「たぶんね……」
 困惑するアネッサに、シンジはこういうことなんだよと口にする。
「僕たちってやっぱりどこかおかしかったんだよね。無理してたんだ……ああでなきゃいけないとか、こうでなきゃいけないとかさ? 全然自然じゃなかったんだよなって、二人でそれを確認したんだ」
「ですから……ですの?」
 そうなんだよと肩をすくめる。
「ただね? 僕は今更僕を変えることなんてできないんだよ。僕はそんなに器用じゃないから……このままでなんとかしていくしかないんだ」
「でも、変わることはいけないことではありませんでしょう?」
「それが良い方向に変わることならね」
「違いますの?」
 うんと答える。
「アスカはさ……子供の頃からやり直すって言ってたよ。言ったって、もう大人なんだからさ、どうにもならないことはあるけど……それでもね? 女だってこととか、大人なんだってことは忘れて、昔、まだそんなことを気にもしてなかった頃みたいに、そこからやってみるんだってさ」
「無邪気に……ということで?」
「だろうね……やっぱり子供の頃の自分は、間違ってたんだって言ってたよ。悲しくて、辛くても、だからって他人を……僕をいじめて、優越感に浸るなんて、そんな嫌な子供になってたのをいくら反省して、謝ったって、それだけじゃダメなんだって、今になってわかったんだって言ってた」
「はぁ……」
 まあ、わからないだろうなと思ったのか、シンジはそろそろ行こうかとアネッサを誘った。
「大人の今なら、あの頃みたいに感情的になって、すぐ人を傷つけるような、そんな真似はしないで済むから、だから、もっと可愛い自分になってみせるって……なんだかそんなことも言ってたな」


「神ですか?」
 あなたは神を信じますか?
 渚カヲルは記者からの質問に対して、間抜けにも問い返すような真似をしてしまっていた。
 失礼と咳払いをする。場所はカヲルの執政室だ。
 応接セット、向かい合う形で、彼はインタビューを受けていた。
「質問の意図がわかりかねますが……宗教的な意味合いに置いてはノー。心理学的にはイエスでしょうね」
 パリッとしたブラウンのスーツを着込んだ記者は、カヲルの答えに首を傾げた。
「宗教的なものを否定なされるのに、人の心の内には神はあるとおっしゃられるのですか?」
 その通りですとカヲルは認める。
「神とは人が罪悪感から逃れるために作り出した、思いこみの産物に過ぎません。人は己を救うために神の像を求めるのですよ。キリスト教圏にはその傾向がよく現れています。人に謝ることはできないのはなぜか? 恥であったり、気まずかったり、臆病風に吹かれたり……理由は様々にありますが、それでも心の中に澱みは溜まるものでしょう。人はこの澱に足を取られて歩くことを苦痛に感じます。ですから、汚泥の沼より逃れるために、懺悔というシステムを編み出しました。許しを与えてくれる都合の好い存在、神を描き、他人どころか幻に救いを求めたのです」
 記者はこれは記事にできないなと渋い顔つきになった。もし文章化すれば、宗教的な問題に発展しかねないからだ。
 それでなくとも、彼ら『エヴァリアン』には、どこもピリピリとしているのである。
「神と名の付くものがお嫌いなようですね」
 違いますよとカヲルは言った。
「神にすがる人間が嫌いなんです。先ほどの話にもどると、神に許しを請うて……実際には神父ですか? そして許されたからと言って現実にはどうなると思います? 心の重みからは解放されても、現実に彼によって迷惑を被った人々は、その恨み辛みを決して忘れてはいないんですよ。錯覚なんです、許されたと感じるのはね? そして報いはいつの日か訪れることになる」
「人は神に許しを請う前に、人に頭を下げるべきだと?」
「それができないのが人間ですが……それでも僕は、それを実践している人を知っています。だかこそ、如何に尊いものかも実感しています」
 ただうまくいっていないようですがと苦笑を浮かべた。
「力のない人々は、力のある人々をうらやみますが、それは表層的な物の見方……物欲に囚われているからに過ぎません」
殿上人(てんじょうびと)には殿上人の悩みがあるように……ですか?」
「そこまでは、ね? でも力があるからこそ、思い悩んだときに、その無力さを実感することになるのではないでしょうか……」
「なるほど……」
「この街に住む多くの人々──能力者は、多かれ少なかれ同じ思いを抱いていますよ。遊びには使えるかもしれないけれど、肝心なことには役に立たないとね?」
「たとえば?」
「好きだと……人に告げるような」
 ね? と笑いかける。
「あなたには……僕が神に見えますか?」
 見えませんと答えた上で、けれどもと記者は続けた。
「わたしたち非能力者から見れば、能力者は超人と思えます。その超人たちを束ね、なおかつ使役する立場にあるあなたを表するに、神以外のどんな言葉が当てはまりますか? たとえそれが役職の別名に過ぎないのだとしても、やはりあなたは神になる」
 カヲルが指示を出せば軍隊すらも結成されることになっているのだから、仕組み上ではそうであるとも言えてしまう。……彼がそれをしないにしてもだ。
 だが、カヲルはいきなりなことを口にし始めた。
「この街の住人の誰か一人が、未開の地に赴いたとすれば、その人は神として扱われることになるんでしょうね」
 唐突なカヲルの言葉に、記者は困惑したようであった。
「それが?」
「神とはなにか、ということですよ」
 良いですかと声を深める。
「そもそも神は、果たして自身のことを、神だと認識しているのでしょうか?」
 眉間に皺を寄せて彼は問い返した。
「神は神であるのでは?」
「……でもお訊ねしますが、もしそこに神の住まう世界があって、その世界に置いては、『彼』もありふれた住民の一人に過ぎないのだとすれば? それでも彼を神を呼べるでしょうか? 彼は彼の世界に置いてはただの人ではなく、彼を神たらしめているのは、勝手にそう呼んでいる僕たちだ」
 だからと言う。
「僕はあくまで大勢の中から選び出された能力者に過ぎませんよ。多少、他の能力者と毛色が違っているのですが……それでも僕はエキストラに過ぎない」
「…………」
「僕が神に見えるというのは、あなたが僕に畏怖を抱いているからに過ぎません。君臨するものと思いこんでいるあなたが僕を神にしているのです」
「禅問答ですか?」
「もっと単純なことでよす……。あなたが僕を人と認めて接してくれれば、僕はただの人でしかない」
 ほんのちょっとした力を持った……ね? カヲルはそう言って笑いかけた。
「この街は現代に出現した異界なんです。そしてこの異界はゆっくりとあなた方の現実に融合を試みているわけですよ。多少の摩擦を生みながらね」
「わたしの持つ畏怖する心も、その摩擦に根付くものなのでしょうね」
「そう……そしてすべては劣等感へと結びつきます」
「劣等感?」
 はいと頷く。
「生物としての根元的恐怖心……より優秀な種に取って代わられてしまうのだという怯えから、生き物は淘汰を免れるために暴走を始めます」
「だから劣等感ですか」
「そうです……が、魔女狩りのような例もありますから、一概にそうだと決めつけることはできないでしょうね」
 記者は怪訝そうに身を乗り出した。
「……どのような繋がりが?」
 はいと答える。
「人は……何事かの不備が生じたとき、その責を負わせることのできる対象物を求めるものです」
「罪をなすりつけて生きているから?」
「その通りです。だから、魔女狩りとなりました。違いますか?」
 中世のことは知らないと記者は正直に答えた。
「ですが想像することはできます。何事かの問題が生じ、それが誰の責でも無かったとき、それでも人ははけ口を求めて、なにかにあたる」
「そのなにかとは?」
「魔女……」
 そうですとカヲルは首肯した。
「誰かが魔女の仕業だと叫んだ……その結果、なにもかもを魔女の仕業とするような、そんな逃れが流行ってしまった。結果、不幸の根絶を求めるあまり、不幸の元であるとして、魔女の大虐殺が行われました」
 この世を苦界へと(おとし)めている悪魔のような存在を駆逐すれば、世界は自然と在るべき姿……聖書に記されているような天界の楽園へと復古するのではないのかと思われたのだ。
 もちろん、そのようなことはなく……。
「現代人は、そこまで愚かではないと思いますが」
「そうですか?」
「いくらなんでも、自己責任という言葉を忘れるほどには、馬鹿ではありませんでしょう?」
「……現実に力がここにあるのにですか?」
「それは……」
「人を嘆きと悲しみをもたらし、不幸せをばらまくことができるのに……それをしていないという保証もないのに? それでも人は、僕たちを信じてくれるのでしょうか?」
 現にと指さす。
「あなたは、僕を信じていない」
 違いますかと確認を取る。
「僕を神と見て、ただの管理職の人間だとは思っていない。それが人の悲しい(さが)だよ……そうは思わないかい?」
 リュン・ザ・バルタザール……カヲルは男の記者をそう呼んだ。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。