雑木林をアインとウィッチが駆け抜けていく。
 小枝が時折邪魔をする。しかしただのシャツにしか見えない彼らの服は、それに破かれることはない。
 見た目通りの素材ではないのだ。
 そしてそんな彼らをカヲルが追い、またアスカたちが追っていた。


 同じ頃。
 一軒家が建ち並ぶ住宅街には不釣り合いな黒塗りの車が、狭い路地に苦労しながらとある家を訪れていた。
「ふん……」
 車から降りた老婦人は、汚らわしいとばかりに鼻と口をハンカチで覆っていた。庶民の空気を吸う気などないらしい。
 アレクはそんな婦人の訪問に、面倒な方がと顔をしかめていた。
「もはや縁は切れたものと思っていましたが? 老ラングレー」
 日本の応接間である。テレビにソファーにテーブル。そんな場所によそ行きのドレスを身にまとっている婦人が腰掛けているのだから、あまりにも違和感が強かった。
 大してアレクはラフなシャツにスラックスという出で立ちである。
 歓迎していないことをあからさまにして応対していた。
「今更なんのご用でしょうか?」
 老ラングレーは、ふんと彼の嫌みを鼻息で跳ね返した。
「あなたとの縁は切れていても、キョウコとわたしの縁は続いています」
「アスカ……ですか?」
「それ以外にわたしがこのような田舎の町にまで足を運ぶ理由があると?」
 彼女はアレクに対して見下すような視線を向けた。
「地球の裏側にまで住処を移せば、わたしの手から逃れられるとでも思っていたのでしょうが……それを姑息と言うのですよ」
「……そのような発想しかできないあなたこそ、心が貧しいと言えるのでは?」
 老婦人は目尻にしわを寄せて笑った。
「言うようになりましたね……昔はわたしに媚びへつらうことしかできなかった男が」
「娘が孫をいつ連れてきてもおかしくない歳になれば、少しは強くもなりますよ」
「そう……それは好いことを聞きました」
 居住まいを正す。背筋を伸ばし、彼女は鋭く眼孔を強めた。
「ではわたしも孫にあわせていただきましょうか? 祖母としては当然の権利でしょうからね」
「いえ? わたしとしては異論があります。あの子の母を捨てたのは誰です?」
「捨てたなどと……」
「見捨て、一族の墓地ではなく、教会の墓地に埋葬させたのはあなたでしょう?」
「……そうですね、一族の者たちを押さえることができなかった、わたしの不徳の致すところではありましょう」
「……ご冗談を。誰があなたに逆らえるというのですか」
「その割には、反抗的ではありませんか?」
「それはもちろん、わたしも世間の仕組みというものを知ったからですよ」
「仕組み?」
「ええ」
 体を前にかがめて、アレクは両の手を組み合わせた。
 挑戦的な発言をする。
「あなたが今更わたしたち親子に関わろうとするのは、あなた自身の持つ力というものが、世間に対して通用せぬようになってきているからだ。違いますか?」
「腹の立つこと……」
「こんな家でも僕が自分の力で手に入れた城なんですよ! それを汚らしいと言わんばかりの態度でいられたのでは嫌みも言いたくなりますね」
「娘はわたせぬと?」
「それがアスカのためになるというのであれば、やぶさかではありませんが?」
「富と名誉を望まぬ者がありましょうか?」
「あなたの持つ富や名誉とやらが、あの子の望むものを与えてくれるとでも?」
「それは……」
「そうでしょう、などとは言わないでください。そこまであなたに失望したくはない」
 アレクははっきりと言い切った。
「あなたはあの子がなにを望んでいるかを知らない。なのにそれを口にするのですか?」
「あの子が望んでいるもの。それは碇ゲンドウの子でありましょう? ユイの子ですね。さすがと申しておきましょうか。これからの世の中核となる組織。その長の子を選ぶ目の確かさを」
 アレクは顔を伏せると、く……くくっと、肩を揺すって笑い始めた。
「なにがおかしいのです?」
「いや……、いや」
 顔を右手で覆って笑いを隠す。
「やはりあなたは間抜けている」
「……無礼ですよ?」
「失礼? しかしあなたはあなたの住む世界の観点から物事を語ることしかできないでいる」
「あの子の望むものは別にあると?」
「それもあります」
「ではなんだというのです?」
「それをあなたに教えて差し上げるだけの親切心など、僕のどこにもありませんよ」
 アレクは内心で舌を出した。アスカが求めているのは罪悪感からの解放であり、シンジという胸のつかえの解消なのだと知っていたからだ。
 まだ子供だから、直線的にシンジと愛し合う形になることでそれを為そうとしている。わかりあう、通じ合っているのだという気持ちを常に確認しあえる関係は、それしか思い浮かばないからだ。
 貞操観念というものもあるのかもしれない。他人と関係を持った人間では誠実さにかける。もし他に恋人が居たならば、幸せだから手をさしのべてやるのだと、いやらしい性格の人間として見られることになるだけだろう。
 そのような心理も働いているに違いない……少なくともアレクはそう見ていた。
 でなければアスカの異様な執着心の理由がつかめないからだ。
「まあ……シンジ君を選んだ目というものには賛成しておきますが。ただしそれはゲンドウのことなど含んではいませんよ」
「その少年にこそ価値があると?」
「ほら! あなたはまた誤っている。価値といいつつそれはどのような価値であるかと、自らの世界観に照らし合わせて考えている。だからこそいつも間違う」
「わたしがいつ間違ったと……」
「間違えてばかり居るじゃないですか……僕もだ。いつでも自分だけの狭い世界に閉じこもり、その中で卑屈になって他人を傷つけている」
「自分一人が大人になったように言うのですね」
「まさか! 自戒しているだけですよ。でなければ僕はまた間違ってしまう」
 彼は体を起こし、老婆を睨んだ。
「あなたはアスカを使い、過去の栄華を取り戻すつもりなのでしょう? その卑しさが身を滅ぼそうとしているとはおわかりになられないのか……」
「あなたにラングレー数百年の歴史の重みを解くつもりはありません」
「結構! だったら僕はアスカの父親として文句を付けさせていただく」
「ほう? ラングレーの歴史よりも重いものがあると?」
「当然でしょう……あなたたちはあまりにも身勝手だ。ラングレーだ何だと自分たちのことだけを考えている。それさえ盤石であれば世界は平和であるのだと信じている」
「妄信だというのですか?」
「あなたたちがいくら平穏でありたいからと願っても、外の世界は動いているのですよ。そしていくら引きこもろうとも、その波はあなたたちを押しつぶす」
「ナンバーズと呼ばれる特異能力者のことを言っているのですか?」
「違いますよ」
 苦笑する。
「あなたがいくら望んでも、あなたはアスカに手を出せない」
「何を言うのですか?」
「あなたはあまりにも世界の動きに疎すぎる……」
「馬鹿にするのもそこまでですよ」
 彼女はぴしゃりと言い放った。
「アレク? あなたのような俗物がなにを口にしようとも、あの娘はわたしのものとなり働くのです。この事実は覆りません」
「結構! なら勝手にしてください。もしあなたの企みが思い通りに運んだならば、僕は素直にあきらめましょう」
 彼女は鼻にしわを寄せた。アレクの小馬鹿にした態度が気に障ったからだ。
 しかし……だからこそ彼女は聞き逃してしまっていた。
 アレクが企みと口にしたことを……彼女が何かを企み働いていることをすでに知っているのだと明かしたことを、彼女は聞き逃してしまっていた。


「日がきついな」
 アインは額に手をかざして空を見上げた。
「まだ朝も早いというのに」
「夏の日差しだからだろう」
「住みにくいところだな……」
「雨季も短くなってきているそうだからな、このままいけば砂漠の国となるんじゃないか?」
「そうなると僕のような人間が役に立つようになるわけか」
 詮もない話だと嘆息する。
「もっともあの国から外に出してもらえるのも、これで最後になるんだろうけど」
「それこそ亡命を試みるか? ネルフ本部にはアメリカの彼のような例もある」
「リ……リック、だったかな? 監禁されてると聞いているけど」
「彼女付きで、裕福にな」
 独り身でそれはきついなと冗談を言って笑った。
「僕には僕を頼りにしている家族がいるからね、彼のような冒険はできないな」
「それが我々とアメリカ人との差なんじゃないかな? 家族も大事だが、自分以上じゃない。うらやましい限りだ」
「そうだな」
 二人は立ち止まると、緊張をはらんだ顔をして神経をとぎすました。
 妙に静かだった……虫の()や、風の(おと)すらも聞こえない。
「捕まった……かな?」
「そういうことだな」
 二人は左右に飛び離れた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。