「はぁ……」
 マユミは後ろ手に戸を閉めて、物憂げな吐息を独り、こぼした。
 背後ではミサトとシンジの会話が聞こえる。襲っちゃだめよん? そんなことしませんよ! そんなじゃれ合いの声がする。
 マユミはここで寝るようにと指定された部屋を見渡した。
 窓からの月明かりの中、薄ぼんやりと見える世界には、それなりに人の生活している雰囲気がある。
(葛城さん……結構可愛い趣味してるんだ)
 それなりに大人の女の部屋ではある。揺れて踊るカーテン。マユミは少し寒いなと窓を閉めることにした。
 鞄を邪魔にならないように隅に置き、窓を閉め、そして使えと口にされたベッドに寝ころぶ。
(知らない人の臭い……)
 呼吸するたびにそれが鼻につくので仰向けになる。
 腕は軽く曲げて上に伸ばし、足も広げて楽にする。
 髪とスカートが広がって、ベッドの面積を広く使う。
 こんな時、遠慮してベッドを使わないと、余計に気まずくなることがある。
 だから勧められたとおりにする。そんな自分にマユミは自己嫌悪を覚えたのか? 横になって手足を縮めた。
 丸くなる。
 そしてドイツでのことを思い、心の整理に努めようとした。


「なんだ!?」
「下……だな」
「下? あれか!?」
「他にはないだろう」


 ──二分前。
 地下対爆実験場。
 そこでは上の騒ぎに関係なく、回収された廃棄肉に対する調査が続けられていた。
「まだ静かにならないのかな?」
「それよりどういうことなんだ?」
 彼らの気は急いていた。
 騒ぎが大きくなってから、突如としてあれほど静かだった計測器に、はっきりとした反応が現れていた。
「ゲインを下げろ、振り切れるぞ」
「どうなってるんだ……」
 彼らは水槽を見てぎょっとした。
「形状が……変わってる?」
 外側の肉が内側に潜り込み、動いた分だけ内側の肉が外側に引きずり出されている。
 ただの肉の塊であったものが、皺だらけの団子へと変貌していた。なによりも底に沈んでいたというのに、今では水槽の中程に浮かんでいるのだ。
「どうする?」
「ゴリアテとBを呼び戻せ! 大至急だ!」
「俺たちは……」
「反応はどうなってる!?」
「ATフィールドの発生を確認! パターンが周期的に変動しています」
「主任……」
「なんだ」
「ねじれ出しています」
「なんだと?」
 見てくださいと彼は指さした。
 肉の塊は上から下に、九つほどの筋を等間隔で走らせて、順に右に、左にと、交互にねじれて回り始めていた。
 回転速度は酷くゆったりとしたものなのだが、一回転ごとに外殻の色が黒ずんでいく。
「固まっているのか?」
 誰かが彼の袖を引いた。
「主任、退避しましょう」
「あ……ああ、そうだな」
 資料を! 彼は部下に命じたが、それは遅かった。
 彼らの慌ただしい動きに反応してか? 使徒化した肉塊は追うようにして水槽より浮かび出た。
 水しぶきを飛ばし、したたらせながら上昇する。
「まるでまつぼっくりだな」
「言ってる場合ですか!」
 子供たちに付き合っていると、どこか神経が緩くなってしまうのかもしれない。
 彼はのんきな上司を叱咤すると、実験場より引きずり出して、ドアロックのパネルを拳で叩いた。
 ──そして爆発に伴う激震に見舞われたのである。


「ゴリ!」
「くっ!」
 ゴリアテはマユミを片腕で抱き上げた。そしてへたり込んだままの少女はBが肩を貸して引きずった。
「きゃあああああ!」
 マユミが悲鳴を上げる。
 彼女の悲鳴を耳にしてか? 巨人は再び活動を開始した。四人を追うように右腕を伸ばす。
 あまりに太い腕が、道を押し広げながら追ってくる。壊しながら掘り進んでくる。その恐怖にマユミが堪え切れなくなる寸前、彼らはなんとか逃れ得た。
 格納庫渡り通路の終わり、壁のところで、エヴァンゲリオンは肩を詰まらせたのだった。いくら腕を伸ばしても獲物までは届かない。エヴァはついに諦めたのか? 腕をめり込ませたままで停止した。
 踏み台にしていた固定台から、ギシリと嫌な音が鳴る。
「はぁ、はぁ、はぁ、ねぇ、どういうことよ? ねぇ! どういうことなのよぉ!?」
 喚く少女に、Bは怒鳴りつけるようにした。
「だから! 危ないから! 研究所を閉鎖しようとしたんだろうが! それを勝手に戻ってきて、危ない目にあって、文句言ってんじゃねぇ!」
「けどぉ!」
「エヴァ製造のために使用されていた素体肉に、使徒化の兆候が発見された」
 ゴリアテの説明に彼女は慌てた。
「じゃ、じゃあエヴァは使徒になっちゃったの!?」
「かもしれないし、違うかもしれない」
「そんなぁ……」
 しかしと悩んでいるのはBである。
「あれは本当に使徒化したのか?」
「さあな?」
 ズズゥンと、静かな響きが足を揺らした。
「エヴァじゃないな」
「お前はその子を連れて行け」
「お前はどうするんだ?」
「俺は彼女を」
 しかし彼らは逃げるという選択肢を取れなくなった。
「ゴリアテ! B!」
 顔見知りの警備員がやってくる。
「無事だったか!」
「ああ。なにが起こっている?」
「使徒だ。上が神経質になってたやつが本当になったらしい」
「間違いないんだな?」
 そうかと彼はBを見た。
「悪いね」
 そのBは、彼から無線機を借りてリュン女史を呼び出していた。
「繋いでくれるか、捜して欲しいって……居たなら早くっ、リュンか?」
 ゴリアテに目配せをする。
「俺だ。ゴリアテも一緒だ……状況は聞いてる。それより頼みがあるんだ」
 非常に声を小さくする。
「一番最初に信号発生した時間……わかるか?」
『わかるわ、なに?』
「その時間の訓練室の様子は? カメラは撮れてるか?」
『もちろん、それは……』
「照らし合わせてみてくれ。何かわかるかもしれない」
『わかったわ』
 彼はその無線機を借りたままにすると一言頼み、ゴリアテの元に歩み寄った。
「良いな、ゴリアテ、本気を出せ」
「…………」
「承認許可は俺が出す」
「良いだろう」
 え? マユミは震える体をなんとかしようと、二の腕をさすっていたのだが、ゴリアテが奇妙に変貌する様に目を奪われてしまった。
 ゴリアテの頭から股にまで、まっすぐに線が走って切れ始めた。
 左右に分かれていく。そして左側は背を回って右腕へと巻き付いて行く。
 皮が剥がれた。そういった表現がぴったりと来る。そして皮は巻き上げってねじれを持った槍となった。
 ゴリアテの小さな手にすっと収まる。
「あ、え? あ」
 そこに立っているのは女の子だった。
 自分よりも遙かに背丈の高かった相手が、今は自分とさほど変わらぬ華奢な少女となっている。
 ゴリアテはそんなマユミをちらりと見やって、ぶつくさと口にした。
「……ナンバーズを見た目通りに見てはだめよ」
 口調まで変わっている。
 ちっとBが舌打ちする。
 こっそりとマユミにささやいたのは、先に声をかけてくれた警備員だった。
「あいつ、本部の綾波レイさんのファンでね」
「綾波……あっ!」
 ようやく気が付く。
(そう言えば、そっくり……)
 何度かテレビで見ているアースの『総統』、その側によく見かけられる特異な髪と瞳の色を持った女性。
「ゴリアテがそれを隠してるのが気に入らないのさ」
「え? それって」
「うるさいぞ」
「あちっ!」
 警備員の右袖がちりっと燃えた。
「危ないじゃないか!」
「ふん!」
 行くぞとBはゴリアテに対し顎をしゃくった。
「その子を頼む……リュン博士の下に連れて行ってくれ」
「避難させるんじゃないのか?」
「ここからならそちらの方が近い」
「……わかったよ」


 もちろん警備員の彼にも、その不自然な願いになにかしらの理由があることはわかっていた。
 わかってはいたが……それを問いただしているような時間はなかった。
「お前も気づいたか?」
「……わたしの方が近いわ、使徒には」
 当然でしょうと、ゴリアテは返す。
「……そのしゃべり方、なんとかならないのか?」
「ファーストチルドレンに接触したせいよ……せいだ。彼女のパーソナルデータに汚染されてしまった。今更消し去るのは難しいな」
 二人で通路を素早く駆ける。
「共鳴? 共振? 彼女──山岸マユミの恐怖心が、わたしの心を揺さぶっている。まるで呼ばれているかのようだ」
「やっぱり……そうなのか」
「リュンに連絡したのだろう?」
「ああ、結果待ちだ」
「証明はそれで十分としても」
 二人はそこで足を止めた。
 寄ってくる震動に注意する。次第に大きくなる地震は、ついに彼らに足を折らせた。
 膝立ちになり、壁に体を押し付けるように耐える。そんな二人の目前、五メートルほど先の地点に異常は生まれた。
 道が傾き出す。盛り上がっていく。そしてガリガリと異音が鳴って、ついには頂点が爆発した。
 まき散らされる残骸。回転し、穴を広げようと削りながら出てきたのは、黒く変わった肉塊であった。
 うにのように棘を生やして、削り取るための刃としている。
 ゴリアテはATフィールドによって破片を遮断した。
「下がるか?」
「どうするか……」
 二人は悩んだ。
 この使徒は自分達の背後へ向かおうと転進した。この道の先を逃げているあの子を追っているのは明白だった。
「だけど意味がわからない! どうして彼女なんだ」
「彼女のなにかが惹きつける……それの意味がわからないことには止めようがないな!」
 ゴリアテは槍を両手で持つと、柄で床を叩いて踏ん張った。
「ぐっ!」
 派手に金の色が瞬いた。
 使徒とゴリアテのATフィールドがぶつかり合う。
 火花のようにATフィールドの残照が散る。
(大きい!)
 手出しができずにまぶしさから目を腕でかばうB。彼は使徒を分析しようと試みた。
 使徒は天井と床を貫いている。しかし中心と思わしき部分は自分達と同じ高さにあるのだから、上下でおよそ四メートルと言ったところだろう。
 内部は空洞に見えた。頭頂部と最下部だけは中心にある芯のようなもので繋がっているのかもしれない。回転している部位は内側のない輪だと思えた。遠心力によって輪となり、回り続けているのだ。
「リュン頼みだな」
 Bは干渉を諦めた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。