「シンジ君……」
「なに?」
「こういうことを、日本では、資源の無駄遣いというんじゃないのかい?」
「……ちょっと違うと思うけど」
 久方ぶりに……めったになく、自分の意志で力を使用しているシンジである。
 用法は結界仕様だった。目的は綾波レイから逃れるため。それだけである。
「時間稼ぎが関の山……」
「言わないでよ。四六時中つきまとわれてる身になってよ」
 カヲルはふぅっと嘆息しつつ肩をすくめた。
「贅沢な」
「だって……」
 口を尖らせるシンジである。
「もしかすると、もう逢えなくなるかもしれないんだからとかいうんだよ? 考えたくもないけど、実験が失敗したら? お別れになっちゃうかもしれないっていうんだ」
「それは……興味深いねぇ? どういう心境の変化かな?」
「からかってるんだよ」
「ん?」
「だから……もしかすると最後になるかもしれないからデートしておこうとか、旅行に行こうとか、一緒に寝ようとか、お風呂に入っておこうとか」
「ははぁ……なるほどねぇ」
「でね? デートっていっても普通のデートじゃないんだよ。なんだか夜のコースとかスケジュール組んでるし」
「それで逃げ回ってるのかい?」
「うん」
「素直に気持ちをもらっておいても良いんじゃないのかい?」
 シンジはうらめしげにカヲルを見やった。
「わかってるくせに」
「ん?」
「父さんだよ! 父さんが変なこと吹き込むから」
「ああ……。あの、未練がどうってやつのことかい?」
「そうだよ! アスカもアスカだよ……前だったらレイを出し抜こうとか絶対考えてたはずなのに」
「今は共闘してるのかい?」
「うん……今の力が使えない状態じゃ、僕をつかまえることなんてできないからってさ、妥協したんだって」
「妥協?」
「……あの世だろうがどこだろうが、どんなに生まれ変わったって女の子二人に迫ってもらえることなんてないでしょう? だってさ」
 もちろん美少女がどうとか強調した上に、魅力たっぷりに迫られたのは言うまでもない。
「あんたって幸せモンよね! だってさ。他にこんなに好い場所はないでしょう? 絶対戻って来んのよ。だって」
「正妻に愛人……男にとって都合の好い世界か」
 ああ、見えるようだよと大げさに語る。
「そんな甘い蜜に騙されて、戻ってきた途端に「はぁ? アンタばかぁ?」と手のひら返して独占しようとする彼女の姿がね?」
「レイもそれを警戒して出し抜こうとしてるみたいで」
 ぴりぴりしてるんだ……と妙に疲れた表情で口にする。
「見せかけだけの平穏かい?」
「その内もうやめだって言うに決まってるよ」
「で……」
 もういいかな? カヲルは自分たちを連れ込んだ四人に目を向けた。
「そんなわけでね。あまり長居はできないよ」
「……サードの力で追跡は免れているのでは?」
「いや……あくまで『ファースト』の力に干渉しているだけだよ。でもそこだけ『視る』ことができないとなれば、怪しんでくださいと言っているようなものだろう? アイン」
「わかりました」
 四人とはアネッサが伴ってきた少年たちのことであった。
 場所は本部内……地上に登るためのステーション近くの倉庫である。
 配線用のケーブルなどが束ねられて積まれている。人差し指と親指で作った輪よりも太いケーブルだ。束ねられているそれはまるでタイヤだった。
「目が悪くなりそうだよ」
 申し訳程度の照明が灯されている。
「それで? 僕たちを呼び止めて、なんの用だい?」
「いえ……」
 四人の内、代表となったのはアインだった。
 特に意味はない。強いて言えばアインと名を呼ばれたからだった。
「俺たちは、あなたに話があっただけで……」
 はたと気が付くカヲルである。
「そうか! しまったな……てっきり僕たちに話があるんだと思って……」
 じゃあ……そう口にして去ろうとするシンジの裾を、カヲルはくっと握って引いた。
「僕を捨てて行くのかい?」
「捨てるだなんて、そんな……」
「いいのかい? 結界の外に僕を置いていっても。彼女たちは喜々として僕を捕らえに来るだろうね。そして僕に力を使うよう強制するんだよ。確かに僕では君の力を封じることなんてできはしないよ。でもね? 乱すことはできるんだ。いままさに君が彼女の力に対してそうしているようにね」
「うう……」
「逃げ回った分だけ、追求も加熱するんだろうねぇ……今度こそ貞操の危機かも」
「わかったよ!」
 シンジは降参して大人しく部屋の隅に座り込んだ。
「どうせ僕なんて」
「後で彼女たちには説明しておいてあげるよ」
「たとえば?」
「そうだねぇ」
 おもしろがって、少年たちに目を向ける。
「こんなのはどうかな? 妹のことについて彼らと内緒話があったんで、君に眼と耳から守ってもらえるようにお願いした……とかね?」
 ぎくりとしたアインたちに、やっぱりかとカヲルは頷いた。
「彼女のことかい?」
「そう……です」
 アインは無意識の内に襟元に指を入れて引っ張っていた。


「単刀直入に申し上げる……カヲル様はアネッサ様のことをどうお想いなのでしょうか?」
 赤い目を丸くするカヲルである。
「どう……とは?」
「あの方のお気持ちは、おわかりになられているはずですが」
「その話だったのか……」
「……なんだったとお思いで?」
「いや……どうせこの街の案内をするよう、伝えてこいとか無茶を言われたんだと……」
「それもありますが」
「あるのか……」
「ですがそのことにもかかってきます。あなたはアネッサ様の気持ちをお知りになった上で、はぐらかしておられるのではないのですか?」
 肩をすくめるカヲルである。
「正直……そういう面はあるよ」
「なぜなのです?」
「なぜって……」
 そんな簡単なことを訊くのかい? と、カヲルは顔に表した。
「僕にとって彼女は養い親の女子(おんなこ)に当たる存在なんだよ? 生まれた年では兄になっても、その家に誕生した順序では逆転することになる。僕は彼女の弟的な立場になるんだよ。だから姉と見て敬愛すること、兄として慈しむことはできても、愛しようとは思わないね」
「なぜです?」
「養い親に対する裏切り行為になるからさ。背信するような真似はできないよ。それもあの人たちほどの実力者となればなおさらだ」
 ではとアインはさらに訊ねた。
「なぜそのことをアネッサ様にお伝えにならないのですか?」
「彼女に絶望を与えろと?」
「それは……」
「彼女はまだ乙女であり、夢を見ていたい年頃なんだよ……見せてあげていればいいと言うのが、僕と、あの人たちとが持っている共通の意見だよ」
「あの人たち?」
「お養父さんと、お養母さんのことさ」
 アイン達は驚愕からか狼狽しきった姿を見せた。
「ご存じであると?」
「それは知っているさ。大事な一人娘なんだよ? つねに監視の者は付けているだろうし、観察もしているんじゃないのかな? 僕はてっきり、その役目も仰せつかって来たものだと思っていたけど?」
「我々が……ですか?」
「ネルフは特殊な場所だからね、ナンバーズでもない者は入り込めないよ。例えばそれがミューゼンのようにしっかりとした社会的立場と実権を持った紳士であってもね」
 ミューゼンとは彼ら五人と共に来日した大柄な男性のことである。
 彼はアネッサのために駐車場で待機しているはずであった。
「ふむ……違うとなると、妙だな」
「妙? とは……」
「だって、そうじゃないのかな? 悪い虫でもついたらどうするんだい? 強引な真似をする能力者だっているかもしれないんだよ?」
「日本では事件の発生率は低いと……」
「でもゼロじゃない……そして、表層化していないだけの事例もある」
 微妙な声の硬さに気が付いたのはシンジだけだった。
 シンジもカヲルと同じことを思い出していた。それは昔々のことである。
 とある少年が少女を暴行しようとした。これをいさめようとしたのはカヲルだった。
 ……そして介入したのがシンジであった。今では懐かしい話である。
「第一向こうの状況はさらに酷かったはずだよ? そんな世界の人間がマシだという話を聞いたからって、不安をぬぐい去ることができるかい? 所詮は……そう発想するのが当然だよ」
「ではどうであると?」
「既に潜り込ませている手勢があるのかもしれないね。そっと影から観察しているのかもしれない。君たちのことも含めてね?」
「わたしたちを? なぜ……」
「それは君たちが若くて健康的な男の子だからだよ」
「は?」
「……彼女が使うべき駒を選別するつもりなんだよ。逆に彼女に手を出そうとするようでは話にならない。そういうことさ」
「血迷うかどうか……そのテストもかねているというのですか?」
「欲情するかどうか? あるいはいらぬ欲を抱くかどうか……腹に何を隠しているか? それを表に見せるようでも話にならない」
「試験であると……」
「もちろん僕の考え過ぎかもしれないけどね」
 でもと続ける。
「僕は常にそんな目にさらされて来たんだよ? 一つでも間違った言動をすればどうなるか? そんな緊張感と恐怖心の中で己を育んできたんだよ。環境に対する唯一の逃避方法がそれしかなかったということさ」
 彼らは知らない間に体をこわばらせてしまっていた。
 カヲルから吹き出している冷気のようなものに当てられたからだ。
「わかるかい?」
 冷笑を浮かべる。
 最近ではあまりしなくなった微笑を見せる。
「そんな状況下で彼女との間に正常な関係を育めたと思っているのかい? 僕にとってのあの子とは、ただの課題の一つでしかなったんだよ。養父母に気に入られるような姿勢を取りつつ、あまり親しくなりすぎて余計な不興を買わぬように徹底しなければならなかった」
 まぁもっともと苦笑に変える。
「僕ももう子供ではない……大人とも言い切れないけどね。それでも子供ではなくなったと思っているよ。だから少しは反省している」
 その範疇でならと断りを入れた。
「兄としての態度を取り繕い、彼女との関係を改善するのも悪くはないと思っているよ。ただ君たちが心配しているようなところにまで、その気持ちを発展させるつもりはないさ」
 わかったかい? ……と、カヲルは安心させたつもりでいたのだが、それは間違いであった。
 彼らは決して、主人とカヲルとの関係を懸念していたわけではなかった。過去の冷徹なものがなりを潜めてきている今のカヲルなら問題はないとさえ考え始めていたのだ。
 ドイツに戻ってきた時のカヲルには驚いていた。あまりにも変わっていたからだ。しかしここは敵地であるのだから、『フィフスチルドレン』に戻っているかもしれない。それが怖かった。
 彼らが嫌っているのは渚カヲル個人ではなくて、職務を遂行する執行人としてのフィフスチルドレンなのである。その対象の内には主人も含まれているだろうし、自分たちもいるだろう。
 だからこそ、怖かった。
 だからこそ、今は恐怖を感じない。
 役目であるからと自棄を起こしていた時期とは違って、そうそう暴力的には力を振るわない。それがわかっただけでも、彼らは肩から力を抜けた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。