「では……」
 喉が渇く。
 しかし……なりを潜めているというのは、言い方を変えれば影を潜めているだけだとも言える。その人格を見せていないだけで、決して消してしまったわけでも、なくしてしまったわけでもない。
 それを思い知ったからこそ、口にするのも緊張を強いられることになった。
「あのお方のお気持ちには、気づかぬふりを続けると?」
「今の僕は夢中になれる女性を捜しているところさ」
「例えば……ラングレーの?」
「彼女かい? 彼女はここにいるシンジ君のものだからねぇ……怖くて手が出せないよ」
 よく言うよ……とは、シンジのつぶやきである。
「サードチルドレン」
「シンジで好いよ」
「ではシンジ様。あなたはカヲル様とはどのようなご関係なのですか?」
「は?」
「友達だよねぇ?」
「友達……なのかな?」
「酷いよシンジ君」
「友達っていうのは一緒に遊び回ったりするような人のことなんじゃないのかな?」
「ふむ……じゃあ今度でかけないかい?」
「どこに?」
「彼女たちの言い分ではないけどね」
 両手を広げてにこやかに微笑む。
「僕も最後になるかと思えば想い出の一つくらいは欲しいからね。キャンプなんてどうかな?」
「キャンプぅ?」
「そう……幸い芦ノ湖があるからね。キャンプ場で数日遊んで来るというのはどうだろう? ああ……君たちも一緒にどうかな?」
「わたしたちも?」
「もちろん、あの子もね?」
 そう言って茶目っ気たっぷりに片目をつむる。
 そんな冗談をするような人間とは、心の奥底から信じることができない彼らは、それもまたなにかのもくろみがあるのだろうと、受け取ってしまっていた。




「あら、お姉様」
 げぇっと吐いたのはアスカであった。
「あんたねぇ……そのお姉様ってのやめてよ」
「あら? でも将来的には本当にお姉様になられるのですから。わたくし楽しみにしておりますのよ?」
「……だったらその演技口調やめろっての」
「なにか?」
「なんでもございませんことよー!」
 おほほほほ────っと口元に反り返らせた手を当てて笑うアスカである。
「それで、このようなところでなにを?」
「シンジを捜してんのよ。アンタ知らない?」
「存じませんわ」
「あ、そう」
「お姉様は、お兄様のことは?」
「……なんでアタシが?」
「それは……お姉様とお兄様の関係を考えれば、どこそこに行くと伝え合うくらいのことはあるのではと」
 ふぅんとアスカは目を細めた。
「アンタってさぁ……」
「はい?」
「そうやって牽制して、なにが狙いなの?」
「牽制……ですか?」
「あっからさまに気に入らないんですわよ。おほほほほーってさ? 皮肉って馬鹿にして……。でもボロを出すのを待ってるってのも変だしね? それって普通はお兄ちゃんと彼女の仲を裂いてやろうって思う妹がすることだし」
「…………」
「アンタわかってんでしょ? アタシも渚もそういう感情持ち合ってないって。周りが勝手に言ってるだけだって。それなのに煽ってアタシになにを言わせたいわけ?」
 叱りつけるわけでもなく、苛ついているわけでもない言い方に、アネッサは嘆息に似たものを漏らした。
「お気になさらないでください……ただの嫌がらせですから」
「あ、そう」
「にゃにするんでふかぁ!」
「正当な仕返しよ」
 背後から口内に人差し指を入れて左右に引っ張ってやるアスカである。
「で、レイ。わかったの?」
 ──もふ♥
「もふ? なに猫口になってんのよ?」
「いや〜〜〜、なんてぇかさぁ」
「なによ?」
 あ、まさかっと思うアスカである。
「っていうか首! なんで首絞めるの!」
「アンタまたなんか美味しい展開先読みしたんでしょ!? 吐きなさいよ!」
「ヤダ!」
「アンタねぇ!」
「アドバンテージは稼がせてもらいますぅ♪」
「なにがアドバンテージよ! アンタ協定破る気!?」
「それはそれ。これはこれ」
「どこがどれなのよぉ!」
「後でわかるんだから好いじゃない。じゃね!」
「あ! こらちょっと!」
 スゥッとレイの姿が消えてしまった。首をつかんでいた手がすかしを食って空ぶった。
「ちくしょう! アイツまた変な技覚えて……」
「今の……なんです?」
 アネッサは目を丸くして驚いていた。
「消えた……瞬間移動? でもファーストの能力は未来視なのでは?」
「違うわよ」
 乱れた髪に手ぐしを入れてかき上げるアスカである。
「あいつの能力は量子の流れを読めること。そしてある程度は干渉できることよ。量子の流れから先読みを実現してるの。それは未来視と同じことでしょう? 今のはその量子の流れに乗ってみせたのよ。自分が跳びたい場所に流れてる動きを見つけて身を任せたのね、きっと」
「……どうしてわかるのですか?」
「はぁ? アンタばかぁ? それくらいちょっと考えればわかることじゃない」
 おおよそ彼女に対して『馬鹿』などとのたまったことがある人間はいなかったのだろう。
「ば、ばか?」
 アネッサは咄嗟になんと返してよいかわからなくなり、うろたえるようにしてとまどう様子をアスカに見せた。




「わたくし……」
 窓際に置かせたテーブルについて、ぼうっと景色を眺めていたアネッサは、せっかくミューゼンが用意してくれた紅茶にも手を付けずに、唐突にそうやって切り出した。
「新鮮な感動を味わいましたわ」
「それは貴重な体験を……それで、なにごとですか?」
「ラングレー……、いいえ、アスカお姉様のことですわ」
 ふぅっとこわばった体をほぐすようにのびをする。
 左右の指を絡ませて手首を返し、テーブルの下に強く伸ばした。
「下々……と言い切るのは簡単なことでしょうが、こうまで社会形式が違いますと、高貴な立場の者に対する畏敬の念というものが育ちませんのね」
「ははぁ……小馬鹿にされたと」
「いえ……はっきりと、馬鹿、と」
「それはそれは」
 苦笑する……いや、彼ははっきりと失笑を漏らしてしまっていた。
「価値観が違うということは、それはそのまま言葉が通じていないというのと同じになります。当たり前のことを口にしても、対する人物にとっては非常識となるのですから、意思の疎通に齟齬が出るのは当然です。馬鹿……とは、物わかりが悪いとの意味で口にされたのでは?」
「かもしれませんが……」
 しかめられた顔がおもしろがっているようにも見えて、彼は話をはぐらかすことにした。
「そういえば、アインたちが面白い話を」
「なんです?」
 ようやく紅茶に手を伸ばす。ミューゼンが取り替えようとしたのを手で制してまで口にした。
 もったいない……という感覚があるはずがないから、ミューゼンはそういう気分なのだろうと、このみすぼらしい行為を見逃すことにした。
「カヲル様が、サードチルドレンにキャンプのお誘いをかけたとか」
「へぇ……」
「それからアインたちと、アネッサ様にもお誘いの言葉が」
「そう……でも、キャンプ?」
 ミューゼンは彼女の疑問を正確に読みとって返した。
「避暑地に赴くようなものではなく……そうですね、寄宿学校が行う強化合宿のことが一番適当な想像であるかと」
「ああ……あの精神を鍛え直すとかいう、強制収監所の……」
「まあ、お友達同士のお遊びですから、寄宿学校のような堅苦しいものは抜きになりますが」
「みすぼらしさは同じだということね?」
「はい」
「わかました」
 彼女は優雅に微笑んだ。
「このような東方の地に来ているのですから、そのような下々の真似事を体験するのも良い経験となるでしょう。お兄様にはわたくしから返事を」
 ミューゼンは一際堅苦しく、承知しましたと頭を下げた。



[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。