「まぁったくアスカもシンジ君には手加減しないんだから」
「悪かったわねぇ」
 更衣室の中で、マナはアスカの不満話を聞き、呆れた調子で返したのだった。
「それで、シンジ君は?」
「マユミと……」
「じゃなくて、被害の程度」
「ちょっと腫れてたかな?」
「いったそぉ……」
 ぶるりと震えて見せる。
「で、救護班行き?」
「まっさか……ほっときゃ治るくらいよ」
「愛よねぇ……」
 はぁっとアスカは振り返った。
「なに言ってんの?」
「治るモンを治さずにおく……これって愛じゃない?」
「んなわけないでしょうが」
 そっかなぁと口にしつつ、マナはプラグスーツに腕を通す仕草を眺めた。
「アスカぁ……」
「なによ?」
 唐突に訊ねる。
「握力ってどれくらいある?」
 ぶかぶかのプラグスーツを、腕のボタンを押して引き締める。
 自動調節機能によって、ほどよくプラグスーツはフィットした。
「……あんたの言いたいことはわかるけどね」
 ジト目のアスカに、マナはやっぱりかと軽くはしゃいだ。
「普通じゃないんだ」
「普通よ! ……四十キロくらいあるけど」
「それ、左腕でしょ」
「ぐっ、……五十二キロよ!」
 シンジ君は三十キロくらいだったなぁと思い出す。
「あたしも力仕事多いし、結構筋肉付いてるのよねぇ」
 半袖のブラウスから覗く腕で、力こぶを作ってみせる。
「それがどうかしたの?」
「いや……いざって時にさ、頼れる女の子っていうのもどうかなって」
 アスカは音が立つように、力まかせにロッカーを閉めた。
「男が情けないんだから、しょうがないでしょ!」
「シンジ君って情けないんだ?」
「……あいつって変に力があるから、先見て動く癖があんのよね」
「どういうこと?」
「今助けて欲しくても、助けようとしてくれないってこと!」


「はぁ……」
 帰り道、マユミはこういうことかと落ち込んでいた。
「なに暗くなってんのさ?」
 良いながらも気持ちはわかるシンジである。
 本好きの人間が本に囲まれた時どうなってしまうのか? その衝動の結果は想像できるものだった。
 マユミもはじめの二時間ほどは、まじめに整理に取り組んでいたのだ。
 同じと思われる分類にわけた本をカートに乗せて、別の部屋に輸送し、引き渡し、また倉庫に戻る。
 しかし倉庫でも引き渡し先でも、皆なにかしらの本を読んでだらけていた。
 そしてマユミも、ついに「ああ、この本は」というものを見つけてしまったのだった。
 ぎっしりと本の詰まった鋼鉄の棚に背を預け、ぱらぱらと、ちょっとだけと立ち読みをしている内に、気が付けば働いた倍以上の時間を無駄に過ごしてしまっていたのであった。
 正直……シンジが迎えに来なければ、いつまで読んでいたかはわからなかった。そしてそのようになることを見透かされていたことが、余計にマユミを落ち込ませていた。


「で、逆効果だったってわけか」
 休みと言うことで一日寝ていたらしいミサトは、寝癖も直さずにリビングのテーブルについてビールをあおっていた。
「下、なにか穿いてよ……」
 げんなりとするシンジである。
 タンクトップシャツに、下はパンツである。子供の下着ではないのだから、刺激はかなり強めであった。
「シンジ君も気にする歳になったか」
「前からずっと気にしてるよ」
「おーおー、身の危険を感じるわ」
「…………」
 ジト目で見るシンジである。
 こういうからかい方は好きではないらしい。ミサトはちょっとだけ反省した。
「ごみん」
 嘆息する。
「アスカに見つかっても知らないからね」
「あの子も小言が多いのよねぇ」
「近親憎悪って言葉知ってる?」
「だぁれが似てるって?」
 少々騒ぎすぎていたらしい。シンジは戸の開く音を聞き逃してしまっていたようだった。
「お帰り。早かったんだね……」
 ご飯はと訊ねると、アスカは食べてきたと返し、それを端で聞いたミサトは、倦怠期の夫婦の会話のようだと思ってしまった。
(さしずめあたしは、親の不機嫌に怯えてる子供か)
 触れあえば険悪になる二人が離れるのを、身を小さくしてじっと待っているのである。
「あ、お風呂、山岸さんが入ってるから」
「わかった」
 ミサトはアスカが奥の部屋に入るのを確認してから、先ほどの会話の続きを求めた。
「で、なにが似てるって?」
 吐息をこぼすシンジである。
「ミサトさんとアスカって、しゃべり方似てるんだよね……だらしないとこまで似ちゃいそうで、恐いんじゃないかって」
 むすっとするミサトである。
「どうせあたしはだらしないですよぉだ」
「……アスカもきっと、そんな風に言うようになるんだろうなぁ」
 あたしってそんなに終わってるかなぁ?
 ミサトはぶつぶつと一人ごちた。


(まったく好き勝手言ってくれちゃって)
 どんなに距離を測ったとしても、結局は狭い家である。
 キッチンの声など耳を澄ませば聞き取れるのだ。
 アスカは部屋着に着替えながら、マユミの方はどうなったんだろうと疑問に思った。
 宙に浮きつつあるマユミの立場を考慮して、無難な仕事が斡旋されたと聞いていた。それがミサトの『逆効果』というセリフの意味でもあったのだ。
 戸が開く。ぎくりとするアスカに、マユミは「あっ!」っと反射的に身構えた。
「ご、ごめんなさい」
「いいけど……」
 でもちょっとびっくりしたなと正直に告げた。
「着替えてるとこだったから」
「すみません……まだ帰ってないと思って」
「だから良いってば」
 やりにくいなぁと、そう思う。
「で、どうだったの? 新しいバイトって」
「はぁ……」
 マユミはアスカのベッドにぽすんとお尻を落とし、軽くうなだれ、口を開いた。
「それが……」
「なに?」
「ほとんどなにもできなくて」
「はぁ? そんなに難しいバイトだったの?」
「そうじゃないんです……あたし」
 事の経緯を聞かされて、アスカはぷっと吹き出した。
「笑いごとじゃないですよぉ」
「くく……ごめん」
「あたし、自信なくて」
「明日も同じことしちゃったらどうしようって?」
「はい……」
 ふうんとアスカはかける言葉を考えた。
 実験から一時離されることになって、マユミの収入は減っているはずである。今の仕事は、ある意味彼女にふさわしいレベルのものであるはずなのだ。
 働き、得られる収入としては、感覚としてほどよい程度のものである。
「ま、良いんじゃない?」
「そうでしょうか……」
 うんとアスカは断言した。
「もちろん、悪いって思ってんならってことよ? 誰も怒らないでしょうけど、だからってこれで良いんだなんて思ったらだめよ?」
「…………」
「ちゃんと罪悪感を覚えてられたら、自分でちゃんとできるわよ」
 正そうとも、直そうとも思える……そう思えなくなるのは、自分を客観的に見れなくなったときだけである。
 マユミは少しばかり感じ入ってしまった。
 どうしてこんなに、アスカの言葉を、自分は素直に受け止めてしまっているのだろうかと悩んでもしまったのであった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。