「……あたしの部屋、片づけちゃって良いから」
帰り際、アスカは父にそう告げた。
「アスカ……」
くすりと笑って付け加える。
「そんな顔しないでよ……別に縁を切ろうってわけじゃないんだからさ」
「でもな?」
「パパの言いたいことはわかるつもりよ?」
淋しげに笑う。
「それでもやっぱり、あたしの居場所はもう無いんだと思う……ここはパパとママと赤ちゃんの家よ。そしてあたしはあっちに自分の居場所を作っちゃってる」
「そうか……」
「それだけよ」
──はぁ!
アスカは中腹にある開けた場所から、第三新東京市を見渡した。
そこにはあの夜とは違った景色が広がっていた。
──元日の夜。
もう数時間で日付が変わるという時間帯に、二人は今アスカが居る場所で休んでいた。
「なんかいやらしいことでもされそうなんだけど」
真っ暗で人気もない場所である。
「そういう冗談はやめてよね」
正面には夜の街が広がっている。
建物の形は闇に溶けてしまい見分けが付かない。だがイルミネーションが素晴らしく景色を彩っていた。
時折花火の爆発も確認できる。人種も宗教も多様化し、新年の祝い方も乱雑である。
あちらこちらで勝手な祭りが催され、それ故に街は狂乱の渦と化していた。
「ここならレイだって見つけやすいしさ」
すぐに来るだろう、そう言うのだ。
ふうんとアスカは背後にあった大岩に腰掛けた。履き物が痛いのか? 鼻緒から指を抜いて足の甲を揉んだりもする。
「慣れないものは着るもんじゃないわね……」
傍にある中学校でも催し物が行われている、そちらから太鼓を叩くような音が響いてきていた。
シンジはアスカの前にしゃがみ込んで足を見た。
「痛いの?」
「少しね」
「治そうか?」
「そんなことまでできるようになったの?」
「まあね」
彼女の足を取り、優しくさする。
「あんっ」
艶っぽい声を吐いて、アスカはくすぐったいと身をよじった。
「ちょっとぉ……」
「ごめん……」
「んっ、変な触り方しないでよね」
照れているのか? ぷいっとそっぽを向いたが、赤くなっている頬はごまかしきれるものではなかった。
「どう?」
「ん……ありがと」
アスカは自分でも触ってみた。
「ほんとに痛みが引いてる……少し温かくなってる?」
「新陳代謝がどうのこうのって言ってたけど」
「誰が?」
「リツコさん」
ほんとにとアスカはため息を吐いた。
「あんたって、ほんと、仲良過ぎよね」
「そっかな?」
「そうよ!」
立ち上がり、彼女はシンジの隣に立って街を見やった。
「ねぇ……シンジ?」
「ん?」
「あたしのこと、好き?」
なんだよ急にと、シンジは驚いた顔をした。
「そんなの……」
「まじめに答えて」
だが横にあったのは思いもかけないほど深刻な顔で……。
シンジは小さくため息を吐いた。
「嫌いじゃない……好きだと思うよ」
「ありがと……」
でもとアスカは続けた。
「それって今のあたしなのかな?」
首を傾げる。
「どういうことさ?」
昼間、実家に行って来たのと彼女は明かした。
「その時にね? パパに言われたのよ……あたしが好きなのは、あたしの後を追いかけてきてた、あの情けなくて放っておけない小さなシンジで、今のシンジじゃないんだって」
「…………」
「だから、今のシンジを好きになろうとしたって、好きにはなりきれないし、シンジに好きになってもらおうとしたって、きっと同じことなんじゃないかってさ」
僕もとシンジは驚いた。
「だって……シンジの好きだったあたしって、嫌なあたしになる前のあたしでしょ? だから……」
ああとようやく、シンジは彼女がなにを言いたいのか気が付いた。
「そっか……そうだね、そうかもしれない」
「うん……」
「僕はアスカの後ばっかり追いかけてたもんな……アスカにかまってもらえると嬉しくてしかたなくて、楽しかったんだ……でも」
アスカを見下ろす。
「こんなに大きくなっちゃったもんな」
「……どこ見てんのよ、エッチぃ」
ちがうよとシンジは手を振って距離を取った。
もちろん顔は赤くなっていた。アスカが胸を抱き隠すような仕草をしたものだから、余計に意識してしまったのだ。
「そうじゃなくてさ! 僕はただ、こんなにでかくなっちゃってるのに、昔みたいにアスカの後を付いて回って、かまってもらおうとして、甘えるなんて、そんなことできるわけないって」
そうなのよね……アスカもそう嘆息した。
「あたしはさ……あの頃みたいにじゃれついてもらいたいのよね、甘えてもらいたいけど……でも今のシンジは強いし、あたしなんていらないんだろうし」
「そんなこと……」
「あたし……邪魔かな? あたしがいなくたって、シンジはなんとかやっていけるんだろうし」
「…………」
「でも少しはうぬぼれてんのよ? あたしと二人っきりの時くらいは、シンジも本音をしゃべってくれてるって信じてるから」
シンジは拗ねているような……それでいて困っているような顔つきをした。
「そんなこと言われたってわかんないよ……」
「シンジ……」
「でもこれだけは言えると思う。僕はずっとこんなだよ、きっと、一生ね?」
「一生って……」
「僕はコダマさんを連れ戻したいと思ってる。でも連れ戻したからってなにも変わらないよ……きっと。今度はコダマさんや、アスカやみんなとのことで悩むことになるんだよ。この歳で、まだ女の子と付き合ったこともないのかって、キスもろくにしたことがないのかって、エッチもまだなのかってさ? そういうコンプレックスと戦って、乗り越えたら今度は今度でって……今までと同じだ」
「あんたってさ……」
ホント、と言う。
「時期とかそういうものに見放されてんのよね」
「そうだね」
苦笑する。
「ほんとにそうだ……でもあの時って思うことはあるんだよ」
「あの時?」
首を傾げるアスカに、あの時だよとシンジは明かした。
「アスカが追ってきてくれたときのことさ……コンビニの前で、僕はアスカに冷たいことを言ったよね?」
「ええ……」
「もし、あの時……ってさ? 頭ではわかってるんだ、あの時の僕はアスカのことを怖がってたから、『そんな』理解の仕方はできるはずなかったって。大好きなアスカが追ってきてくれたっていうのに、照れ隠しにあんなことを言ったんだなんて、そんなはずがないのにさ」
まあ、そうねとアスカは認めた。
「あの時のあんたって、あたしのことを異常に警戒して、怯えてたもんね」
「そうさ。だから照れ隠しなんてものじゃなかったはずなのに……人間って都合良いよね? 自分に都合良く記憶をいじろうとしちゃうんだからさ」
アスカはどうなのさと逆に訊ねる。
「そんなに僕のことが好きだったの?」
「……可愛いって思ってた。それはほんとよ?」
「でも幼い頃のことだもんね……好きで、だから結婚したいとか、そんなこと思ってたはずがないんだよ」
「うん……」
「気持ちのすり替えって言うのかな? そういうのがどこかであったんだろうね……でも僕たちはそれにずっと気づかなかった」
そっかとアスカは理解した。
「あんたも同じ結論に達してたわけだ」
「でなきゃ一緒になんて住めるもんか……意識しちゃって」
「そりゃそうよね」
「多分……このままなら、アスカと付き合うこともできると思うよ? 普通に、馴れ合ってくみたいにならね?」
「でもあたしが欲しいのはそんな関係じゃないのよね……」
あたしたちかと言い直した。シンジもそうだよと請け合った。
「僕だってそうなんだよ……でも、だからって、アスカとどうなりたいのかはよくわからないんだよ」
ぽりぽりと鼻先を指で掻く。
「アスカはその……可愛いしね」
なに言い出すのよと赤くなる。
「あんたねぇ……」
「ごめん……でも逆に言えばそういう形で意識することしかできないんだよな。それがアスカの求めてることなのかどうかって言えば、絶対に違うだろうし」
「そうね……そうなのよね」
あ〜あと彼女はのびをした。
「ほんと! めんどくさい恋よねぇ……」
シンジは奇妙な顔をして問いかけた。
「恋なの?」
「恋でしょ?」
「そうなのか」
「そうよ……」
んっとかかとを地に付ける。
「あたしたちって、付き合うようになるかもしれないし、ならないかもしれない……けどね? 結局はお互いにこのもやもやーってしたものを解消しないとどうしようもないのよ。それだけは確かね」
「そうかもね……」
だから、と、彼女はシンジに別れ話を持ちかけた。
「あたし、もう……あんたの気を引こうとしないから」
パンと花火が弾け、アスカの真顔を横から照らした。
「あんたに許してもらおうと思って、あんたに媚びて、言うことを聞いてるあたしでいるのはやめるの。昔の……ほんとのアタシに戻ろうと思う」
いいよねと訊ねるアスカに、シンジはぷっと吹き出した。
「そこで聞いたら、同じじゃないか」
「もう! 馬鹿シンジのくせにぃ!」
こらっと手を振り上げるアスカに、シンジはごめんと謝り頭を庇った。
──そんな二人の放つ空気は、確かに昔の物に戻りつつあった。
──そんなやりとりがあったのだ。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。