「で、どうするんだ? あの子のことは」
 唐突な訊ね方をしたのはコウゾウだった。
 総司令執務室の片隅で、暇なのか一人将棋をうっている。訊ねられたゲンドウは、顔を上げると問題ないといつもの調子で口にした。
「キール議長を頼む」
 片眉を歪めるコウゾウである。
「嫌な顔をされるだけだぞ」
「わかっている……それでも無視はできんはずだ。連中にとってもアスカは重要な駒だからな」
「駒か……せめて検体というぐらいに抑えておけ」
「同じことだ」
 皮肉を込めた笑みを浮かべる。
「シンジの例もあるからな……この間の会議でも期待しているようだった」
「より高いレベルでの発現をかね」
「ああ。シンジのように復調したときにはより強い力の発露を見せてくれるかもしれんとな」
「あれ以上となると……想像がつかんが」
「……向こうの連中もゼーレの意向ともなれば諦めるだろう」
「いやゼーレが惜しむほどだからと、余計に張り切るかもしれんぞ?」
「その時は力ずくだろう……なら堂々とシンジにやらせるさ」
「レイに恨まれるな」
 くつくつと笑う。
「それにしても……、アスカか」
「なんだ?」
「お前がレイ以外の女の子を名前で呼ぶと、違和感があるなと思ってな。ユイ君の影響か?」
「そうだな……ユイがアスカと呼んでいたのが残っているんだろう」
「しかしどうするんだ? レイとあの子と、どちらをシンジ君に添わせるつもりだ?」
「自分たちで選ぶだろう。……うまくいかないこともある」
「しかし二人ともということもあるぞ?」
「それならそれでよかろう」
「いい加減な話だな」
「一夫一婦制など誰が決めた? 人間だ。本来は無限であるはずの愛というものを、人間が都合から制限を付けて、一人に注がねば不実であると勝手づけただけだ。それだけだろう?」
「お前が愛を語るか?」
「誰かを選ばなければならず、そのことによって誰かが悲しまなければならないのなら、それはシステムのどこかに欠陥があるということだ。誰も泣かずに済むのであればそれでよかろう? そもそも、常識的な倫理観念や道徳心というものが、後何年もつかもわからんのだからな」
「どういうことだ?」
「京都大学でマグロの養殖を研究していた教授がいただろう」
「ああ……それが?」
「問題は養殖場の大きさにあった。マグロは回遊できないストレスからぶつかって自殺していった。だが例えば水に強いチルドレンを集めたならばどうだ?」
「そうか……海洋全域を養殖場にできるな」
「空も、陸も、地中ですらも同じだ。その範囲は宇宙にも広げられるだろう。人類が苦心して確立してきた努力など意味を成さぬほどにその規模は拡大されるはずだ」
「食糧難が一気に解決されるな。飽食の時代が来る……となれば」
「一夫一婦制などにこだわる必要がどこにある? 人に対して誠心誠意尽くすゆとりがあるのなら、その対象を二人にしようが三人にしようが、それは甲斐性の問題だろう。そして、そんな甲斐性を誰もが持てる時代が来る。あるいは、お互いに養い合って行くのも良いだろうな……。どのみち一人の愛情を独占しなければならないほど、世知辛い世の中ではなくなっていくはずだ」
「まあいいだろう……か。皆そうやって少しずつ心を広くして見逃していく。そんな世界になっていくのか」
「あるいは現状の常識に縛られ続けることを選ぶかもしれんがな。それでも数十年後には国政にもナンバーズが参画しているはずだ。俺が怖いのはそっちだよ」
 なれ合っていくか、あるいは互いを蔑み合うか、それが読めないと口にする。
「まあそのころには俺は死んでいるだろうから、知ったことではないがな」
「……そう言う奴だよ、お前はな」
 コウゾウは半ば本気で吐き捨てた。
 それならお前のどこにユイ君をものにする甲斐性があったというのだ? そう問いかけてやりたくなってしまったからであった。




(……はじめて会ったときの印象は、あか抜けていないという感じだったな)
 ゲンドウが地下へ行くと去った後、コウゾウは昔を思い出し、懐かしんで微笑んでいた。
「読ませて貰ったよ。二・三の疑問点は残るものの、なかなか面白い内容だったよ」
「恐縮です」
 ──京都大学形而上学部研究室。
 資料だらけの部屋だった。教授であるコウゾウの前に立っているのは、まだ若い時分のユイであった。
「それで……疑問というのは?」
「ああ……まあ主にこの神話になぞらえている部分だから、内容にはさほど関係ないのだがね」
 まるで小説を読んでいるようだったよとコウゾウは笑って彼女を見上げた。
 そうですかと苦笑している。自分でもおかしいと思いながら書いていたのだろう。そんな気持ちが窺えて、ユーモラスな一面のある女性なのだなとコウゾウは安堵した。
 というのも……彼女を紹介してきた別学部の教授が、あまりよい噂の聞こえない人物だったからである。
 ──面白い論文を書いてきた子がいてね。君のことを教えておいたよ。
 無理やり教え子達に連れ出された先の飲み会で同席した彼は、どこかの政治結社に出入りしていると噂されていた。ならばその子も……そう考えていたのだ。
「神はいかにして形を得たか……その疑問を晴らすためにまずは人の成り立ちをかね」
「魂の存在を否定することは簡単です。人とは電気信号による形態反射によって活動する肉の塊です。ですがタンパク質からの合成体と違って、魂と呼べるものを宿しています。ですが魂などという曖昧なものでなくても説明は付きます。それはその母胎となった者の脳波……それこそ電気信号ですが、赤子はこれを親の脳から転写しているから……と仮定することで説明ができます。これが時折生まれる前から持っている記憶と呼ばれるものの正体だと思われます」
「本能も似たようなものかね?」
「そう考えられますが……」
「ふむ……夢のない話だが、大抵はその話の方が理屈としては納得できるね」
 立っているのもなんだろうと彼は椅子を勧めた。もっとも生徒が使い古したガタガタと音の鳴るくたびれた丸椅子であったのだが。
「そんな理屈を想像していながらも、君はあえて神と人の解釈から入ったわけだね?」
「太古より伝えられる話が、思いがけず真実を知らしめていて、驚きを与えてくれることはままありますよね? 同じように、神話もまた太古の人たちがなにかをわかりやすく伝えあっていたものなのかもしれません。そう仮定……いえ。単に遊び心からですね。それが思った以上に型にはまっちゃって……あ、すみません」
 最後の謝罪はコウゾウが足下にしのばせていた小型冷蔵庫から、冷えたペットボトルのコーヒーを振る舞ってくれたことに対するものであった。
「そういうことってありませんか?」
「単なる空想や妄想が、思いかけず真実であるかのように形となってしまう……まれにあることだね」
「友達に見てもらったら、小説家か原作者にでもなるべきだって笑われました」
 コウゾウも笑って、そのレポートを一枚めくった。
「神(太陽)はまず世界(次元と空間)を作った。世界は縦横奥行き時間など、無数の線によって構成されていた。これは基(中心)より始まる無限に膨張するいびつな球体であった……この、いびつとしたのはなぜかね?」
「長さや面といった概念が時間に制約を受けるものなら、広がる速度には当てはまる公式があるはずですから……ええと、なにがいいたいかっていうと」
「ああ……わかったよ」
 コウゾウは自分なりの解釈を口にして、それが正解であるかどうかを訊ねた。
「つまり、基準値ということだね? それぞれは一次元なわけだから、これは線……あるいは棒だ。この内の一本の棒の長さを取り決めると、当然各々の棒に比率が設定できるようになる。その比率が必ずしも一であるはずがない」
「まあ……そういうことです」
「……そして、神はこの世界の中にアダム(大地)を作った。ここだ。なぜアダムが大地なのかね。人ではなく」
「そうすると他のつじつまが合わなくなってくるからですが……。まあ地球にはたくさんの命があります。神が自らに似せて作ったものが人……というのが通説ですが、神が自らに似せて作ったのは魂を育む土壌ではなかったのかと」
「……今思ったのかね?」
「わかりました?」
「そうだね……次に進もう」
「はい」
 おかしなやり取りだと苦笑する。
「太陽が命を育むものなのは間違いない。なら大地もだというのは間違いではないかもしれないね。しかしこれだけではあまりに寂しいと、神はリリス(月)をアダムに与えた」
「…………」
「リリスは神とアダムとの間にあったというのは面白いね。……影は光源の数やその角度によって変わるものだ。神の祝福(太陽光)の中で月姫は自らの子(影)を大地に落とした。これをリリム(生命)とするのはショッキングだよ」
「無茶くちゃでしょうか?」
「どうだろう? あまりにも比喩的に過ぎるから難しいんだが、考え方に誤りがあるとは思えないな。専門家でないから想像の範疇を出ないんだが……、高い次元にあるものは、低い次元ではどのように見えるんだろうか? それこそ影のような複数の揺らぎに見えるのかもしれない。なら、我々という生命がより高い次元にある『なにか』が落としている影……なにか見え方の違っている存在ではないとは言い切れないんじゃないだろうか?」
「……混沌」
「なんだね?」
「混沌……ええと、生命の海とか。命はそこから生まれてそこに帰るとか、人の意識が奥底で繋がっているのは、根っこの部分が繋がっているからだとか」
「カラバ……だったか? そういうのは」
「はい?」
「生命の樹。世界樹。その逆さ絵。確かそんなものがあったような……」
「ああ……記憶にはありますけど」
 どうにも思い出せないなと二人で首をひねる。
「まあオカルトやファンタジーの本でも後で読んでおこう。それはそれとして、次元は高くなればなるほど実は下にあるのかもしれないね。そしてより混沌としていく」
「人には理解できない状態になっているんでしょうね」
「ならばそこにあるものは複雑怪奇なものなんだろうね。そしてそれが動くたびに奇妙な揺らめきが地に落ちる。それがリリスであり、リリムである我々かね」
「……そんなところでしょうか?」
「ふむ……だとしてなぜエヴァではなくリリスなのかね?」
「それは……都合というか、なんというか」
「ん?」
「あまりきっちりとした形で書き上げてしまうと、後で不都合や不整合を正すときに、全面を見直さなければならなくなってしまいますから」
「つじつまを合わせる余地を残しておいたと?」
「はぁ……」
「それでは論文失格だろう……」
 コウゾウは呆れた感じで鼻息を吹いた。
「間違いがあったのなら正して人に見せるものだ。つじつまを合わせて整合性を追い求めている文章など、なにがどうとわからなくなる一方だよ」
「……ですよね」
「まあ……これはこれで良くできているよ。今話したような部分を補強すれば十分人に見せられるものになる。中にはここから研究へと発展させたがる者も出てくるかもしれないね」
 ──コウゾウは椅子から立ち上がると、しばらくぎゅっとまぶたを閉じて固まっていた。
「眩暈か……老いたな、わたしも」
 苦笑して、窓の外の景色を眺める。
 そこにはジオフロントの森が広がっている。しかしコウゾウの目はそれらを写さず、過去を見ていた。
 ……もしあの時、彼女がアダムと呼ばれるもの、そしてリリスと呼ばれているものの存在を知っているのだとわかっていたなら、自分はなぜそのように神話になぞらえることにしたのか? まったく別の意味で訊ねていただろうなと考えてしまったからであった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。