カヲルにアネッサ、マナ、マユミ……それにシンジでの茶会は、奇妙な構図を生むことになった。
カヲルが腰掛けたのはマナの隣であるし、シンジが席としたのはアネッサの横である。
マユミは一人、本来は上座となるべき席に座らされてしまっていた。
「でも変じゃない?」
疑問を口にしたのはマナであった。
「なんで上座があるの?」
「変かな?」
「だってさ、上座ってここなら渚君の事務机がそうなるんじゃないの? マユミが座ってる椅子って背を向ける配置になるし」
「でもねぇ……」
カヲルは背もたれに腕を引っかけて、周囲を眺めた。
──広すぎる。
「この距離ではね……」
「それもそうか」
事務机からでは大声を出さねば伝わらないだろう。
それほどまでに、無駄に広いのだ。
マナは紅茶に口を付けた。
「ん〜〜〜っ、おいしい!」
「ありがとうございます」
にっこりと笑むアネッサに、マナもまた微笑みを返した。
「アネッサ様って、どこから紅茶の葉を仕入れてるんですか?」
様と付けているわりには訊ね方が下品である。
アネッサは小首を傾げ、意味がわからないと態度でも示した。
「ご質問の意味が……」
「だって……ね」
照れ恥じらい、カップの縁を指でこする。
「アネッサ様がお店で紅茶の葉を選んで買い物をしてるところなんて、想像できないじゃないですか」
「霧島さん?」
カヲルは呆れたように吐息をこぼした。
「君は本当に文明人かい?」
「え?」
「この世にはネット通販というものがあるじゃないか。それに……アニーには実家というツテもある」
「ああ、家から送ってくるんだ、そっか」
「でも、買い物というものにも興味はあるのですが……」
おやっとシンジは、アネッサの顔をのぞき込むようにした。
「したこと、ないの?」
「はい」
いけませんかと、照れ恥じらう。
「そのようなことには、お許しをいただけませんでしたもので!」
あげくに拗ねた。
「でも……それは問題だねぇ」
「カヲル君?」
カヲルは全員の注意が集まるのを自然に待った。
そのような間の取り方を身につけてしまっているのである。
「アニーもそれではいけなくなってきているのさ」
「なんのこと?」
「嫌な話さ」
肩をすくめる。
「アニーはフェーサー家の跡継ぎを生むべき人間だからねぇ……。そうなれば口にする物に関しては、酷く気を遣わなければならないんだよ。少なくとも、無頓着ではいけないのさ」
「はぁ……」
「体質だけではなくて、妙な病原菌が含まれていないか? 時には毒に対しても毒味役が必要になる」
「スゴ……ほんとにあるんだ? そういうのって」
「今はアニーの執事役としてやって来ている彼がそういうことをしているよ」
ふうんと、たまに見かける大柄な男のことを思い起こした。
「じゃあ、そういう力のある人なんだ? あの人って」
カヲルはそれを否定した。
「彼はエヴァなんて持ってない、ただの人間だよ」
え!? っと驚く。
「普通の人が、毒味役とかやってるの!?」
「そうさ」
「それって危なくないの? 見逃したり、毒にやられちゃったりとかして」
「もちろん、そういう危険ははらんでいるさ」
けどねぇとカヲルは彼のことを弁護した。
「彼は人と獣ほどに僕たちとは違うんだよ」
「違うって?」
「たとえばだけどね? 獣は敏感に毒があるかどうかを見分けるだろう? ところが人間にはそれができない。彼らは生まれつき執事となるよう教育を受けてきている人間なんだよ。執事とするためだけに作られ、執事となるよう必要な知識、教養、そして技術を教え込まれ、そして大人になるよう、すべてをプログラム通りに育て上げられてきている人間なのさ」
へぇっとマナは感心した。
「でも、そんなの逃げ出したくならないのかなぁ?」
「もちろん……自分のあり方に疑問を抱く人間がほとんどだよ。そうして脱落していくからこそ、残った彼には賞賛の声が高いのさ」
「はぁ……」
マナは惚けように顎を上げた。
「ホント、信じられない世界の話ね」
「まあそうだろうね」
苦笑する。
「意外と、だからこそ発症率が低いのかもしれないね、大人は」
「発症率?」
「エヴァのさ……僕たちは力に頼るけど、大人には知恵と経験がある。だから目先の便利なものに頼る必要がないんだね」
で、と彼は話を戻した。
「アニーの話だったね? 彼は間違いなくアニーよりも先に死ぬことになるんだよ。これは彼が年上である以上仕方のないことなのさ。そう……定理だね」
いきなりなにを言い出すんだろうと、彼らは怪訝な目をしてカヲルを見やった。
「そんな彼の庇護の元にあるアニーは、とても微妙な立場にあるのさ。主として仰ぐべき存在なのか? それとも利用するべき者であるのか」
「利用って?」
「血のことさ」
「血……」
「そう……血。フェーサーの血だね。アニーが子を産むことしかできないような女であるなら、我が家の長子にと妻に望むことで利用できる。でもそれだけはないのなら? 僕という後ろ盾のこともある。となれば下手に手を出すよりも、放逐することが適当であるかもしれない」
恐る恐るマナは訊ねた。
「放り出されたら……どうなるの?」
「別に?」
「別にって……」
「その時はその時さ」
肩をすくめる。
「アニーは自分で働いて、自分で食べていくことになる。それだけのことさ」
「なんだ、それだけなんだ」
「そう……それだけ」
でもとカヲルはシンジへと目を向けた。
「でもそれだけのことがアニーにはとても難しいんだよ」
「そうだろうね」
「シンジ?」
訝しげなマナに解説する。
「買い物もろくにしたことがないんだよ? そんな子が働くなんてこと、できるはずないじゃないか」
「そう?」
「前に聞いたことあるけどね……掃除もしたことがないそうだし」
「ええ。まあ、手の届く範囲のものであれば……」
「それは本を棚に戻す程度のことでしょう?」
「はい」
「それは整頓。掃除とは言わないよ」
「そうですか……」
頬に手を当てて困る様子は、年に似合わず幼く可愛い。
「でも、シンジ様やお兄様のお言葉はわかりますわ。わたくしにはどのような店でどのようなものが置かれているのか、それすらもわかりませんから」
「純粋培養……」
「まさにそうだね」
マナは本当に心配そうにしてカヲルに忠告した。
「アネッサ様にも教育係って必要なんじゃないのぉ?」
まさにとカヲルも難しそうな顔をする。
「でもそれを誰に頼むかが問題なんだけどね」
「はい?」
「普通の人には無理なんだよ。格の違いから気後れをするか、あるいはひがむか。面白いことにまず間違いなく人はこのどちらかにひねてしまうんだ」
「シンジは?」
「人の目がね……」
「そんなの気にするようなシンジじゃないじゃない」
「シンジ君はね……でもアニーは気にするんじゃないのかな?」
「お兄様!」
意味ありげな視線に対して、アニーは赤くなって憤慨した。
「なにをおっしゃられるのですか!」
「冗談だよ……」
そんな義理の妹に苦笑を漏らす。
「でもシンジ君の血を欲しがる人たちからすれば? 親しく付き合う二人の姿には、さぞかし焦りが生まれるだろうね」
「なんで?」
「最強のチルドレンとフェーサーの血の結びつきは、その方面の人間にとっては驚異であるからさ」
マナは首を傾げた。
「でもエヴァって遺伝とは関係ないじゃない」
「血を重視する人間にはわからないのさ」
目を向けはしない。目立った態度でも示さない。
それでもシンジとカヲルの間には、なんらかの意志の疎通があった。
子供たちが目覚めたのは、シンジの母、ユイが鐘を鳴らしたからである。そしてもっともその影響を強く受けたのがシンジであったのだ。
なのに血のつながりが関わっていないと言うことは無理である。ならばその影響は、次代、次次代にまで継がれることになるのかも知れない……。もっともシンジに子供を作る気があるのだとすればだが。
「無用の混乱……違うかな? 不用意な刺激はするべきじゃないと思わないかい?」
なるほどと納得する途中のところで、マナはにやりと笑いを浮かべた。
「それって……アスカとレイのことも含んでるの?」
「な、なんのことかな?」
前屈みになって、マナはにやにやとしてからかった。
「もしシンジからお兄様、なんて呼ばれることになったら大変だもんねぇ?」
たりたりと脂汗を流すカヲルである。
「アスカもレイも、アネッサ様のこと気に入ってるし? だったらあたるわけにはいかないじゃない? ……でも鬱憤晴らしは必要よねぇ?」
焦るカヲルだ。
「ぼ、僕は個人の付き合いに口出しするような野暮なことはしないさ。君こそどうなんだい?」
「あたし!?」
「何度かシンジ君と噂が立ってるじゃないか」
「う〜〜〜ん、まあ、それは」
「なにかな?」
「シンジ君がまだ童貞かどうかで盛り上がってただけだから」
広い室内はシンと耳が痛いほどに静まりかえった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。