「出迎えご苦労」
やけに尊大な態度だった。
身長はカヲルよりもすっと低い。綾波レイと同じくらいだろう。だが態度がそれを補っていた。
髪は赤で、長く腰にまで伸ばしている。前に流れようとするので、銀のヘアバンドを刺していた。
ほっそりとしていながらも、スーツのためか女性らしい線ははっきりと窺える。顎を引いて、睨み上げるようにしている。きつくひき結ばれた口元といい、妙に険のある感じが目立つ。
そんな彼女の背後には、まず大きな男が付き従っていた。以前カヲルがドイツに戻っていた頃に、彼の補佐を務めていた男であった。
彼女が歩き出すと、それについて少年が四人歩き出した。まるで彼女を守る親衛隊とでも宣言するかのように、隙なく二列になって後を追った。
「ふぅ……」
カヲルは男に話しかけた。
「彼女はどこに行けばいいのか知っていると思うかい?」
まさかと男は答えた。
「ドイツ貴族のご令嬢だ。迎えが並んでいて当然だとでも思っているんだろう。その並びに従って歩けば間違いないともな」
「やれやれだね。じゃあ急いで先導しないと癇癪が落ちるな」
「お前も……兄なら少しはかまってやるんだな。あれは拗ねているんだろう」
しかしねぇと、肩をすくめるカヲルである。
「使える力だからと取り込みの意味合いで引き取られただけの僕だからね。次期当主たる彼女に無礼な振る舞いはできないさ」
さあ行こうと小走りに歩く。
だがカヲルが彼女に話しかけるには、少しばかり時間がかかった。彼女の親衛隊が彼を警戒したからである。
●
──カヲルの実家は裕福であった。
カヲル自身は裕福ではない。あくまでネルフの前身たる研究機関『ゲヒルン』にからんだ研究成果の一つだとして、戸籍を与えられているだけに過ぎないからだ。
彼を引き取るにあたっては、多くの議論が交わされていた。出資者の誰が引き取るにしても、研究成果である彼の魅力を十分に知っていたからである。
誰もがカヲルを欲しがった。
しかしドイツ支部への出資者となると、貴族階級の人間が多かった。中には『現在』力を持っている政治家もいたが、そのような彼らでも貴族としての格を無視することなどできるものではない。
──影響力が違いすぎた。
だがしかし、上位者ともなると下手に養子縁組を組むわけにはいかない。跡取りとして後継者問題に絡まれては困るからだ。かといって適当にと妥協するわけにもいかなかった。
そのような中からカヲルを引き取ったのが、彼女、アネッサ・J・フェーサーの父親だった。
「つまらない部屋ね」
胸を張り、腰に手を当てて鼻を鳴らす。
一望した部屋は何十畳とあるもので、中は窓際に近い十数畳分が一段低くなるように設計されている。
観葉植物はあくまで申し訳程度に置かれている。味も素っ気もないわけではなく、家具もある程度は入れられていた。窓からの景色はとても眺めがよいものだった。さすがに地上六十階だけのことはある。景色を遮るようなビルもなく、青々とした世界がどこまでも広がって、誰もが吐息をつきたくなるような穏やかな光景を見せてくれていた。
「ふん」
しかし、そのようなものでは、彼女の不満は収まらなかった。
「君の趣味がわからなくてね」
カヲルは申し訳ないと謝った。
くるりと回って、彼女は唇を尖らせた。
「ならたまには実家にお戻りください。お兄さま」
いいやとカヲルは遠慮した。
「僕が帰ると君との間で摩擦が起きる。君自身との間にではなくて、君と僕が抱えている派閥の間でね?」
眉間にしわを寄せて、ますます不満げにするアネッサである。
派閥とは使用人たちのことであった。男子の多くはフェーサー卿に心酔している。だからこそ実子である彼女か、彼女の夫となる人物が、爵位を継ぐべきだと考えている。
だが女性たちは違っている。単純なもので、カヲルの容姿にひかれて、彼を党首にと望んでいるのだ。
実際、カヲルは学力の点などでは申し分のない能力を披露していた。人当たりも好いし、見目もいい。
彼の仕事を知らないからこそ、そう好きに言えるのだろう。実際、カヲルなどは論外であるというのが、フェーサー卿の考えだった。
──彼はカヲルの本質を知っていた。
はりついたような笑みは本心を隠すためのものだと。人当たりよくしていながらも、笑うために細めた瞼の奥で、瞳は常に冷めた光を宿しているのだと知っていた。
──それは彼女も感じていたことだった。
ただし、立場をわきまえろと釘を差されているからだろう……だから自分たちは嫌われているのだろうと思っていた。
渚姓を名のらされていることへの反感もあったのかも知れないと思っていた。
しかしそれが間違いであると知ったのは、先日、カヲルが帰国した時のことであった。
「…………」
「なんだい?」
ん? そんな風に柔らかに笑い、首を傾げる義理の兄に、彼女は不覚にも頬を赤らめてしまった。
それくらい、今のカヲルは、魅力を感じる人になっていた。
●
「カヲル君に、妹?」
シンジは目を丸くして驚いた。
「なんだい?」
そんなシンジに、やや傷ついたような顔をするカヲルである。
「僕に家族がいちゃおかしいかい?」
「そんなわけじゃないけど……」
おそるおそる訊ねる。
「カヲル君とその子って、仲いいの?」
「悪くはないよ」
「でもさ……」
「いいたいことはわかるよ」
苦笑する。
「ごめんよ。ただの冗談だよ。そんなに焦らないで欲しいな」
「カヲル君の冗談はわかりづらいよ……」
「そうかい? まあ、本当に冗談なのかって聞き返されない分だけ、シンジ君とは話しやすいよ」
二人は総司令執務室から、少し離れた場所に立っていた。
通路の途中である。目立つことこの上ないのだが、この先には総司令執務室があるだけだ。
人がやってくる気配はない。
「あの子がカヲル君の……」
シンジはカヲルの後をついてやってきた少女を脳裏に浮かべた。
『あなたが碇シンジ』
訊ねるのではない。まるで敵を確認するような口調だった。従っていた少年四人も険しく反応していたから間違いない。
「僕……嫌われてるのかな?」
「嫌われるような覚えでもあるのかい?」
「たくさんね」
「へぇ……」
「恨まれるっていうのはわかんないけどさ、ねたまれるってのは」
「ごめんよ」
「え?」
「正直、君はそんな感情には疎い方だと思っていたよ。気づいていたとはね」
「ううん」
「へ?」
「僕は全然……でもアスカとレイに注意しろって」
「……そうなのかい?」
「うん。僕は気にしてないんだけどね」
珍しく呆れた目をするカヲルである。
「かなりあからさまだと思うんだけどねぇ」
「そうかなぁ?」
「特に、彼女のような外の人間にとっては、君はかなり目立っている存在なんだよ。本部といえばサードチルドレン。ナンバーズでは碇シンジ。そうなる」
「代表ってこと?」
「そうだね。昔は本部といえばファーストチルドレンだった。そしてドイツでは僕だったけど、その僕も君の前には屈してしまった」
「そんな……」
「僕の力は通じなかった。まああの頃の力の話だからね」
「今はどうかなぁ……」
「違う水の味を比べてみても仕方がないさ。どちらも飲めるし害はないよ。でも効果は違う」
「望まれてるって意味じゃ、どっちなんだろ?」
「君じゃあないね」
「やっぱり?」
「僕の力の方が、物欲に凝り固まっている人たちには、明確になにに利用するかが見えやすいんじゃないのかな? ところが君の力はわかりづらいからね」
「アスカがいってた。せいぜい戦争の道具だって」
「全てのナンバーズと交戦しても生き残るのは君か……」
「カヲル君は?」
「僕の力も物理的な制約の範囲内にあることはみんなと変わらないよ。つまりは物量作戦の前には勝てないってことさ」
「そっか……」
「しかし君の場合は根本から違うからね。ただ、通じない。でも君は僕たちに干渉できる。この差は大きい」
「やる気なんて、ないんだけどな……」
くすりと笑うカヲルである。
「その点は、昔の僕のようなものだろうね。昔は僕がナンバーズという『絶対兵器』への切り札だった。ところが今その立場にあるのは君だ。そういう理屈で、君は君のお父さんの権勢に一役買ってしまっている」
「そんなつもりはなくても?」
「そう見えるというだけでね?」
「十分なのか……」
「怖いんだよ。たぶん、僕のイメージがあるからなんだろうけど……。その証拠に僕が行ってきた『所行』の数々を知らない日本のナンバーズは、君をまったく恐れていない。そのイメージがあるからだろうね。僕にも恐れを抱かない」
「どうなるのかな……これから」
「どうにも」
「ほんとうに?」
「それはそうさ。だって、僕の国は必死になっているようだけどね。君がいなくなればセカンドだって半分はドイツの血をひいている。なんとかなる。そう思っているんじゃないのかな?」
血とそこから生まれる高貴な精神は、必ず忠誠心として現れるだろうと思っている。
カヲルが笑ったのはそのためだったのだが、シンジは微妙に顔を歪めた。
『あたし……』
先日、アスカと共に彼女の実家へと行った。その時の言葉があったからだ。
『あたしもね……、もう、帰れないんだ』
帰る場所がなくなったとアスカは言った。その通りなのだろう。おじさんとおばさんは、もはや関係のない世界で暮らしているのだ。
それがアスカのことで壊されることになったとすれば、どうなるか?
(おじさんとおばさんは、アスカをうとましいとか思うのかなぁ……)
僕がそう思われていたみたいに……と。
シンジは、かつて父のことで嫌悪されていた自分と、そんな自分を押しつけられて迷惑だといっていた親戚の人たちのことを思い出して、アスカはどう思うだろうかと考えてしまったのだった。
[BACK][TOP][NEXT]
新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。