「僕はね……」
 独白に近くなっていた。
「だからこそ怖いのさ。人は自分を騙すしかないのかな? 幸福と絶望は天秤のように傾き合っているものじゃなく、物差しのように一つのレールの上にあるものなんだよ。僕たちはその上を行ったり来たりしているにすぎない。勢いを徐々につけながらね? そしていつかはレールから飛び出してしまうことになるだろう。脱線かもしれない。なら僕たちは『今が幸せだ』というポイントを見つけて妥協するしかないんだろうか? そこで終わりにするしかないんだろうか? でも劇とは違って止まることなんてできはしない。この命題に対するアプローチの仕方が、僕とシンジ君の差なんだよ」
「差?」
「そう……彼は恐れているのさ。嫌われることをね?」
「それは誰もがそうじゃないのか?」
「程度の問題があるんだよ。それに彼は自分本位なところがあるからね」
「自分本位?」
「嫌いなんだよ……痛いのも辛いのもね? となると今回のことは最悪じゃないのかな?」
「それは彼と付き合っていたという人のことをいってるのか?」
「その通りだよ」
「辛いこと……か」
「そうさ。──このままでは彼女のことは忘れるしかないようになる。適当な折り合いをつけて過去にしてしまわなければいけなくなるんだ。そうして今の幸せに浸るしかなくなる……なんてことは、それは人として最低なことなんじゃないのかな?」
 リックは軽く反論した。
「でも誰彼かまわず、すくなからずそうして生きてるものだろう? お前だって」
「だからいったろう? ……僕は心に棚を持っているってね」
 そこに戻るのかと頷かせる。
「わかったかい? 彼はそんなに都合好くものごとを忘れられる人間ではないんだよ。虐められてきたからかもしれないね。いつまでも覚えて悔やんで、嘆いて悩んで、後を引いてしまう。そんな人間なんだ」
「そしてそれを自覚している?」
「だからこそ、今回のことは最悪だということになるんだよ。──幸せになりました。犠牲の上に? 自分でそんなごまかしを? 心に嘘を吐いて最低の人間になって? それはできない……無理だよ」
「だから……」
 リックは呻いた。
「だから……行くと?」
「そうだよ」
「贖罪でも償いでも、責任感からでもなく。トゲのように残ることになるものを……それがもたらすこれからの想い煩いを解消する。そのために行くと?」
「その通りだよ」
「そんな勝手な!」
「そうだね……」
「そのために……サードインパクトが起こるのではないかと問題視さているっていうのに!?」
「それでも行くのさ」
 半ば腰を浮かしてしまっているリックを、カヲルはじっと睨むようにして見つめた。
「彼にとってこの世は生き地獄に過ぎないんだよ。このままではね? ならば命を賭してカケにも出るよ。それが唯一の方法ならば」
 だが……カヲルにはあえて口にしなかったことがあった。それはシンジに見たあの奇妙な言動と変化についての話であった。


「と、とにかくさ」
 シンジである。
「好きとか嫌いとかってんじゃないんだよ。それはわかってよ」
「わかないからいってんのよ!」
 アスカはしつこく食い下がった。
「あんたさぁ……もしそれでうまくあの女を連れ帰ったとしてよ? その後のことはどうすんのよ」
「後って?」
 本当にきょとんとする。
 そんなシンジにアスカは呆れた。
「あんたねぇ……」
 きりきりと痛むこめかみに指を当てる。
「いい? どういう状態で戻ってこれるかなんてのが、そもそもわかってないでしょう?」
「うん」
「うんじゃないっての……だからさぁ、もしもよ? もしその時、ろくでもない状態だったら?」
「え?」
「もしもその時、その場合の面倒は誰がどう取るのかっていってんのよ。あんたが見るの? それってどうやって、どこまで? いつまで?」
「それは……」
「なんかアンタのやろうとしてることってさぁ……その場しのぎで後のことなんてなんにも考えてないじゃない」
「でもさ」
「なによ?」
 アスカはじっと見つめられて退いてしまった。
「深くなんて考えてらんないよ……中学の時じゃないんだから」
「え……」
「あの時はさ」
 目を自然へと向ける。
「なにもなかったんだ……なにも考えないようにしてたんだ。だからすごく平和だった」
「シンジ……」
「でもここに来て色々なことがあったじゃないか。レイのこととか、アスカだって来たし、エヴァとか、使徒とか」
「…………」
「もう無視なんてできないんだよ。見てみない振りなんてできないじゃないか。限界なんだよ……だったら関わってくしかないじゃないか」
「でも……」
 アスカは不安げにシンジを見た。
「それって……」
「え?」
「……ううん。いい。なんでもない」
「…………?」
 アスカは何かを危惧しているようで、だがそれをシンジには明かさなかった。
 それは単純なことだったからだ。
(辛いから……深く考えないように、自分を見ないようにしてた? でももう無視することなんてできないから、今度は無理をすることにした? でもそれっていつまで? どこまでやるの?)
 ──果てがない。
 そしてきりがない。
 悔いることがないように……思い悩むことなどないように、どれだけのことをしていくつもりなのだろうか? シンジは。
(潰れるまで続けるっての? 自分が)
 それでは逃げを打った方が良いのではないだろうか?
 アスカにはシンジの考えが見えなかった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。