「了解」
ゴリアテは受話器を戻した。
壁際の内線専用器である。それからあまりの騒ぎように酔い始めているマユミを呼んだ。
「はい……」
「大丈夫か?」
「ええと、はい、大丈夫です」
嘘つきだなとは思ったが、責めるようなことでもない。
それに彼にもそろそろわかってきていることがあった。ここで口にしたならば、きっとごめんなさいと謝るだろうなと想像ができた。……内罰的であるというほどではないにせよ、この少女はどこか問題を自己責任にしてしまいたがるところがある。
だから彼は、気をつかったのだった。
「なにか所内で問題が発生したらしい」
「問題ですか?」
「いつものことだ。気にするほどのことでもない」
「そうなんですか?」
「ああ。扱っているものが扱っているものだからな。それで大げさなくらいの対応が取られることになっている……だが実際にはあの程度のものだ」
顎をしゃくる。その先を見てマユミはほっと胸をなで下ろした。
まだ宴会を続けているからだ。
「……例え本当の事故に発展したとしても、彼らにはエヴァがある。だが君にはないからな」
行こうとゴリアテは促した。
「お父さんのところにお連れするようにとのことだ」
「はい」
「それほど恐いか?」
「え?」
「普通、こういう時、親の元に戻れると聞くと、子供は安心するものだと思うのだが……」
いいえ、そうじゃないんですと、マユミは言いつくろう様子でそれに答えた。
「で、リュン、どうなんだ?」
「はい」
──所長室。
呼び出されたリュンは、大あわてでファイリングした資料をめくった。
至る所に書き込みがある。
「反応が検知されていたのは0.05秒です。ケーブル関連にショートした跡が見つからないことから、間違いなく使徒細胞から発せられたものだと見ることができます」
「その後の反応は?」
「ありません」
「前には?」
「ありません」
「ではなぜ急に?」
「その時間帯に各所で目立ったことが行われていなかったか確かめてはいるのですが……どれも平素の域を超えるものはありませんでした」
「では監視装置外では?」
「ATフィールド発生のような、細胞を刺激するパルスは確認されておりませんので」
「調査するだけ無駄か……」
「はい。本部はなんと?」
「こちらの判断に任せるそうだ。必要とあらばエヴァの破棄もかまわんと言ってきたよ」
「エヴァの破棄を!?」
リュンはそんなと悲鳴を上げた。
「あれの開発にはどれほどの時間とお金をかけたと思って!」
「だが使えないものを取っておいても意味がない」
「使えない?」
「使徒化するという可能性が否定できないのでは、使用はおろか実験すらも許可するわけにはいくまい?」
「そう……ですね」
「エヴァンゲリオンについてはすべての作業を中止する。調査班は引き続き解明を急がせろ」
「はい」
「反応を示した廃棄分については?」
「四十キロほどでしょうか? その周辺二百キロ分も隔離してあります」
「監視はナンバーズを動員しろ」
「はい」
「ああ……それと」
「なんでしょうか?」
そうだなとわずかに考える。
「Bとゴリアテをその中に入れておこう」
「あの二人をですか!?」
「いかんか?」
「ゴリアテはともかく、Bは……」
不安げな顔つきになって、彼女はどうだろうかと進言した。
「Bか」
「ゴリアテ……」
ふんと鼻を鳴らし、彼はゴリアテを睨むようにした。
ブロンドの少年である。先ほど訓練室で軽く絡んでいた少年だった。
「お前も呼び出されたのか」
だったら来るんじゃなかったなと少年は舌打ちする。
「それほどの事態だと言うことだろう」
「問題はこれか?」
「ああ」
施設地下にある対爆仕様の実験室である。
爆発を吸収する特殊素材でできた壁は、発泡スチロールのプレートを球形になるよう張り合わせていったかのような陳腐さがある。
しかしその素材の出所は、かつて存在していたアメリカ支部となっていた。宇宙開発用に発明された素材の流用品である。
中央には巨大な水槽が用意されていた。縦四メートル、横に十メートル。内部には白い肉のかたまりが沈められており、黄色の羊水が注入されていた。
電極が射し込まれてあるのだが……配線の繋がる計測機器には、なんら反応が見られない。
「おい」
Bは手短な研究員に声をかけた。
「どういうことなんだ?」
「こっちもよくわかってないんだよ」
その白衣の職員は肩をすくめて見せた。
右手にはペンを、左手には書類を貼り付けた下敷きを持っている。
「エヴァに使用された素体肉の廃棄分なんだそうだけど、処置後に生体反応を出したらしい」
「はん? じゃあ処置ミスだろう?」
「現在はなんの反応も見られない……だから処置は完璧……と思いたいんだがな」
「なんだ? それ……」
「つまりこれまで廃棄したものについても、間違った処置をしてたんじゃないかって話になってるんだよ。処置方法そのものに間違いがあって、反応がないことから勝手に正しいんだって思いこんでいたんだとすれば?」
「廃棄した肉全部が蘇るかもしれないってのか?」
「そういうこともありえるって話らしい」
じゃあ忙しいから……そうその研究員は離れていった。
「どう思う?」
「最悪の事態を見越しているんだろう」
「最悪?」
「あれは本部で確保された使徒細胞からの培養物だからな」
「使徒が再生するっていうのか!? ここで!」
「発生初期段階の使徒はさほど強力なATフィールドを展開できない……ならばこの室内で使用できる爆発物で十分処理できるはずだ」
「そのための俺か……」
ゴリアテは彼から離れて、目の端に止まったリュンへと歩み寄っていった。
手上げて呼び止める。
「リュン」
「ゴリアテ」
「大事になっているようだな」
「ええ」
ファイルを即席で設えられている台に置き、ペン尻で頭を掻いた。
「やってられないわ……もしこれで問題が発覚したらと思うと」
「どうなる?」
「良い? 今のここの存在理由って、エヴァの開発そのものにあるのよ? もしエヴァは廃棄、研究は中断なんてことになったら」
「施設の閉鎖もあり得るか」
それが恐いのよと、彼女はゴリアテに座るように促した。
立っていられたのでは小声で耳打ちできないからだ。身長差をなくしてくれと、机の縁に腰掛けさせる。
「いい?」
良人のように身を寄せる。
「昔のドイツの雰囲気、忘れたわけじゃないんでしょう? あの渚カヲルが支配していた時代のことよ」
時代というほど古い話でもないのだが、それほどまでに今と昔とでは空気が違った。
「みんな行く当てがなくってここに集まってきてるようなものなのよ? それなのにここが閉鎖されるなんてことにでもなったら」
「そういうことか」
「本部……アースが受け入れてくれれば良いんだけど」
「心配するのは早いだろう」
「でもアースの総帥はあのカヲルなのよ?」
ゴリアテはようやく彼女の懸念に突き当たった。
「お前はカヲルのフリークだと思っていたが」
「まさか! 寝ても覚めてもあいつの顔が思い浮かんでくるのよ……。いやらしい、それでいて醒めた目をしてこっちをじっと観察してるの」
「…………」
「それである朝起きたらこの顔よ……ホント、嫌になるわ」
「ではあの話は?」
「嘘よ。そうとでもしておかないとやってられないじゃない?」
なるほどなと頷くゴリアテに、彼女はその能力についても解説した。
「あたしみたいな能力って、犯罪をするにはもってこいのものでしょう? だから」
「それは知ってる……随分といじめられたとな」
「そんな生やさしいもんじゃないわ」
大声で話せることだからか、彼女は身を離した。
「あの頃は最悪だったわ……。ちょっとした事件があるとすぐあたしのところに来るのよ。それからその時間帯には何をしてたか、ですって」
「だが骨格を見れば……」
「顔だけを変えられるなんて話し、ノーマルが信じてくれるわけないでしょう?」
「それもそうだな……」
「すぐに事情聴取だなんだってね? それが嫌なら常に人の居る所にいてアリバイを作っているしかないんだもの。でもあたしたちエヴァと一緒にいてくれる人なんて居るわけないじゃない」
もちろん能力者同士では意味がないのだ。それでは結託しているのだと疑われてしまうだけなのだから。
「もちろんノーマルとうまくやってても同じなんだけどね……結局は隠して生きるしかなかったんだから」
「それも難しかったというのだろう?」
「そうね」
寂しげに微笑む。
脳裏に浮かんでいるのは、はじめてその力を皆に自慢して見せたときのことだった。
──こんなことができるようになった。
驚いた友達。だがすぐに好奇心から喜んでくれた。しかし次の日、聞いてしまったのだ。
曲がり角一つ。その先であいつはお化けだ、怪物だと怯えている、その声と言葉を。
ある日突然に力に目覚めることになる。特に今の世代は無邪気だった頃に発現した者が多かった。
明るく打ち明けて、反応の冷たさに愕然とした。そういう少年少女期を過ごしてきている。
──そして今も。
「わかるでしょ?」
「ああ」
「力を使えないようにしてもらったって、使えたという事実がある以上、誰もそんなこと信じちゃくれない……」
「ここは聖地だというわけだな?」
「そうよ。あたしたちの砦。アースは所詮あのカヲルの城だもの」
(そういう誤解があるのだな)
ゴリアテは自業自得だろうがなと、信用のないカヲルのことを笑ってやった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。