──半年前。
「こちらです」
 ドイツ支部の通路を、ダークスーツの男性が立派な白衣の紳士と並んで歩いていた。
 左手は一面のガラスとなっている。
 そしてそこには、ウナギに似た奇妙なものを眺めることができた。それは巨人の頭部だった。
 横に四つ並んでおり、その周辺では白衣の者たちが非常に忙しげに働いていた。
「どうした、マユミ?」
 日本と違い、ドイツ支部ではほとんどの作業員が白衣を着て働いていた。
 エヴァに対する認識の差なのかもしれない。彼らにとっては研究の産物であって兵器ではないのだ。
「ごめんなさい」
 マユミはダークスーツの男性に、なんでもありませんと小走りに駆け寄っていった。
「退屈か?」
「いいえ、そんなことは」
 まあ仕方がないなという顔つきになる。
 いくらナンバーズが所属し、彼女のような歳の者がうろついているにしても、ここはテーマパークではないのだから。
 それに苦笑してか、白衣の男性が提案を持ちかけた。
「どうでしょうか? お嬢様には……」


「──ゴリアテ、お呼びだ」
 量産型機のエントリーは、背部ハッチから行われるようになっている。
 背中のパーツが上に開き、そして内部ハッチが左右に展開される。
 コクピットはワンシータータイプの車に似た構造となっているのだが、インテリアはさらに簡素となっている。
 そんな場所からごつい体を出したゴルゴンジュール──ゴリアテは、水の滴る前髪を掻き上げ、不機嫌そうに相手を見た。


「こちらが山岸マユミ嬢だ」
 応接室である。
 豪奢な事務机、その前にあるソファーセット。
 そして申し訳程度に部屋の角隅にある観葉植物。
 所長の座る事務机の向こう側は、支部を一望できる窓となっている。
 ゴリアテはいつものむすっとした表情のままで、怯えているような女の子を見下ろした。
 黒髪のさらっとした女の子だった。年の頃は十五・六に思える。
 野暮ったい黒縁の眼鏡をかけており、口元に目立つほくろが存在していた。
 着ているものは白のブラウスと、黒の上下だ。スカートは長くもなく、短くもない。
 首元には赤いネクタイを締めており、足には暗めの色のストッキングをはいていた。
「お前には彼女の警護を頼む」
 どこかこの場には不釣り合いに思える。そんなゴリアテの観察眼に居心地を悪くしたのか? マユミはもぞもぞと身を動かした。
「わたしがですか?」
「そうだ」
「ですがわたしは保護観察の身では?」
「問題を起こすつもりはなかろう?」
「もちろんです」
「では問題はない」
「はっ!」
 本当に問題はないのだろうか?
 そんな不信感を山岸ゲンゾウは露わにする。
「この少年は……」
「以前日本に渡航していたのですが、少々問題を起こしましてね」
「どのような?」
「なに。ファーストチルドレンと、派手な喧嘩をしたまでですよ」
 そうですかと彼は引き下がるほかなかった。チルドレン同士の(いさか)いなど珍しくはないからだ。
 当人たちにとってはただの喧嘩でも、損壊物の被害額を見る限りでは、到底喧嘩ですませられるものではない……。
 そのような理由から、しばしば重すぎる処罰が下されることがある。ゲンゾウはゴリアテの観察処分も、その類のものであろうと思うことにした。
「すまない。わたしはいくつかの会議をこなさねばならないのでね」
「質問が」
「なんだね?」
「お嬢様はチルドレン、あるいはナンバーズなのでしょうか?」
「いや、違う」
「所長」
「なんだ」
「彼女の立ち入り許可区域は?」
「Bレベルまではかまわん」
「了解です」
「ただし、施設からは出るな。……お嬢さんも、これはお守りください」
「はい……」
「この辺りの土地はまだまだ安全とは言い難いんですよ。それに、研究しているものがものだけに、危ない人間もやってくる」
 脅すつもりではないのですが、事実ですから──彼はそう締めくくった。


 ──ぱたんと扉が閉まる。
「しかし今になって査察ですか」
「それだけ危機意識が高いのでしょう」
 ゲンゾウは持参してきた鞄からファイルを取り出し、正面の席に腰掛けた所長の前に広げて見せた。
「……なるほど」
 そこにあったのは写真であった。無惨なテロの光景である。
「これを、子供たちが?」
「大人たちが、子供たちを使って、ですよ」
「我々の研究では、洗脳行為は能力の発現を阻害するものであると……」
「それはあなたが悪辣な手段というものを知らないがために言える言葉ですよ。ある日、ある時、少年はサッカーボールを手に入れます。それを持って少年は教会に……」
「なるほど。そのサッカーボールの中には、ですか」
「そうです。能力者はSF作品のように複数の超能力を使えるわけではありません。特化型が多く、付けいる隙などいくらでも見つけられる」
「それが不安の種ですか」
「チルドレン──子供たちとはよく言ったものです。本部はよくもまあ何千何万もの能力者たちを擁していながら、問題なく管理運営していられるものです」
「基本的に素直なんですよ。いや……素直になると言うか、素直だから力に目覚めるのか」
「ほう?」
「認識力……自分になにができるのか? できるかもしれないし、できないかもしれない……。そのあやふやな感覚を疑わずに育てるところから発現は始まります。この気持ちに素直になりきれない欲のある者は、大抵が感覚を掴む前の段階で止まります」
「エヴァに目覚めた後はどうなります?」
「一度掴んだ感覚を、彼らは容易には手放しません」
「そのための機構はあるのですか?」
「もちろんありますよ。催眠技術によるものから、チルドレンに頼ったものまでね」


 前を歩く巨漢の男性に、マユミはびくびくとした目を向けていた。
 別段何を口にされたわけでもないのだが、少女としても小柄なマユミにとっては、萎縮してしまうほどの威圧感があるのだ。
 彼に対して自分の背丈は胸元ほどでしかない。それだけで怯えてしまうには十分であった。
「君は」
「はっ、はい!」
「……なにを緊張している?」
「いえ! あの……ごめんなさい」
「君の思考形態は理解しづらいな」
「しこう……はぁ……そうですか」
「まあ、いい。君は自己主張が苦手なタイプのようだ」
「……ごめんなさい」
「あまりネルフ……チルドレンに興味もなさそうだな」
「……恐いんです」
 マユミはおずおずと言った調子で切り出した。
「心を覗かれているかもしれないって、思うと」
 ふんとゴリアテは鼻を鳴らした。
「よくあるうわさ話だな。人の頭をのぞき見ることができる能力者など存在しない」
「そうなんですか?」
「ああ……。本部のファーストクラスならば別のようだが」
「ファースト?」
「綾波レイという。彼女は未来視ができる」
「未来がわかるんですか!?」
「そうだ……が、正確に読みとれるのは数秒から数十秒先であって、数年ともなると誤差が激しく、まず外れるそうだ」
 話しながらであったからか? ゴリアテが歩き出すのにつられて、マユミは隣に引っ張られていた。
「でも未来が見えるなんて……凄いですね」
「本人は気に入っていないようだったがな」
「そうなんですか!?」
「能力者の大半がそうだ……。未来が見えてしまえば挑戦する……意気込むということをする必要性が無くなってくる。下衆な話をするならば、女好きの男が居たとしよう、その男に透視能力があったとするなら、君はその男を警戒するか?」
「…………」
「まあそうだろうな」
 身を固くしたマユミに、ゴリアテはそれが当然だろうと頷いた。
「ところがだ、統計的に見ると透視能力に目覚めた者の大半は、裸体に対する興味を失う」
「なぜ……なんですか?」
「簡単なことだ」
 マユミが見上げているのを意識していないのだろうか?
 ゴリアテは前だけを見て話し続ける。
「いつでも見られるものに、君は興味を持ち続けることができるか?」
「あ……」
「そういうことだ。『楽しみ』がなくなる、薄れるのだな。ナンバーズは誰しもが使いようによっては便利すぎる特異能力を持ち合わせている。ところがあまりにも便利に過ぎて飽きがくるのもまた早い」
「そういうもの……ですか」
「そうだ。これを使って人の欠点を探り出し、恐喝を行うという者もいないわけではないが……」
「なんですか?」
「粛正という言葉を知っているか?」
「……はい」
「力のない者は、ある者をひがむが、能力者にとっては、非能力者は昨日までの自分、友、家族に過ぎない。だからこそなるべく穏便に、平穏につき合い、暮らしたいと願っている」
「……そうですね。そうですよね」
「そうだ。だからこそこの律を乱そうとする者は、はっきりとただ迷惑なだけのものでしかない。──力を得、それを破滅的な方向に向ける者は、発現以前の段階ですでに周辺環境に問題を持っている者たちばかりだ。銃と同じだな。ある日、耐えかねて、爆発する。銃を探し出し、それを向ける」
「…………」
「力を持っているからと誤解されがちだが、罪を犯す者の要因となるものは、なんら特殊なものではない……だから社会的規範、道徳、倫理観念に従って生きて来た大多数の人間は、ナンバーズとなった後でも、同じように法を守っている。誰も、友達はなくしたくはないからな」
「はい」
「粛正と言ったのはそういう意味でだ。犯罪利用する者は家族、あるいは社会に対して不満を持ち、復讐を考えている者であるからだ。このような者たちが事件を起こすとき、彼らはそのような意味合いの大義名分を掲げようとする」
「実際に、なにかあったんですか?」
「今のところはないが……多少の事件は発生している」
「その人たちは、どうなったんですか?」
「逮捕した後、能力を封印し、刑務所、鑑別所、少年院……そのような場所に送られている。我々ナンバーズが起こす犯罪は、能力を使ってはいても、基本的には非能力者が起こす事件と変わらないものだからな。自然と裁きもそれに照らし合わされることになる」
「……封じる事って、できるんですか?」
「忘れさせるんだ。我々は感覚的にこの能力を発動させているだけだからな。そのキー……鍵と鍵穴の形を記憶から削ってしまえば」
「記憶をいじったりするんですか!?」
「薬物と催眠術によってな。聞こえは悪いが通常医療の範疇で行われる『手術』だよ。実際力を無くし、ただの人間に戻りたいと願うナンバーズもいるんだ。彼らにも用いる手法である以上、社会復帰できないような後遺症を残す方法ではいけないだろう?」
 そうですよねと、マユミはほっと小振りな胸に手を当てた。
 ──能力者でもあるまいに。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。