「まあ? どうせシンジ君一人だけ……ってことはないだろうなとは思っていたけどね」
翌日のネルフ本部内、小会議場である。
実験に関する説明については、自分の部屋か、会議室で行えばよいと思っていたのだが、念のためとリツコは会議場を押さえておいたのだ。
詰めれば百人ばかりが入れる部屋の、約七割が埋まっている。
ナンバーズの姿が見えれば、チルドレン登録者の姿があり、どこかで見た顔や、部下、学者諸氏といった人物まで席に着いていた。
「博士達には、そちらにいるよりも、こちらに立っていただきたいほどですが……」
「それは遠慮しますよ」
やんわりと、金髪の男性が辞退した。
「実験前には、質問をする機会をいただきたいとは思いますが……、あなた一人で実験の全てを行うわけではないのでしょう?」
それはもちろんそうだった。
貴重な機会である。観測装置の類はきちんとした形で設置しようと思っていたし、そうなれば一人で全てのデータに目を走らせることはとうていできない。
データなど記録して置いて、後で確認すればよいという人間もいるが、それは素人のいうことだとリツコは思っていた。現場に立てばわかる。
逐次状況は変化する。時には設定数値を振り切ることもあるのだ。そのような時にはその場の判断において、観測装置を調整しなければならないことだってある。
だが……素人にこの作業を任せると、まるで検討外れな設定変更をしかねない。一時的なものであるからと見逃すことはできないのだ。それではデータに意味がなくなる。
必ず予兆のようなものは現れる。それらを見逃さずに後の変化も正しく記録するためには、科学者特有の『勘』の鋭さが必要になる。
つまりは、彼らの協力は、どうあっても取り付けねばならない類のものであった。
「その会議の時にでも、質問は行わせていただきますよ。しかしながら、質問するにも計画そのものがどのような理論に基づいてうち立てられようとしているのか? それを知らないことには口を挟むことすらできませんからね」
それは怖い話ですわねとリツコは社交辞令的に口にした。
重箱の隅をつつくようなやり方でのつるし上げを想像してしまったからだ。しかしながら拒否するわけにはいかなかった。
彼らはその道のスペシャリストだからだ。自分では思いもつかなかった欠点や難点……あるいは見落としていたり見過ごしていたりするような問題点も、彼らなら発見して補完してくれるだろう。
そのためには、分析と称する泣きそうになるほどの否定の言葉をいただくことになるのだとわかっていても、避けることはできなかった。
──もっとも、彼ら科学者連にとっては、リツコの考えなど甘いものとして見えていた。
説明会と称した場で、基礎知識すら持たない自分たちを確定事項で翻弄し、実験を押し切るつもりだろうがそうはいかない。
それが彼らの考えだった。
科学者とはいえ、多くはどこそこの研究所で名を馳せている人物ばかりである。そのような場所では純粋な努力や研究結果、発見だけでは名は上がらない。どうしたって政治的な手腕も求められることになる。
そして彼らはそのような政治巧者であり、少なくともネルフの庇護下で母の名におぶわれてきたリツコには、とうてい太刀打ちなど出来ぬ人物ばかりであった。
──こほんと咳払いをして、当の被験者に目を向ける。
彼は一番前の席、自分のすぐ前に座っていた。その右にはアスカが、左にはレイが座っていた。
アスカはほおづえをついて、話が始まるのを待っている。レイはなぜだかノートを広げてペンを持っていた。何をメモするつもりなのだろうか?
そして真ん中のシンジは、リツコに渡された資料のつまっているノートパソコンを開いていた。
これはリツコが技術開発部に特別発注したもので、莫大なデータを恐ろしい速度で処理してしまうMAGIに走らせている言語を使えるようにされていた。
このパソコンは盗まれたところで、誰にも解析はできないのだ。それができるのは、同じ言語で動いている本部のMAGIだけであり、リツコはこの資料とそれを展開するプログラムに、利用者のチェックシステムを加えていた。
モニタ右側にあるセンサーで、利用者のATフィールドの波長を確認するのである。さすがに低レベルな能力者では差が少なすぎるために話にならないが、シンジほど特殊な波長になれば、このようなシステムも導入できた。
「それでは……この実験の趣旨を説明します」
興味本位で来ていた人間もいたのだろうが、そのような人間は周囲の視線に黙らされることとなった。
ナンバーズにとってはシンジのことは他人事ではないのだ。将来的には自分にも関わりができかねない問題……状態、あるいは話なのである。
チルドレンにとってもそうだが、こちらは憧れの度合いが大きい。
いまだに発現の兆候すら見られないとはいえ、可能性がないわけではない。あるいは子供といった将来の問題になりかねないことではあるし、そういった意味合いでは、好奇心や興味に近いものはあった。
もちろんその中には、不安を抱えている反対派のような立場の人間もいるのだが……。
「……碇」
コウゾウは彼の部屋を目指していて、途中でゲンドウを見つけてしまった。
「なんだ? またか」
「ああ……」
「このところよく下へ行っているな? 不安なのか」
「かもしれん」
珍しく素直だなとコウゾウは揶揄した。
「ユイ君のことでも思い出しているのか?」
そうだと首肯するゲンドウである。
「地下の『樹』とエヴァ……。違いはあるが根幹では同じことだからな」
「取り込まれた時点で本能がどうなるか」
「エヴァとは……、能力とは本能的な直感に基づくところが大きい。それが阻害されれば意図もたやすく発露が封じられ、二度と用いることができぬようになる。それが問題だ」
「……赤木君が、うまく説明してくれればいいが」
「ああ……」
「ふぅ……」
説明会も、シンジ一人だけならまだしも、数十人が相手ともなると疲れが凄い。
たまらずリツコは、途中で小休止を頼んでしまった。知恵熱でも出しそうになっているシンジをおもんばかって……と体裁を取り繕ったのは、ただの見栄であったかもしれない。
会議場からすぐのところにある休憩所である。
リツコはベンチに腰掛けて、両手でコーヒーの入った紙コップを持っていた。
冷たさが手に染みて心地好い。
ベンチは3人がけのもので、横に三列、前後に五つ並べられている。そんな大きな場所なのに、彼女に断りを入れた者がいた。
「隣……よろしいでしょうか?」
かまいませんよと話しかけてきたものに顔を上げて、リツコはおやっと目を丸くした。
「ゲイツさん」
「どうも」
彼は先ほど、会議場でリツコのぼやきに付き合った男性であった。
手には熱い紅茶の入ったカップを手にしている。
「腰、冷えますよ?」
「…………」
「なにか?」
「いえ……そういう女性らしい扱いを受けたのが久しぶりで」
「ああ……」
彼は非常に曖昧に笑った。
「そうですね……なにしろこのような『職場』ですから、肌の荒れだなんだと気にするような女性にはめったに出会えませんし」
ここは冷房が利きすぎていて、ベンチは強すぎるくらいに硬く冷たくなっていた。
ギシリと鳴る。
「引き替えに出来るおもしろさがあればこそですわ……ですがそれでも、捨てきれるものではありませんから……」
「……赤木博士でも?」
「それはそうですわ。これでも家庭には憧れていますのよ? いい人がいればと」
リツコはなぜだか妙な男性の後ろ姿を思い浮かべてしまって、それこそどうかしているなと吐息をこぼした。
「まあ……科学者の業ですわね。それでもこんな自分がもし子供を産んだとすれば、育児はどうするのか? 教育は? その全てが見えてしまって」
「それでも子供は思い通りに育ちはしませんでしょう? 環境による刺激によってどうとでも情緒や思考を変化させる生き物ですからね。人間は」
「わたしだけの子供ではいてくれないから、友達や、教師や、そのほか多くの人に関わって、わたしの手には負えなくなっていく……それもまたわかりますが、もう一つわかることもあるんです」
「なんです?」
リツコは自嘲めいた笑みをもって口元を歪めた。
「わたしが……そんな我が子を疎ましいと感じて見る。そのようなことです」
ほんのわずかだが会話が途切れた。
ゲイツにも、掛ける言葉が見つからなかったらしい。
「これは地雷を踏みましたかな?」
「考えすぎという方もおられますわ。でもわたしにとっては母のイメージが強くて」
「お母様のことは……」
「ご存じですか?」
「それはもう! わたしもさんざん聞かされましたよ。ただ……もうしわけないのですが、憧れるよりも、なにするものぞとの想いばかりが強まりましたが」
後頭部を掻いて苦笑する。
「しかしまあ……井の中の蛙とはそのようなことをいうのでしょうね。ここに来てからというもの、MAGIに頼りっきりとなって、初めてその偉大さがわかりましたよ。痛感しました」
システムアップしたのはあなたかとゲイツは訊ねた。
「それもまた凄い話です」
「そうでしょうか?」
「わたしには基礎理論すらわかりませんよ。……それは子供達も同様のようですが」
彼は会議場へと視線を向けた。
先ほどから、あまり人が来る様子がない。
「どうかなさったんですか?」
「彼ですよ」
「彼……シンジ君が?」
「いえね……いまひとつわかっていない様子で、セカンドは頭がいいようだ。彼女が必死になって解説してくれていますよ。みんなにもね?」
くすくすと笑う。
「彼だけではなかったようで。説明が難しすぎたようですね。他の子供達もついでにと教わっている最中ですよ」
「まあ……」
「ところがその説明も少し違うぞとね。やはり学者というものは口を挟まずにはいられない人種らしい。彼の携帯端末の情報を元にして、あれやこれやと討論を重ねておりますよ」
やれやれとリツコはかぶりを振った。
「彼専用に作ったというのに……セキュリティの意味がありませんわね」
ひきつったような笑い方をしてしまうゲイツである。
「今頃盛大に、引き出せるだけのデータを引き出している最中でしょうね」
「まあ……閲覧できるデータは、誰に見せても問題の出ない範疇のものに設定してありますから、さほど危険はないのですが」
「危険?」
はいとリツコは頷いた。
「全てはエヴァに絡んでくる問題なのです。いいですか? エヴァとは一種魔法のようなものです。先入観や思いこみが、事象を操作して現象とする。使い方としては、そのようなものなのです」
ゲイツはわかりますと頷いた。
「ですから催眠術のようなものが、その力を封じるために利用されてもいる」
「問題は……実験の内容そのものです。これまでのことから色々と推察はできていますが、それでも『端子』に触れた彼がどのような現象に取り込まれることになるのか? それは誰にもわかりません」
「あなたにも?」
「はい」
「それは……危険きわまりないことですね」
だが予測の付いていたことであったからか、彼はただ口元にカップを運んだだけだった。
その動きを見つめながらリツコは話す。
「ですから、例えば、世界を構成する根本元素が渦を巻くような……そうですね、混沌。そんな場所に彼は投げ出されることになるかもしれないし、あるいは別の世界へ……異世界へとたどり着くことになるかもしれません」
「異世界?」
「はい……」
それにはアスカのことが関わってくるのだと、リツコは慎重に言葉を紡いだ。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。