「碇司令の行動を黙認するというのか!?」
 バンとテーブルを叩き、男は興奮気味にわめきを上げた。
 首肯する者、苦々しげにする者、さして気にもとめない者。
 あるいは鼻で笑う者と、その反応はさまざまだった。
「なにを好きこのんで接触実験など行う必要がある!? それも国連決議を待たずにだ!」
「だが待っていてはいつになるかはわからんだろう」
「だからといって!」
 唾を飛ばす。
「南極の惨劇を忘れたか!?」
 白衣の男がぽつりと漏らした。
「しかし、あれは使徒が引き起こしたものだろう」
 視線が集まる。
「白き月との接触実験によって発動した兵器群──使徒。その使徒のエネルギーの開放が原因であって、接触実験そのものが問題であったわけではなかった」
「では問題とはなにかね?」
「使徒の存在を知らなかったこと」
 一同を見渡す。
「しかし黒き月の使徒は既に排除済みだ。順番を間違えた南極とは違う。エヴァリアンもいる」
「エヴァーズは数がいればいいというものではないだろう!?」
 そうだなと、その点に関しては、彼は同意を示した。
「確かに……ATフィールドは数が集まったところで意味を成さない。十の力で展開できる者が何百人集まろうと、百のフィールドを中和することはできない。百のフィールドを中和するためには、百以上の力でATフィールドを展開できる者が必要だ」
「君はどちらだね? 反対か、賛成か」
 両方ですよと彼はいった。
「わたしは確かに賛成派ですが、被験者については問題視しています」
「サードチルドレンに不安が?」
「確かに碇司令の息子だということは」
「いえ、それは問題にはなりません」
「なぜ?」
「たとえサードチルドレンが司令の密命を帯びているにせよ……人一人が働きかけたところで揺らぐようなものではないのですよ。世界は。むしろ押し流されて死亡する確率が高いくらいだ。世界との接触とはそれほどまでに危険が伴う」
「サードインパクトは起きないと?」
「むろん可能性は否定できませんが、わたしは起きないとみています」
 ざわりと反対派がざわめいた。
「ではなぜサードチルドレンを否定するのですか?」
 女性からの控えめな質問に、彼は貴重だからと素直に答えた。
「ナンバーズへの登録段階の覚醒を第一段階として、ATフィールドの展開使用を第二段階だとすれば、彼は肉体の形質に囚われない第三段階の中でも、特筆するに値する成長度を示しています」
「具体的にお願いします」
「先日の事件ですよ。ナンバーズの少年は形状不安定のまま自戒しましたが、サードチルドレンは明確な変化を行いました。明確な意志の元にね? その上、ファーストチルドレンを搭乗させるという行為まで行っている」
「一時的に取り込んだだけなのでは?」
「だとしても人は宇宙を内包しているものです」
「ガフの話か?」
「扉の向こうに彼は彼女を招き入れました。その内部でどのような交感が行われたのかはレポートから推察するしかないのですが……」
 少し横道にそれますという。
「ガフの部屋とはつまるところ人のことです。人としてなりたつ器のことです。しかしながら器の中にあるのは宇宙であり、この宇宙は深淵に置いて他者と繋がっています。つまりは器として閉じていながらも、別の器とはなにがしかの形をもって開かれているのです」
「講釈はいい。なにがいいたいのかね?」
「クラインの壺をごぞんじで?」
「内側が外側に剥け、剥けた外側がまた内側に巻き込まれていくという壺のことかね? メビウスの輪のような」
「そうです。あるいはガフの部屋もそのようなものなのかもしれません。内側が外側であり、外側が内側である。扉を開いた先にある世界が外であるのか内であるのか、それを決めるのは誰でしょうか?」
「本人だろう……」
「そうです。ですが無限に広がる世界を前にして、そこを自分が生きるべき場所だといえる人間は皆無です。人は星空を見上げる生活よりも、部屋にこもることを選びます。家屋や部屋といった概念を生み出してきたように、人には内にこもろうとする性質があるのです。だからこそ人は我というものを強く作り出し、個性を形作っていくのですが……」
 彼は興奮する自分をいさめるように、わずかに息を吸い込んだ。
「よろしいですか? 人は自分の部屋の中を飾り立てるものです。自己の趣味や趣向で飾り立てるものです。その空間は他人に知られることがない、自分だけの宇宙ですから、それはもう好き勝手にやるものでしょう? 加減すらもしない」
 そしてという。
「趣味に走りすぎているがゆえに、自分を知られてしまうのではないかと恐れ、人に見られることを忌避するようになっていくものです。どのように思われてしまうのかと想像するあまり、隠そうとして表の自分を作り出します。これは現代病の一種で、引きこもりを引き起こすものですが……彼はそこに他人を招き入れました。これは我々現代人が失っているピュアさを取り戻しつつある象徴的な行為ではないのかと考えます」
 恥ずかしいことをと誰かがいった。
「だがそれだけならば他の子供たちにも可能性は……」
「あるでしょうが……」
「なんだ?」
「革新なのですよ。ヒト社会で培われた情操的なものは容易に破られるものではありません。心まで許せる誰かに出会う確率、その者を受け入れようと思い切ることのできる勇気。さらけ出すことへの抵抗感の排除。さらにはエヴァそのものの発現段階。全ての条件が揃う『検体』を次に手に入れられるのはいつになるでしょうか?」
 それをこのようなことで失うのはと彼は口にした。つまるところ失敗するものとして考えているのだ。
「人はごくあたりまえだとして、習慣的なものにこそ従います。周囲に併せて生きようとするものです。そしてそこからはずれることをよしとしない、あるいは寂しく思う生き物です。能力に発現し、さらには彼のように育つ可能性は非常に低いものなのですよ」
「だがだからこそ彼でなければ実験もできないと事情があるのでは?」
 だからこそ難しいのだと彼はいった。
「わたしもこの接触実験には興味がありますが……リスクについての答弁が足りていないなと思うわけですよ。しかしのんびりとしていては国連のお偉方と同じになります」
 さて、どちらに同意するべきでしょうかと、彼は真剣に言葉を発した。


「シンジ!」
 アスカはシンジを見つけると、怒ったように駆け寄り、腕を掴んだ。
「あんた……」
 ぽかんとしている顔に一瞬毒気を抜かれてしまう。
 それでもとアスカは口にした。
「本気でやる気なの?」
「やる気って?」
「ばか! サルベージよ!」
 シンジは少々慌てた顔をして人がいないか確認した。
「まずいよ、まだ上だけの秘密なんだから」
「あんたねぇ!」
 鼻息が荒い。
「あたし、ミサトのとこで黙って聞いてるの、大変だったんだからね!」
 つい口出しをしてしまいそうでとアスカは興奮気味に問いつめようとした。しかしシンジにはぐらかされてしまう。
「と、とにかくさ……ここじゃまずいから」
 移動しよう。そうかわされてしまう。それでということで、二人は森へ行くことにした。


 途中で話したことは、なぜ森なのかという話であった。森は気配に満ちているから、雑念があるとその空気に乱れが生じるのだとシンジはいった。
 誰かに見られている。聞かれている……それで判断ができるのだ。
 そしてジオフロントの隅にかろうじて残っていた森に入り込んで、シンジは段差のように見える苔むした岩の上に腰掛けた。
「サルベージ……僕にならできるかもしれないことだからね」
「あんた……」
 アスカはくやしそうにした。
「あんたがそれで死んだら、あたしはどうなるわけ?」
「アスカ……」
「あんたあたしがどうしてここに来たか……忘れてない?」
「わかってるよ」
「なのにやるんだ」
「そうだね……」
 天井を見上げる。
「アスカには悪いけど……このまま生きていくのはちょっとね。辛いから」
「辛い?」
「うん」
 まっすぐに目を見る。
「ぼくのせいでコダマさんは死んだんだ……でも本当はまだ助けられる。ならぼくは」
 アスカは言葉を失ってしまった。
 ──このまま生きていくなんてこと。
 それは自分が選んだこと、そのものであったからだった。
「ずるい……」
「アスカ?」
「そんなの……とめられないじゃない」
 自分を誰もがとめられなかったように。
「うん……」
 シンジは心苦しいとばかりに口にした。
「ごめんね……ごめん」
 それでもぼくはといいかける。
 それを制して、アスカはこのことだけはと確認した。
 教えて欲しいとシンジに訊ねた。
「あんた……あの人のことが好きなの?」
「え?」
「アイシテルの? 結婚したいくらい」
「け、けっこん?」
「うん」
 大まじめだ。
 そう思い、わかってしまったからこそ、余計にシンジはどうしてそういう話になるのだろうかと悩んでしまった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。