「そ、それは……」
 今度は別の汗をたりたりと流すカヲルである。
「誰がねぇ……最初になるのかっていうんでさぐり合いしてるって言うか、ねぇ?」
「僕に振らないでよ……」
「自分のことじゃない」
「そういうのは自然とそういうことになるもんだろう?」
「でもそれじゃあ、いつになるんだかわかんないじゃない」
「まあね」
 マナはそれ以上訊ねようとはしなかった。
「そういうわけでね? マユミも気を付けてね」
「えっ!? ええと……」
 会話に入れず、孤独感にさいなまれていたマユミは、唐突に振られて返事をし損ねた。
「あの」
「だからぁ! シンジが直接指導するってことはぁ、手取り足取り……」
 ぼっと赤くなったのは、マユミだけではなくアネッサもであった。
「下品な……」
 しかしマユミとは違って、彼女はカップに口を付け、顔を隠しながら皮肉をきちんと言い放ったが。
 そしてもう一人、カヲルは同じようにカップを持ち上げながらも、こちらは苦笑していた。
 マナが言いごまかしたことに気が付いていたからだ。
 ──シンジには付き合っていた女性が居た。
 実際には別れたわけではない。
 その彼女を連れ戻そうとしているのが今のシンジである。ならば洞木コダマに対しては、どこまでも誠実なままであろうとしているとも言えるのだ。彼女を再び現世に連れ戻そうとしていながらも、他の女性と付き合っていたと言うのでは、連れ返したときに合わせる顔がなくなってしまう。
 マナのそれは、そのことにちゃんと気が付いているのだと、受け取れるものであった。
「さってと」
 マナは立ち上がってのびをした。
「十分休めたし、次に行こうか?」
「あ、はい」
「アネッサ様も!」
「え? わたくしもですか?」
 なに言ってるの、とマナは見た。
「ついでに教えてあげてくれないかなって、あなたのお兄様はおっしゃられたんですよ」
 ねぇっと振られて、カヲルは軽く肩をすくめた。
「ちゃんと家まで送り届けてくれればありがたいね」
 わかったよと請け負ったのはシンジだった。
「遅くなるかもしれないけどね」
 まぁっとアネッサが赤くなる。
 そんなとマナが一歩退く。
 マユミとカヲルも、シンジの大胆発現に固まった。
「え? え?」
 そして当の本人だけが……自分がなにを口にしたのか? まったく理解できないで居た。


 ──数日が過ぎる。
「マユミもだいぶ慣れたみたいね」
 はいっとマユミは振り返った。
 ネルフ本部内、トライデント装備班専用格納庫である。
 皆が巨大な機械の整備を行っている隅で、マユミはお茶の準備をしていた。……とは言っても、インスタントのコーヒーであるが、それでも十数人分ともなると一仕事である。
「そうですか? そうかもしれませんね……」
 少し大ざっぱすぎるのか? 作業服の袖は幾重にも織り上げていたが、それでも邪魔なようであった。
 機械いじりに混ざるわけではないのだが、それでもあちこちにオイルが付着している仕事場だ。だから彼女は作業服に着替えていた。
 薄い青の生地である。だがもう汚れのために灰色になりつつあった。ふとした拍子に触れたり、もたれたり、あるいは腰掛けただけでも、オイルに汚されてしまうのだ。
 マユミも、マナも、髪はきっちりと帽子の中に隠していた。
 工場(こうば)の壁はつぎはぎだらけで、どこかいい加減な設計をされているような疑念を抱かせるものだった。
 天井はかすんで見えない。百メートル近くあるのではないだろうか? 奥行きや広さもそれに合ったものであり、トライデントが三機横並びになっていても、巨大な工作機械がうろつけるだけのスペースもあった。
 見上げるような重機は装甲板をつり上げて持ち運ぶし、外壁に設置されているレールから伸びているアームも、それを手伝うものである。
 トライデントそのものは台座に乗せられ、整備を受けていた。股間部と船体左右を支える形となっており、フットパーツを中途半端な形で落として分解チェックをされている。
 マユミはそのような光景を一眺めして、眼鏡を軽く押し上げた。
「わたしも意外な感じがしています……」
「人付き合い苦手そうだもんねぇ」
 笑いながら、マナは入れ立てのコーヒーに手を伸ばした。
 二人の居るスペースからだと、鉄骨に囲まれているトライデントがよく見えた。
 この場が少しばかり傾斜を付けた高台となっているからだ。
 蟻のように蠢いて見えるのが人である。タラップやはしけにも人影は見える。よくあのような高さの場所で作業をしていて、恐くないものだと最初は口にしていた。
「案外……学校じゃないからかもしれません」
「うん?」
「学校じゃなじめなかったんです……。どうせ仲良くなっても、すぐに転校しなくちゃならないからって」
「なるだけ無駄だって?」
「……それもあったかもしれませんけど、その方が気楽だったから」
 なるほどそっかと、マナは理解を示した。
「ならここはどう? だめってことはないのよね?」
「はい。学校とかと違って、歳の差とか、グループとか、そういうこだわりみたいなのがないじゃないですか。みんな気を遣ってくれるし」
「そうよねぇ」
 飲みながらであるからか? マナはくぐもった感じの笑いをこぼした。
「なんだかマユミって、ムサシみたいなこと言ってる」
「ムサシさんですか?」
「うん。あいつ、前にバイトしてたことがあったんだけどね? そんときに言ってたのよ。……働いてるとこって年上ばっかりなんだけど、同じ仕事をやってるからって差別されるようなことはないし、けど習わなきゃならないこととか、教わらなきゃならないことはいっぱいあったから、素直に頭を下げられたしって。で、ね? 相手の方も、後輩だし仲間だってことで優しいんだって。学校だとさ、競争意識とかあるけど、会社とかでもあるかもしれないけど、バイトレベルだとすっごい居心地いいもんだなとか言ってたのよね」
「はぁ……」
「頭から押さえつけられることもないし、誰かに見下されるんじゃないかって怯える必要もないしね? それに、管理されてるって窮屈さもないし。そういう状態だと、余裕が生まれちゃうのかもね」
「そうかもしれませんね……」
「あ、三班が上がってくる。みんなー!」
 マナが手を振ると、坂の下から上がってくる一団が「おうっ」と返事をよこした。
「マユミがコーヒー入れてくれてるよー!」
 そう言えば、とマナは訊ねた。
「シンジはどうしたの?」
 今はここには居なかった。


「人の多い場所は苦手なんだよ」
 その頃シンジは、レイの部屋にお邪魔をして、彼女の書類整理を手伝っていた。
「いい加減に直した方が良いんじゃない? その苦手意識」
 書類から顔も上げないレイである……が、やはりシンジの訪問が嬉しいのか顔はほころばせていた。
「どこに行ったって意識されるんだから」
「だから慣れないんだよ」
 あいにくとこの部屋にはレイの机一つしかない。二人は並んでその机を共有していた。
 互いの体温を、ともすれば感じられてしまう距離である。だからこそレイははしゃいでいた。
「でも良いの? マユミちゃん放っておいて」
「ちゃんとマナに頼んであるよ」
「ふうん?」
「なんだよ」
「べっつにぃ?」
 口と態度が裏腹なところに、シンジははぁっとため息を吐いた。
「……ホント、そういうとこ、アスカに似てきたよね」
 ぐっと唸った。
「ただちょっと妬けちゃっただけよ!」
「え?」
 レイは机の上にドンと肘を突いて頬杖をついた。
「なんっかあたしたちよりマナのこと頼ってるなぁって!」
「……そりゃ同じ班なんだから」
「他のことでも! あんまりあたしたちのとこには相談に来ないじゃない?」
「それは……まあね」
「やっぱりわざとなんだ?」
「…………」
「ショックぅ……シンジクンって、あたしたちのこと信頼してくれてないんだぁ」
 机に突っ伏しうじうじとする。
 狡猾なところは『あたし』ではなく『あたしたち』と複数形にしているところであったが、それがわかっていてもシンジに抗うことはできなかった。
「ごめん」
 とりあえず、謝る。
「でもレイもアスカもすっごく急がしそうだからさ……上の街でもここでもさ、いっつも何かの仕事してるし」
「……そうだけど」
「それなのに邪魔しちゃ悪いからね」
「マナなら良いの?」
「悪いとは思ってるよ? だから今度おごるって」
「はい?」
「いや……だからおごるって約束をさせられて」
「シンちゃん……」
 めらめらと嫉妬に身をやつして口にする。
「どうしてそうやってごく平然とデートの約束してるんですぅって言えるのかなぁ? んん〜〜〜?」
「ちょっとレイ……恐いって」
「恐くさせてるの誰よぉ!」
 バッと机の上の紙束を投げつける。
「ああ! せっかく整理した書類がぁ!?」
「そんなもんどうでも良いでしょう!?」
 よくない、と思ったのは、様子を見に来たケイコであった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。