「渚カヲルの妹か」
リツコからの差し入れである、シンジと兄弟機にあたるノートパソコンを開いて、ミサトは両腕を組んで唸っていた。
やや考え込むようにして背後へと倒れかける。整えた眉を醜くひそめさせている。
「聞いたことないわね」
顔を上げ、その向こうで必死に課題を解いているアスカへと問いかけた。
「もう会ったの?」
「まだよ」
アスカは片膝を立てて座り、髪に手を突っ込んでぼりぼりと掻いていた。
テーブルの上にはMAGIが作ったという問題集が散乱している。
アスカが窓を背にして座っているのは、単にミサトがノートパソコンを使う都合の結果であった。
日の光が邪魔をして、表示を見えなくしてくれるからだ。だからミサトは部屋を背にして位置を取っていた。
「ふ〜む……」
「なによ?」
さすがに不審なものを感じて、アスカは顔を上げた。
「どうかしたの?」
「どうもこうも……」
ノートを閉じて、傍らに置いていたビール缶を手にして振った。
ちゃぽんと音がしたので口にあてる。
「ん〜〜〜ほらさぁ。外から来た人間ってまずシンジ君に接触を図ろうとするじゃない?」
「……嫌なこと言わないでよ」
「でもねぇ……。いつも顔を合わせてるあんたたちはあんまり気になってないんでしょうけど、シンジ君の力ってのは特別すぎるものなのよ。それこそ昔の渚君みたいにね」
「ふうん……」
「噂に尾ひれがつくみたいにね? やっぱ伝聞形になると恐ろしさが強調されちゃったりするもんなのよね。特に報告書の扱いになると、懸念とかも追加されるもんだから」
「シンジも大変ねぇ……」
「アスカもね」
「へ?」
「だってそうじゃない?」
にやっとして、ミサトは缶を持っている方の手をのばし、アスカの顔を指さした。
「それだけ関心を引いてれば、監視を付けようって話は出てきて当然のものじゃない? あんた耐えられる? 寝てるとこも遊んでるとこも、デートしてるとこもトイレやベッドの中のことだって覗かれるのよ?」
「そんなの……」
「そりゃ今だって力使ってそういうことをやってる子はいるわけだから、気にしたってって思うでしょうけど、問題はそれが監視だってことなのよね。つまりは記録を取られるってことなのよ」
「記録を?」
「悲惨よぉ? 何時何分何秒に小用。使用した水は何リットル。紙はどこそこのメーカーのもので何十センチとか。セックスになると何時何分に開始、何分後になんとかをして何分後にとかね……」
「気持ち悪い……」
「秒刻みで行動や会話……独り言まで含めた全部を、記録として取られてしまうのよ? そしてそれを分析にかけられて、時には『サクラ』によって危険な思想とか発想とかを行わないように考えをねじ曲げられてしまうの」
「……誘導でしょう?」
ううんとミサトはかぶりを振った。
「誘導って言えば聞こえは良いけど、実際にはねじ曲げてるのとおんなじことよ。だって、都合の好い考え方とか、発想だけをするように固定していくのよ? そうして自分たちの予想枠の中でのみ行動するように仕込んでいくの。そうすれば監視はとても楽になるから」
「あたしたちも?」
「ん?」
「ネルフはあたしたちにそういうことしてるの?」
「少しはね」
「そう……」
「勘が良ければ気づくはずよ? なにか違うなって、今の自分に違和感を持ったことってない?」
「ある……」
「でしょうね。シンジ君だって少なからず誘導されてるはずだし」
「シンジが!?」
うんとミサトは頷いた。
「そうじゃない? どうしてシンジ君はこの街に来たの? 残ってエヴァに乗って戦うことにしたの? お父さんにそう仕向けられたって言えばそれまでだけど、シンジ君の生まれの特殊さを考えれば、それもどうだか……」
今ではアスカも知っていた。シンジの母親である碇ユイの出生の秘密のことは。
そしてもう一つ……少しだけ不安に思っていることが心中にあった。
「ねぇ……」
「なに?」
「レイも?」
「え?」
「レイも……レイの子供も、シンジと同じになるのかなぁ?」
ミサトは今初めてその可能性に気が付いたようだった。
「……そっか」
酷く険しい顔つきになる。
もし生まれに秘密があるのなら、レイの身はとても危険だということになる。
「でも……」
どうなんだろうとアスカに問いかける。
「今までそんな動きはないじゃない? だったら上は別なところに『出現』の原因を見ているのかもしれない」
「つまりシンジみたいなのが誕生する過程とかってものは、すでにみんなわかってる?」
「そう考えるのが妥当でしょうね」
確かめるには、司令に直接訊ねるしかない。
それがミサトの出した結論だった。
──ネルフ本部内。第十層六階ナンバーズ学習施設。
ジオフロントは基本的にシェルターとして機能するように設計されている。そのためにこのような学習施設、『教室』も設えられていた。
別に講師がいるわけではない。端末が設置されている個人スペースや、蔵書が棚に並べられている部屋がある。学びたい者は目的別にそのような場所に入り浸っている。
「しかし……わからんな」
紙の本はかさばるし場所も取る。通称図書室はいくつかのブロックを占拠している。蔵書の数は数百万冊を超え、数千万冊にまで達していた。
そんな本ばかりの部屋の中、棚に挟まれた狭いスペースに、四人の少年がたむろしていた。
三人は床にしゃがみ込み、一人は棚に背を預けてもたれかかっている。
彼らはアネッサと共に来日した少年達だった。
「そちらはどうだった?」
「どうもこうもないな」
四人共が同じような顔をしていた。全く同じではないのだが、個性の有り様が似ているのかもしれない。
印象が非常に似通っていて、見分けがつきにくい雰囲気を身にまとっていた。
「ゴリアテやカヲル様についての悪い噂は聞かれなかった。ゴリアテについては彼の取り巻きの一人が使徒化し、ゴリアテ自身も変化して見せたというのに、悪い印象は持たれていない」
「不思議なことだな」
「平和ボケしているんじゃないか? どこもかしこも警戒が緩くて」
それは甘いなと、一人立っている少年が指摘した。
「本部は凄いな。平然と諜報員にナンバーズを徴用してる」
「仲間同士で見張りさせてるのか?」
「ああ……見張られてる方も、見張っている方も、承知の上で行動してる。そしてそれが自然な形として成り立ってる」
「反発もない? 不満も?」
「ないな」
「プライバシーという言葉は?」
「もちろん尊重されてる。覗いたからといっても口にしなければいいだけのことだ。そうだろ? それなら覗いてしまった罪悪感も、覗かれたという嫌悪感もわき上がらない」
「けど……やっぱり、なにかこう」
「今俺たちが集まってるのも見られてる」
「まあ、気分の問題だからな。いいんだが……」
はぁっと立っている少年が腕組みをして嘆息した。
「お嬢様にも困ったものだ。なにもカヲル様にこだわられることもあるまいに」
「贖罪かな?」
「なんに対する?」
「蔑んだことへの……嫌悪したことへの?」
「それはどうだろうかと、考え深く一人が言った。
「あの頃はまだナンバーズではなかった。だからこそお嬢様は利目的で旦那様が拾ってこられた『渚カヲル』という少年を蔑んだわけだ。猟犬として利用され、飼われることを承知して、そのように振る舞うさもしい精神に、あの方の高貴さが耐えられなかった」
「それがナンバーズとなったことで、受け入れる方向へと変わった」
「ナンバーズになって、カヲル様が怖くなったというわけではないだろう。なにかがあったようだが、それは俺たちが詮索していいことでもなさそうだ。しかしカヲル様はどうだろうか? 特にお嬢様に好かれたいわけではなさそうだが」
「好かれて迷惑だと思っていると?」
「嫌われるよりはいい。その程度なんじゃないかな? ただ積極的に好かれたいというほどには考えていないだろう。だからさ、カヲル様はお嬢様のお気持ちを知らないのかもしれない。気づくほど注意していないんじゃないか?」
「……そういうことか」
「そうだ。……お嬢様はなにかを取り繕いたいのだろうが、そのことはカヲル様にとっては覚えておく必要もないほど些細なことに過ぎなかった。だからこそお嬢様のお気持ちを汲んでくださることはない」
「……お嬢様か、カヲル様が、どちらかの気持ちに気づいてくだされば」
「お嬢様では、だめだろうな。それでもと自己完結するだけに思える。カヲル様に対してなにかを埋め合わせたいのだろう。自分の気持ちを納得させたいのだろう。そのための行動なのだから、やめはしないだろう」
「カヲル様は?」
「さあな……カヲル様なら、気づいてさえくだされば、当たり障りなくお嬢様をいなしてくださるかもしれん」
「……それはそれで」
「うん……カヲル様は、お嬢様よりも気になっている人がおありらしいからな。やはり適当の域を出ないだろう」
「どうする?」
「どうにもならないな」
全員に外に出ようと促す。
「積極的に好かれたいと思うような気持ちが欠落されているカヲル様だ。お嬢様のことを面倒だとはお思いになられても、今更無条件の好意を抱いてはくださらないだろう」
それだけ……どうでもよいと見限ることが一番楽な道だと思わせるほど、昔の関係は酷かったものなと、皆が思った。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。