カヲルとアスカの危惧は、方向性は違えど一致していた。
 人はいつしか疲れて果て、思考を停止する生き物である。今は若さにまかせて突き進めても、いつかは苦悩に耐えかねて潰れてしまうものである。
 アスカは父と継母との間に子ができたことで、自分の居場所を失って、そのような倦怠感を感じ始めてしまっていた。
 だからだろう。
 シンジのこれからに、一抹の不安というものを感じていた。
 しかしカヲルの考えは別にあった。彼は期待していた。シンジのこれからの選択に。


「シンジか」
「父さん」
 ゲンドウは地下へと降りる通路の途中で、逆に登ってきたシンジと出会い、立ち止まった。
「なにをしている」
「母さんを見てきた」
「そうか」
 厳密には死骸と化したリリスと初号機のことであるが、二人の間ではそれで通じる。
「リツコさんが色々聞きたそうにしてたよ?」
「そうか……その内くるな」
「話すの?」
「適当にあしらう……知る必要のないことだ」
「父さん……」
 ため息を吐く。
「そりゃさ……リツコさんには関係のないことかもしれないけど、でもわざと嫌われることもないじゃないか。話したって」
 今度はゲンドウがため息を漏らした。
「知る権利などというものはただのわがままに過ぎん。自らの欲求を満たしたいがために作り出された言葉だ。詮索好きが人の領域に土足で踏みいるために作り上げた理屈に過ぎない。そんなものに付き合って、この十年を無駄にするつもりは俺にはない」
「父さん……」
「もし、仮に話したとしてどうなる? 同情してもらい手を貸してもらうか? 誰が手を貸そうなどと思うというのだ? これもまた俺のわがままに過ぎんのだからな」
 シンジはあごを引くと、ぎゅっと固く瞼をつむった。
「ずっと昔……」
「…………」
「ずっと昔……父さんはいったよね? 僕がこんな風になってすぐのころに、僕に……。母さんを取り戻すって」
「ああ」
「本当に……やれると思ってるの?」
「わからん」
 ゲンドウは素直に口にした。
「ユイは初号機に取り込まれてしまったが……初号機の中にユイの魂ともいえるものは見つからなかった。残されていたのは物質的なデータのみに過ぎなかった。それすらも今はお前を取り戻すために消費してしまったが」
「うん……」
「だが見方を変えれば、ユイの体を構成していたデータは全てお前の中に保管されているといってもいいはず。ならばユイの魂はもっとも形の合う器に……お前の中に戻ろうとするかもしれん」
「アスカがね……いったんだ。人って魂と体がばらばらになっていても生きていけるような作りになっているんじゃないかって」
「あの子が?」
「うん……自分の魂を僕に抜き出せっていうんだよ。それで僕と一緒に生きるって」
「そうか……」
 じっと見つめる。
「魂はお前の中に、そして人としての肉の身はお前の隣に。できるだろうな」
「うん……。だけどさ? 逆はできるのかな……僕と一緒に戻ってもらったとしても、僕は人を一人作り出せるんだろうか?」
「できる……と考えるほかあるまい」
「でも!」
「それでもまだ神の領域にはほど遠いはずだ。お前でなくとも肉の身は科学によって生み出せる。だが魂は科学にも、お前にも作りだせん。ならばまだこの程度のことと思えるはずだ」
「うん……」
 ゲンドウは顔を落としたシンジの肩に手を置いた。
「死者を取り返すことはできん。だが俺たちが求めているのは死者ではない。生きたまま黄泉への街道を下っていった者たちを呼び戻すこと。それが目的のはずだ。──お前は誰を捜している?」
「……コダマさんだよ」
「それでいい」
 ゲンドウはシンジを置いて、地下へと歩き出した。
「ユイも頼む。俺が願うのはそれだけだ」
「うん……わかってる」
 シンジは拳を握りしめた。
「わかってるよ、父さん」
 シンジは改めて昔のことを……父に打ち明けられたときのことを思い返してしまうのだった。


 ──それはアスカが、セカンドチルドレンとして登録を受けてから、しばらくたってのことであった。
「父さん」
 その時、シンジは怯えていた。
「僕はどうなるの?」
 しかし父は冷たかった。
「どうにもならん。どうにかなるわけではない。お前はお前のままだ」
「でも僕はかわっていくよ……わかるんだ。なにかがかわったって」
「だがそれを感じているのはお前だけだ。隠したいのならそうすればいい。好きにしろ」
「好きにって……」
 その物言いがあまりにもそっけないものだったから……。
「父さん」
「なんだ」
「父さんは……僕のことなんて、どうだっていいの?」
 その質問は最後通牒に近いものだったかもしれない。
 それでも父を揺るがすことはできなかった。
「ある意味ではそうだ」
「……そうなんだ」
「ああ……」
 シンジには父の顔を見上げることなどできなかった。
「俺はユイを愛している」
「…………」
「そのユイが慈しむ者を愛している。お前もだ。ユイの愛する存在だからこそ俺も慈しんでいた……ユイのいない今、お前を気にしたところでなんになる?」
「そっか……」
「取り戻したいのなら……あの穏やかな日々に戻りたいというのなら、俺に手を貸せ」
「父さん!」
 勝手に話を打ち切ろうとする父を呼び止めた。
「父さん……母さんは、生きてるの?」
 父はゆっくりと、重く、告げた。
「生きている」
「死んだんじゃないの?」
「生きている。俺はそう信じている」
「でも死んじゃったかもしれないじゃないか!」
「それで楽になりたいのならそう思え。だが俺は信じん」
「とうさ……」
「ユイは生きている。そのユイを取り戻す。俺はそのためだけに存在している。そういうものだ。お前が望むものは今の俺の内にはない」
 シンジはサングラスの向こうに、父が遠い目をしているのを見てしまった。
 それは過去を見ているのだろうか?
「俺は……止めるべきだった。なにがあっても彼女に搭乗実験などさせるべきではなかったのだ。ユイが望む事だからと耐えようとした。だができなかった。仕方がないなどと諦めることなどできなかったのだ」
 世界の運命など知った事かと彼は言い切った。
「何億、何十億もの人間に平和と幸福を与えたからといってなんになる? そんなものは知ったことか。俺は俺の幸せを求めるのみだ。そして俺の幸せとはユイにある。ユイの犠牲の上に成り立つ世界など許すわけにはいかん。たとえユイを取り戻したことで世界が崩壊を始めようとも、俺はこの世が潰れてしまうまでの間をユイと過ごす」
 ──たとえ。
「たとえ……そのためにユイに口汚く罵られようともな」
 シンジはその会話が、正確に、いつ交わしたものであったのか? どうしても思い出すことができなかった。
 もしかすると、別の機会に話した言葉が混ざり合っているのかもしれないし、頭の中で反芻する内に整理してしまっていて、多少脚色などを加えてしまっているかもしれなかった。
 それでもだ。──大筋が変わってしまっているわけではない。
(僕はまだ……父さんほども生きてない)
 それでもだ。
(これからまだ八十年? 九十年……百年は生きることになるかもしれないんだ)
 こんな後悔を抱えたままで。それこそゾッとする話である。
(死にたいよ……逃げ出したい。昔の僕がそういうんだ。楽になりたいって、でも)
 だからこそ、ギュッと拳を握り込むのだ。
(コダマさんは僕に何かを期待して消えてしまった。洞木さんたちはお姉さんが消える原因になってしまった僕のことを憎んで行った。嫌なんだ……今もどこかで僕のことを考えてる人がいるのかもしれないなんて、そんなの)
 ──冗談じゃないよ。
(僕を憎く思って……殺したいと思って、でもそんなことをするわけにはいかないって耐えて、我慢して……。そんな人がどこかにいるだなんて冗談じゃないよ)
 ──そして。
(勝手に消えちゃったコダマさんもコダマさんだよ……。へんな期待してくれちゃってさ。無視することも、忘れることもできないじゃないか)
 どうして? いつかそのように、幽霊のように迷い出てきそうで。
「はぁ……アスカにもカヲル君にも格好付けてみてるけど、本当はその程度の動機なんだよな」
 シンジは冗談とも取れる口調で、本音ともとれる言葉を漏らしたのであった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。