「ともかくだ」
こほんと咳払いをして、コウゾウは自分の存在を主張した。
「日本では時代遅れだとされることでも、欧州やそのむこうがわでは立派に理屈としてまかり通る話なんだよ。祖父や祖母が権力にものを言わせて息子、娘から子をまきあげるという話はね」
「そんな……」
「だが日本では日本の法律がまかり通るし、なにより君は日本国籍を持つ日本人だ。国際的に見てもその手紙の主のもくろみがどれだけ無茶なことであるかは口にするまでもない」
「じゃあ?」
「問題はその日本の法律にあってね。君は日本の法律で考えれば保護者が必要な未成年だ。自分の意志による拒絶だけでは、せめて一目会って話したいという祖父母の申し出を断り切ることはできない」
「どうしてですか? だって、それこそ勝手じゃないですか」
「そう思うのは君たちだけだよ」
コウゾウははぁっと吐息をついて立ち上がった。
よっと……などと口にしてしまう辺りに老いが見える。
「形骸化しているとは言え、未成年に対しては児童育成などに関する法律が残っているからね。『老い先短い』人間の願い出を無視するなんて、許されないことだとは思わないかね? それも、遺産や形見がどうのと言い出されては、断れまい」
アスカはなんとも言い難い目をして紙切れを見た。
「老い先短い……ですか」
「もちろん文面通り受け取るようなことをしてはならないのは当然だがね」
「どうするべきかと言えば、無視するべきですね」
「渚……」
カヲルは乱れた襟を正して、アスカの隣に立った。
「確かに僕と惣流さんは誤解されるようなことをしたかもしれませんが……」
ちらりとだけシンジを見る。
「あいにくと、終わった関係でもあります。いまさら蒸し返されたくはありませんね」
「ふむ……」
どうするかとゲンドウを見る。
「くだらん話だ」
「そういうな」
「だが事実だ」
子供達に目を向ける。
「むろんナンバーズの中でも特異な『進化』をたどっているセカンドチルドレンだ。おいそれと本部から出すわけにはいかんとこの申し出を握りつぶすことはできる。ここに呼び出したのは意思確認のために過ぎん」
「意思確認ってなにさ?」
シンジの問いかけにはコウゾウが答えた。
「ああ……つまりだね。わたしたちはこの話をないものとして処理しようとしていたわけだよ。君たちの耳に入らなければ、それはなかった話だということと同じだろう? だが知られてしまった以上は、惣流君の保護者に連絡を取って協議しなくてはならなくなる。しかし君のお父さんは裁判ともなると立場が非常に弱い」
「あたしが態度を決めてないと、話にならないってことですね?」
「そうなるね」
「じゃあ決まってます……あたし、別に興味なんてないし」
「それは彼にかね? それともお母さんの実家に?」
「……両方です」
ふぅむと唸る。それはそれで問題が深くなるらしい。
「……さきほども言ったがね。君が子供であるとされる以上は、完全に無視することはできない。どうしても保護者などの協力が必要になる」
「はい……」
「君はどうしてそんなにここに居たいんだね?」
「そんなの決まってます」
「シンジ君がいるからかい?」
アスカは顔を赤くしてキッと睨みつけた。
「あんたは黙ってて!」
「でもねぇ」
カヲルは告げる。
「シンジ君はいなくなる」
アスカはドキッとした。そして次に鬼のような形相をして睨みつけた。
「あんたなに言い出すのよ……」
「ごめんよ。永遠にとは言わないよ。実験が失敗する。シンジ君が死ぬ。そういう意味じゃなくてね」
ますますきつくなるアスカの視線に冷や汗を流す。
「今度の実験。僕たちの時間間隔では一瞬のできごとになるかもしれないし、あるいは何十年、何百年、何億年のことになるかもしれない。そうですね?」
「ああ……」
「そんな……」
「どんなことが、どのように起こるのか? なにがどうなって、どのような形が導き出されることになるのか? まったく予想が付いていない」
「…………」
「だけど、シンジ君の不在が長期に渡った場合はどうなるのかな? その間に君は大人になる。大人として認められる歳になる。そうなれば相手も大人しくはしていないだろうね。今のように碇さんや君の保護者を通じたりはせず、直接接触してくるはずだ」
「ええと……いいかな?」
「なんだい?」
「どうして今は直接会いに来ないの?」
「それは向こうの法律に抵触してしまうからさ。未成年の子供を親族とはいえ親の承諾無しに連れ去ろうとすれば問題になる」
「でもそれが普通なんでしょ? さっき冬月さんが……」
強引に連れ去ることもと言っていた。
「それは親の言うことに子は逆らえないという前提があっての話だよ。子は泣く泣く我が子を差し出すしかない。でも今の世の中は時として子の方が親よりも社会的立場や権力を持っていたりするからね」
「ふうん……」
「あの人達……貴族って人種は、未だに過去の威光が通じるものだと思っているんだよ。市井の徒は権力者の声を前にしてはありがたくひれ伏すものだとね。そんな優越感を与えてくれる者たちばかりに囲まれて暮らしてる。嫌な人たちさ」
「渚?」
不思議そうにしたアスカに、カヲルは苦笑して内心を吐露した。
「みっともないところを見せてしまったね……お詫びするよ」
「なんなの?」
「だから……僕はそういう人たちばかりに囲まれて育ってきたというわけさ。僕はそういう人たちに見下されて生きてきた。ありがたいお言葉にはひれ伏さなければならなかった。そしてお声をかけて頂けたときにはありがたがらなければならなかった。そうしないと不興を買うことになるからね」
「気に入らなかったんだ?」
「馬鹿にしていたんだよ。そんな人たちを。そしてそんな人たちに媚びを売らなければならない自分を」
「ふうん……」
「その自棄になるような気持ちが僕をナンバーズに対する処刑執行人として成り立たせていた。今は……ちょっと恨まれたいとは思っていないんでね。自粛しているけど」
話を戻そうと、カヲルはゲンドウの前に立った。
「あなたも意地の悪い人ですね。僕たちにコミックショーをやらせるために呼び出したわけじゃないでしょう?」
ゲンドウはにやりと笑って見せた。
「そうだ」
「ではどういう意図があるわけですか?」
「簡単なことだ」
ゲンドウは単刀直入に訊ねた。
「シンジ」
「なに?」
「もう関係は持っているのか?」
真っ赤になるシンジである。
「そんなのあるわけないだろ!?」
「あってもおかしくは……」
こほんと咳払いをしたのはコウゾウであった。
「そうではないだろう?」
「ああ」
言い直す。
「お前がこれからしようとしていることには、一つだけ問題がある」
「問題?」
「そうだ。お前は自らを触媒にして、己を失いつつある存在に、自己を思い出させようとしている。だがお前自身はどうだ? お前という存在を維持し続けるためには、この世に対する未練のようなものが必要なはずだ」
「未練……それって」
「そうだ」
アスカを見る。
「例えば彼女だ。あるいはレイだ。それ以外については知らんが……」
「アンタ他にも」
「いないって!」
「……そのことについては言及せん。多ければ多いほど、お前はこちら側との繋がりを保ち続けようとするだろう」
「変な言い方してるけど……繋がりって?」
「死者が旅立つ世界はあの世と決まっている。そこが有を生み出す混沌であるのか、あるいは全てが消失していく無の空間であるのかはわからん。だが向かう先はその究極に達する手前の世界だ」
「そこでまどろんでるはず……ってことでしょ?」
「そうだ……が、自分が解放されていくという感覚はあなどれん。心地よさにまどろんでいる内に拡散してしまうこともあるだろう。それを防ぐためにはこの世への未練、あるいはわだかまりといったこだわりが必要だ」
「だから……って言われても」
「レイはどうした?」
「レイ!?」
「ふん……臆病者め」
父として鼻であざ笑う。
「よくそれで女の後を追うなどと言えたものだな。失望したぞ」
シンジはくやしげに歯がみした……が。
「……それってなにか違うんじゃない?」
「僕もそう思うよ」
小首をかしげるアスカの隣で、カヲルが失笑を堪えて苦労した。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。