「不思議な感じがしますねぇ……」
 伊吹マヤは緊張感の漂う室内を見渡した。
 正面にガラスの窓がある。横に五・六メートルほどのもので、その前には二人の男性が腰掛け、オペーレートを引き受けていた。
 窓の向こうの部屋は白く、明るい。反してこちらの部屋は暗く、ただ機械の発するぼんやりとした灯りだけが頼りであった。
「子供たちの研究って、今でもこうしてあたしたちの手にあるのが、なんだか……」
 彼女たちが居るのは、赤木研と呼ばれている研究施設の一角であった。ここでは主に、能力保有者たちの発現傾向や能力査定などを行っている。彼ら、あるいは彼女たちに、サンプルとしたの協力を願ってもいた。
 ガラス障壁を隔てた部屋には、今は少年が立っていた。三x八メートルのこぢんまりとした狭い部屋だ。リツコたちが覗いている窓をはぶいた残り三面と天井、床の裏側には、それこそびっちりと各種計測機械が埋め込まれていた。
 それらは少年の一挙手一投足のみならず、精神波長の揺らぎに至るまでを観測し、MAGIへと記録を録っている。
『どう? 渚君……調子は』
 スピーカーを通してのリツコの声に、彼──カヲルは、軽く腕を曲げて上げて見せた。
 彼が着ているものはエヴァ搭乗時に使用するパイロットスーツであった。黒のプラグスーツである。
「そうですねぇ……なにがどう、というものも見つかりませんが」
『その新しいプラグスーツは、あなたたちチルドレンの、特に精神面における自我境界線の維持を主目的として調整したものなのよ』
「つまりやり過ぎや行き過ぎによって、自分に戻れなくなるのを防ぐように?」
『そうよ。理論上ではという但し書き付きだけどね』
「心許ないですねぇ……」
『それでも戦闘に置いては、恐怖に負けて暴走することもありえるわ。でもそのスーツがあれば』
「どれほど力を暴走させても、人の形を失うまでには至らないと?」
『そうあって欲しいのよ』
「まあ話はわかりましたよ」
 カヲルはスーツのひきつりが気になるのか、準備運動を開始した。
 で……と、リツコはマヤに問いかけた。
「さっきの話、なに?」
「あっ、ええと……ですね」
 バインダーを胸に抱えて、カヲルを見る。
 正しくはその手前でオペレートしてくれている仲間たちを彼女は見た。
「……ほとんどの職場って、ナンバーズと人員が入れ替わってるじゃないですか」
「そうね」
「なにをするにしたってナンバーズの……力を持ってる子供たちの方が優秀なのに」
 リツコへと視線を戻す。
「そのナンバーズとか、エヴァの研究は、ナンバーズ自身じゃなくて、こうしてあたしたちがまだやってるっていうのが」
「まあ……そう考えればね」
 リツコは部屋の隅にあるコーヒーサーバーへと歩いた。
 紙コップを取り、珈琲を移す。
 本来このような部屋に置いてはいけないはずのものだが、彼女たちは気にはしていなかった。
「記憶者……って能力者が居るのは知ってる?」
 リツコは唐突に問いかけた。
「MAGIに匹敵する情報管理能力者のことだけど」
「はい」
 カップを揺らして、黒い液体が浮かべる波紋を楽しむ。
「でも記録して、情報を管理することはできても処理はできない……。わたしだってね、少しはうらやましいと思ったことがあるのよ?」
 マヤは目を丸くして驚いた。
「先輩がですかぁ!?」
 それはそうよと彼女は笑った。
「わたしにはMAGIというパートナーが居るわ。だからこそ今ここにいられるのだけど……」
 少し寂しげに告白する。
「MAGIはね? 自分で思考することもできるのよ。……つまり発想の基点さえ与えてやれば、わたしがいなくてもMAGIがやるわ」
「そんなぁ……」
「だからこそ、ってね? まあ僻んでるだけだけど……」
 珈琲を飲み干した。
「でもこのごろはそんなことを思わなくなってきたのよね」
「なんでですか?」
 わからない? ちょっと首を傾げてマヤをからかう。
「科学者というのはね……わからないから、知りたいから知ろうとするのよ。でしょう? でも最初からわかったり、簡単に理解できたら?」
「つまらないかもしれませんね……」
「それがナンバーズとわたしとの違いよ」
「原動力ですか?」
「そうね。無知であるからこそ知りたくなるの。そして知りたくなるからこそ頑張れるのよ」
 彼女は再びカヲルへと目をやった。
「渚君は……良い意味でも悪い意味でも、シンジ君をその原動力に選んだのね」
「ええ────!? それって」
 きゃあっと顔を赤くするマヤに、違うわよとげんなりとする。
「そうじゃなくて……。彼にとっては競争相手なのよ、シンジ君はね?」
「シンジ君がですかぁ?」
「ええ」
 それってぇとマヤ。
「レイちゃんとか、アスカちゃんのぉ」
 ……リツコは眉間に指先を当てて、深くふかーくため息を吐いた。
 それはアスカやレイと共に、彼のことを奪い合っているという意味でなのか? あるいは彼と、アスカやレイを奪い合っているということであるのか? どちらにしても間違っているのだから考えるだけ無駄であるなと、一瞬で行った思考を表した態度であった。


「ようこそ! 赤木博士の実験室へ!」
 両手を広げつつ、レイはくるりと振り返った。
 おどおどとしているマユミの後ろにはシンジがいる。彼もここは初めてなのかきょろきょろとしていた。
「こんなところもあったんだ……」
「ちょっと前にようやく完成したの! ってもまだ上の施設からの引っ越しは終わってないんだけどねぇ」
 まあ上がってよと、まるで自分の家のようである。
 黒き月の第四層にあたる階は、一般的にアカデミーと呼ばれ、大学生に相当する年齢の者がとても多く見受けられた。
 平常時のMAGIのリソースの大半は、この区画の研究に費やされ、使用されている。それほど多くの研究を行っていた。
「外の学者さんも結構いるの。ほとんどの人は移民って形で市民権取ってるけどね」
 まるで地下都市であるが、道路に車はない。遊歩道化されており、勝手に乗って、勝手に降りられるようになっていた。
「あっちではエヴァの武器開発とかやってるみたいだけど、こっちの区画じゃ自然開発の研究やってるよ? 今一番熱いのは海洋開発かな」
 海かぁと、シンジは遊歩道の上にあることによって得られる風を心地よく思いながら、口にした。
「行ったこと無いんだよな」
「え!? そうだっけ?」
「そうなんだ……」
 ふうんとレイは、にんまりとした様子を見せた。
「じゃあ……こんど行こっか?」
 そうだねとシンジはとても軽い調子で応じた。
「山岸さんもどうかな?」
 え!? っと驚くマユミである。
「あ、はい。それは……かまいませんけど」
 おろおろとレイとシンジを見比べる。
「あの……良いんですか?」
「そりゃ良いに決まってるよ、ね?」
「ふんだ」
「…………?」
 なんだよとふくれるシンジを眺めて、マユミはそっとため息を吐いた。
(鈍すぎます……碇君)
 レイのことを哀れに思う。
 自分でもわかるのだからと、妙なさげすみの仕方をした。
 ──遊歩道を降りると、広めの道は、中央を数種類の色によって分けられていた。どうやら左側通行らしい。
 ラインは道が分かれるたびに、一本、また一本と離れていく。途中にある案内板を見て、マユミはそれが道しるべであったと知った。
 ……同時に不吉な予感も彼女は覚えた。
(なんだか凄く大きなところに向かってるみたい……)
 彼女はまだ誰がどれほど偉いのか? まったく認識していなかった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。