンジ君とは……。いや、彼とは最初から仲が好かったわけではないよ。彼は今のように普通の話し方をせず、どこか妙な言い回しをしていた」
 ぼくのようにとカヲルは告げた。
「今となってはなにが原因であったのかはわからない。あの頃に比べると彼はずいぶんと普通になったよ。正常化している。落ち着いている」
「それが?」
「そういらつかないでくれないかい?」
 わざとらしくからかった。
「彼とぼくは似ていたのかもしれないね……だからこそ言葉遣いが似ていたのかもしれない。だとすればぼくも彼のように、ごく当たり前に感情を披露できるようになれるかもしれない」
「それが興味の素だっていうのか?」
「なら、君にはわかるかい? 生まれた時よりこの容姿のために蔑まれ、力の発露を得られてからは決して好かれることのない役職をあてがわれ、人から忌み嫌われてきた僕が、どれほど泣き、笑えることにあこがれてきたか」
「渚く……」
 思わず声を出そうとしたマリアを片手で制して、嘘を吐けとリックは責めた。
「そんな話ではごまかされない」
「そうかい?」
「そんな繊細な人間じゃないだろう? 必要があれば人を騙すし陥れもする。それくらいの演技は平然とこなすのが君だ」
「酷いいわれようだねぇ」
「だけどそれがぼくの持っている印象だ。それに」
「なんだい?」
「……君はもっと、ものごとをおもしろがるタイプだ」
 カヲルはくつくつと笑ってみせた。
「その通りだねぇ……でも」
 真剣になる。
「今度のことについては、本当にただの好奇心なんだよ」
「まだいうのか?」
「しかたないさ……それが真実なんだから。ちゃんと部外者なんだとわかっているんだよ」
「部外者?」
「そう……」
 力を抜く。
「ぼくはこの件に関しては部外者なのさ。せいぜいが好奇心を満たすために話を訊いて回るていどのことしかできない。それで知ったからといってなにができるわけでもないと『わかって』いるんだ」
「どうして?」
「リック……」
 前屈みになる。
「エヴァとは……力とはそういうものなんだよ」
「…………」
「わかるのさ。ぼくがいまこの世界においてどのような立場にあるのかが。わかるのさ。ぼくがいまこの世界においてどのようなことができるのか」
「彼も?」
「いいや? シンジ君は運命を切り開く側にいる者だよ。それだけの力を手にしている。ぼくとは違うさ」
「ならよけいにわからなくなる……なぜ彼と親しいんだ? 力に憧れているからか?」
「まさか」
 大げさにいう。
「そんな下心を持っているような人間を、シンジ君がまともに相手をしてくれるわけがないじゃないか」
「……そうだろうが」
 やはり、なにか合点がいかないらしい。
「ならこれだけは教えて欲しいな……なぜ友達づきあいができるんだ?」
「……理由が必要なのかい?」
「そうじゃない」
「…………?」
「お互いに警戒し合うべき力を手にしていて、なぜ馴れ合いを演じることができるんだ?」
「ああ……そういうことかい?」
 いやだねぇとカヲルは蔑んだ。
「利害と打算の世界に浸っていると、そんな考えばかりが浮かんでしまうようになる。君ももっと健全な精神を養ってはどうなんだい?」
「うるさい!」
「ぼくたちは知っている。それだけだよ。互いに害意がないことを」
「それだけで?」
「ことはそう単純じゃない」
 いいかい? カヲルはまじめに聞いて欲しいと訴えた。
「君は犬や猫をどう思う?」
「は?」
「怖くはない。特に飼い犬や飼い猫は怖くないね。それも小さな頃から知っているという犬猫は、どれほど大きくなっても怖くはない。そりゃあもちろん、飼い犬に手をかまれることだってあるさ。それでも憎みはしないだろう?」
「それが?」
「人とチルドレンとの間には、それと似た感覚が横たわっているのさ。どれほど恐ろしくとも嫌悪するほどの存在ではない。あれは知っているものだから邪険にする必要はないってね?」
 それに似たものがあるのはわかるはずだとカヲルはいう。
「どれほど速く走れて、どれほど獰猛でも、憎めはしないはずだ。こちらから手を出さなければさほど怖いものではない。ちゃんと棲み分けのできる存在であり、共存も同居もできる生物だ」
 そして。
「君は自分とは違った生物が持っている特性を、本気でうらやんだり、ねたんだり、そういうことをしたことがあるかい? ぼくたちはすべからくそうなのさ。普通人(ノーマル)はぼくたちのことを、そういうものなのだからと達観して見つめはじめているんだよ。気にしてもしかたがないとね? 同じことなのさ。ぼくたちは互いに違う形へと行き着いてしまった。ぼくたちが争ったところで、なんの利も得られはしない。だから」
「行き着くっていうのは?」
「そうだねぇ……たとえば祖を同じにする生き物も、環境に従って違った能力を身につけるものだろう? ぼくと彼とでは求められたものや、求めたものが違っていたのさ。そのためにぼくたちは違う方向性で進んでしまっているんだよ」
「だから衝突しないって?」
「そういうことになるね」
 頷く。
「わかったかい? 君はまだ未分化だ。だからシンジ君の側にも、僕の側にも、好きな道へと進めるだろう。あるいは第三の道かもしれない。その時になってみなければ共存できるかどうかはわからないんだ。あるいは競争に陥ってしまうこともある。でもぼくたちはもう、争うことになんの意味も、意義も、求めることができないんだよ」
 ──違う生き物だから。
「そうまで変わってしまったということか……」
「意識の変革とはそんなものさ」
 もちろんとカヲルは付け加えるのを忘れなかった。
「どこにでも意固地で頑固で察しの悪い、物わかりの悪い人間はいるものだからねぇ……その人が元で騒動へと発展することは、まあないわけではないさ」



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。