カヲルが吐いた意味深な言葉に、リックとマリアは声を失ってしまった。
 そんな二人に緊張からの限界が訪れる寸前、カヲルは自ら雰囲気を壊した。
「まあ……それはいいさ」
 ほっとするほどに空気が柔らかくなる。
「所詮は人同士の()れあいだからね。もっとも僕かシンジ君が、そんな欲望渦巻く権力の世界に興味を持てば話は変わるけど」
「協力しないの?」
 思わず口にしてしまってから、マリアはあっと声を出した。
 邪魔をしてしまって、咎められるかと思ったからだ。しかしカヲルもリックもそれを許した。
 招き入れた時の確執はもう捨てている。
「君たちにはまだ理解できないかもしれないね……僕も、シンジ君も、エヴァンゲリオンや化け物のように姿形を変えられるんだ。そこまで変化が進んでしまっていることは先に話したけれど、これは進化とは違うものなんだよ」
 リックは前髪を掻き上げた。
「その区別は僕にはつけられないな」
「確かに……学者の分野だろうね。問題は肉体が精神の従属物と化してしまっているということなんだよ。肉欲や性欲は五感があってこそはじめて求められるものだろう? ところがその喜びや快感すらも、中枢神経を操ることで刺激として得ることができるんだ。なら面倒な手順を踏む必要がどこにある? 怪しげなドラッグを手に入れる必要すらない。望む時に望むだけのトリップを自己生成することができるんだよ?」
「物欲に金銭欲に食欲……あらゆるものからくる快楽中枢を満たすことができるわけか」
「そう……となるとどうなる? ……生きるということについての、意味とか意義に比重が偏るんだよ」
 ──何故?
 リックはその理由を推察した。
「精神的な満足感をどこから得るか? それが命題になってくるってわけだな? 肉体的なものは求める必要がなくなってくるから」
「そうだね……」
 頷く。
「まさにその通りだよ。そこで先の問題に戻るんだ。僕たちは僕たちを道具として扱おうとした人たちに対しては嫌悪感を持っているね? 同時に小馬鹿にもしている。そんな僕たちが求めているもの、それはなんだと思うかな?」
「……わからないな」
「君は?」
「わたしは……人?」
 苦し紛れのマリアの言葉に、それが正解だよとカヲルは頷く。
「正しくは他者だけどね。精神的な充足感こそが問題になるんだよ。ところが僕たちは生まれながらにしてこのような人間だったというわけではないんだよ? ただこのように変化してしまっただけの、変化していく自分に意識が慣れてしまっただけの人間なんだよ。生来の価値観や欲求というものは、どうしても人寄りになっているんだ」
「他人とのつながりや関わりを捨てきれないということ?」
「寂しい。──端的にいってそうなる。孤独に耐えきれないんだよ」
「君も?」
「もちろん」
「シンジ君も?」
「その通り。それが君たちが理解し得ない僕たちの繋がりとなっているんだよ。僕は僕。彼は彼で、違ったアプローチを試みているのさ。これからどう生きていくかについて」
「その違いを教えてもらいたいな」
 もちろんとカヲルは了解した。
「それが目的で来ているんだからね」
「え?」
「僕も、シンジ君も、あまりにも特化しすぎた存在なんだよ。ところがここまで変わる必要があるのかい? 必要性と言い換えてもかまわないね。なら誰かがこれからについてを話し合わなければならない。僕たちではだめなんだよ」
「それを僕にやれって?」
「不服かい?」
「荷が重いよ」
「でも僕もシンジ君も特別視されているからね。それでは頭ごなしと思われてしまうからしかたない」
 その点、君ならとカヲルは言った。
「この間のことで、すっかり有名になったからね」
「なるほど……で?」
「うん。──アプローチしているといったね? そのことについて話しておきたいんだよ」
 マリアへと視線を向ける。マリアは一瞬体をこわばらせて緊張したが、次の言葉に脱力してしまった。
「コーヒー……おかわり、もらえますか?」
「え!? ……ええ」
 マリアは立ち上がると、慌てて支度をしに走った。
 その間にでも話を進められてしまうのではないかと危惧したのだ。しかしカヲルはちゃんと彼女が戻るのを待っていた。
「悪いね。催促してしまって」
「かまわないわ」
「そうだね……君がリックの伴侶となるのなら、こういう経験は必ず生きてくるよ」
 微笑を放って照れさせる。
「なにしろリックの学友や友人ともなれば、みなあなたより年下ですからね。憧れの人として印象づけられるようにすることが、そのままリックの得へと繋がる」
「そう?」
「だって、そうでしょう? あなたが魅力的なら、みなリックをうらやましがりますよ。そしてそんなあなたを射止めたリックという少年……いや、青年のことを、一目置くようにもなっていく」
「下世話ね」
「でもそれが男の子というものですよ」
「あなたでもそうなの?」
「それはそうですよ」
 苦笑する。
「ところが幼い頃からこうなるしかなかった僕ですからね、今更誰が見てくれるわけもない。だから僕は一生演じ続けるしかない。皆が知る渚カヲルを」
「それは……」
 マリアは言葉を探してしまった。
「不幸じゃない?」
「そうですよ?」
 あさっりとした返答に言葉をなくす。
 そんなマリアを見かねてか、リックが横から口を挟んだ。
「同情してもらいたいわけじゃないだろう?」
「それももちろんさ。僕は……僕たちはそこまでお気楽じゃない」
「シンジ君もそうだって?」
「惣流アスカ……セカンドのことは知っているだろう?」
「ファーストは?」
「彼女は特殊だからねぇ……」
 カヲルは『特別』とは表現しなかった。
「でも彼女こそが問題になるのかもしれないね」
「どういうことか……話が見えなくなってきているんだけどな」
「雑談とはそういうものじゃないのかい?」
 雑談だったのかとリックは絶句した。
「……正直、君と雑談することがあるとは思わなかったな」
「じゃあ真面目な話に戻ろうか」
 居を正す。
「先ほど僕は肉体は精神の従属物に堕ちているといった。では肉体の老化にともなう衰弱からくる意識の混濁。これが訪れないとどういうことになるかわかるかい?」
 リックはしばらく悩んで見せた。わからないというのはあまりにも簡単すぎると思ったからだ。
 それでは物を考えていないような馬鹿に見える。話すにふさわしい対等な相手にならなければならない。
 それはマリアの前であるから。そしてカヲルが自分をこの話の相手として選んだから。だから応えるつもりになっていた。
「絶え間なく襲い来る疲労感が神経……いや、精神を摩耗させる? それでは神経が耐えきれなくなっていくから、無意識のうちにけだるさを当たり前のものとして認識するようになっていく。気にしていてはきりがないからだ。そうやって徐々に神経を鈍化させて、意識や精神も拡散させて、やがては……」
 カヲルは彼の視線に首肯を返した。
「消えるんだ」
「なるほど……そういうことか」
「うん。僕たちはそういったものを失ってしまったんだよ。となればこれからあるのは永遠の生なんだ。ところが僕たちは人としての当たり前の感覚を……何十年かで死ぬものだという常識を捨て切れてはいないんだよ」
「となればどうなる?」
「わからない……これは本当にわからないんだ」
 うなだれるようにしてかぶりを振る。
「ただこれだけはいえるんだ。本当に不死になっているのだとしても、それは人間が考えているような欲に満ちあふれたものではないんだよ。精神の話に戻ろう。もし僕たちの最終形が、肉体を失った意識だけの精神体のようなものなのだとしたら? 剥き出しの神経はなにをさらすのか想像できるかい? これまでの罪の意識や悔恨。後悔……皮を剥いだ神経を直接風にさらすようなことになるのかもしれない。となれば大事なのは今ということになるんだよ」
 饒舌に語りすぎたからか、カヲルはひとまず舌をしめらせた。それは彼らに考える時間を与えるためでもあった。
 カップを置く。
「僕は心に棚を持っている」
 しかし、カップから目は上げなかった。彼らに本心を見せることが恥ずかしかったからだ。
「僕はまだいい……シンジ君のような変化の道筋を選ばなかったからね。完全に肉の身から心が切り離されることはない」
「それは……シンジ君は違うと?」
「彼は……そうだね。この世に未練があるからさまよっている。そう表現するのが正しいんだよ」
「僕たちが見ているのは残留思念のようなものであると?」
「『こだわり』だよ。それが一番的確な表現かな」
「なんのこだわりなんだ?」
「だからね……生きるか死ぬかを懸けた戦いなんだよ。──彼にとっては」
 顔を上げる。
「君は……人生とは、どこで終わりが来るものだと思う?」
 その問いかけは唐突すぎた。
「は?」
「だからね……人生を、人の一生をとても長い演劇のようなものだとしよう。舞台は世界だ。では終幕はいつ訪れるのかな?」
「それは……」
 死だろうとリックは答えた。
「正解だろうね」
「ああ……でも彼には、もう」
「そう。──死はない」
 ではと続ける。
「舞台とは味気ないものだよ。物語は『末永く幸せに暮らしました』で終わるものだからね? たとえば君たちが結ばれたところで」
「……引き合いに出さないで欲しいな」
「だけど……そうじゃないのかい? この先のことを考えたことは? 余計な横槍が入るかもしれないし、お互いの気持ちが離れていくことだってあるかもしれない」
「怒らせたいのか?」
「そうじゃないさ……悪かったね。でもそういうことなんだよ」
 二人の顔を見比べる。
「幸福な時はあるだろう。でも反対の時もあるはずだよ。いつかは突き落とされるようなことにもなる。──そんな不安の話をしているんだよ。もし相手に魅力を感じなくなったなら? もしより魅力を感じる女性や男性に出会ったなら? 裏切りともいえる行為を取られたならば? 酷く傷つくことになるだろうね」
 でもと続ける。
「でもね? ──人間はたくましいもので、次第に気持ちを蘇らせていくものなのさ」
 はぁっと怒りを堪えてリックは話に乗ることにした。
「あくまでたとえばの話だが……不愉快なことだけど、行き違いから僕たちはお互いを深く傷つけ合うことになるかもしれない。そして傷つけられた僕は……マリアでもいいけれど、やがては痛みを癒すだろう」
「そして痛みに少しだけ強くなって、また同じように恋をしていく」
「それが?」
「『以前』のことがある以上、より強い刺激を求めるのは当然だね。そのベクトルからは逃れられない。なぜなら以前の傷があるからだよ。思い返してしまうあまりに、知らず知らずのうちにたどってしまうことになる。だけどもそれでは、また以前と同じ過ちを繰り返すことになってしまうんじゃないのかな? だとしてもその時に味わう苦痛はどうなると思う? 以前と同じかい? いいや……以前よりもよりよい結果を求めていただけに、より強いものとして味わうことになるんじゃないのかな? より強く」
 そして……とリックは補足した。
「傷もより深いものを負うことになるんだろうな」
「そんなことを繰り返していけばどうなるかな?」
「え……」
「シンジ君がまさにそうなのさ」
 肩をすくめる。
「彼は幼い頃から人を好きになっては嫌われてきているんだよ。例えば惣流さんとのことだね。幼なじみとして知り合って、喧嘩をして、また友達になって、やがてシンジ君の母親が死んでしまったんだ」
「…………」
「その時、惣流さんはとても優しくしてくれたんだそうだよ。だからますますなついてしまった。けれど惣流さんの『ママ』が死んだ後、とても毛嫌いされるようになってね」
 理由すらわからずに。
 アスカがしてくれたうれしかったことを、アスカに返そうとしただけなのに。
「──きっと喜んでもらえる。だけどもそれは幻想に過ぎなかったんだよ。自分がうれしかったからといって、他人もそうとは限らない。そんな具合に間違いだらけで傷ばかりを負って、そしてついには悟ったんだよ。──いや、僕の想像に過ぎないのかもしれないけどね。人は、死ぬよ。物理的でなくにしろね? 好きになってはだめになって、だけど幸せを感じられた時は確かにあったから、その記憶があるあまりにより渇望するようになってしまい、うまくいきそうで、まただめで……そんなことばかり繰り返していれば、いつか疲れて倒れてしまうよ。だってそうじゃないのかな? いくら神経が鈍くなったり、慣れができているにしたって、傷の深さそのものが変わるわけじゃないんだよ? 気づかない内に致命傷といえる深さのものを負ってしまうことになってしまうかもしれないんだ。その時人はどうなるのかな? ──もういい。全てに対して自暴自棄になるんだろうね。シンジ君は一時そういう状態にあったんだよ」
 そしてそんな時に僕は彼に出会ったんだとカヲルは告げた。



[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。