「なれ合いか恭順か……迎合でもかまわない。それでも毎日があわただしかったり、苦しかったりするよりは、はるかに楽しく時を過ごせる。そうは思わないかい?」
 シンジはうさんくさげにカヲルを見やった。
「なにが言いたいのさ?」
「ただの確認だよ」
 一口にジオフロントと口にしたところで、森があれば平野部もあるし、湖もある。
 シンジとカヲルが居るのは、境界線に当たる林の中の小川であった。
 さらさらと流れる浅い水面に姿を写し、対峙している。
「君の強がりはいつまで続くのかとね……」
「強がり?」
「あるいは思いこみかな」
 そうじゃないのかい? ──カヲルは冷めた笑みを持って追求した。
「洞木……コダマさんか。いつまでも心を痛めているのは難しいだろう?」
 それは奇妙な言い回しだった。
「君にはレイもいればアスカもいて……いくら思い詰めることで忘れずにいようとしたところで、気持ちを分散させずにはいられない」
「でも……」
「そうだね……」
 小川には石が沈んでいた。
 そのために流れには奇妙な揺らぎが生まれている。そして、カヲルとシンジの二人の顔もまたゆがんでいた。
「それでも忘れるわけにはいかない。そう言いたいんだろう?」
「うそ、偽りなのですか?」
 口を挟んだのは、黙って小川に足を浸していたアネッサだった。
 彼女は立ち並ぶ二人の脇に腰を落とし、スカートを少しだけ上げて素足を川に沈めていた。
「シンジ様はたくさん笑いかけてくださいました、そのすべてが」
 悲しそうにする。
 そんな妹に対して、カヲルは慰めの言葉をかけた。
「違うよ、アニー……だからシンジ君はいびつなのさ」
「いびつ……?」
「そんなに器用な人間じゃないんだよ。楽しいときには普通に笑うし、悲しいときには泣きもする。だけれどそこから生の喜びを感じてしまうわけにはいかないんだよ。どんなに楽しい時を過ごしたとしても、一抹の不安や、寂しさを感じてしまうよといいわけをしなければならない。そうでなければ、恋をしたわけでもなく、愛してもいない人のことなど、いつまでも気に病み続けることは難しいさ」
 あっ……と、アネッサは漏らした。以前に見たケージでのシンジの姿を思い出してしまったのだ。
「それゆえの……」
「帳尻合わせなのさ……そうだろう? シンジ君」
 シンジはしばし沈黙を保ったが、やがて「はぁ……っ」とため息をこぼした。
「カヲル君は……僕になにを言わせたいのさ」
 苦笑する。
「よくわかったね」
「カヲル君って、なにかたくらんでるときは、ちょっと芝居口調になるんだよね」
 それは気づかなかったなとカヲル。
「今度から気をつけるよ」
「それで?」
 カヲルは不穏な動きがあるとシンジに明かした。
「正直、僕はこの問題を誰に打ち明けるべきか悩んだよ……君に押しつけてしまって良いものか……今も悩んでる」
「そんなに大変なことなの?」
「いや……問題としては酷くくだらなくて、関わり合いになるのも面倒な話さ。だけど放置もできなくて」
「回りくどくはありませんか? お兄様……」
 話が進まないなとアネッサは割り込んだ。
「往生際が悪く感じられますわよ?」
「そうだね」
 すぅっと深く息を吸い込む。
 そうして覚悟を決めて、カヲルはシンジに打ち明けた。


「……ん?」
 結局は本の魅力に負けてしまい、マユミは棚を背にしゃがみ込んでいた。
 ふと……人の視線を感じて開いていた本から顔を上げたのだが、誰もいない。
 おかしいな……と感じたのだが、確認のしようもない。お化けが出そうですねと以前誰かに口にしたのだが、どうかなと笑い飛ばされただけであった。
 黒き月は大量の死者が生まれた戦場であったのだし、人魂くらいは現れても良さそうなものである。しかし火の玉や宙に浮く人影などは……能力者であれば見せるものと見分けが付かない。
 青白い人影を見た……と騒動になって確かめてみれば、それは自身を蛍光灯代わりにして倉庫の整理を行っていた蛍人間であったりと……。
 特にマユミにはドイツでの体験があったので、お化けが出る確率よりも、誰かがいたずらをしているのだと、自然と発想できるようになっていた。
(でも……気味が悪いな)
 のぞかれている、見られているという感覚は、まとわりついて感じられるだけに身が震える。
「仕事しよ……」
 彼女は本を閉じて立ち上がり、移送を再開することにした。もっとも整理は今読んでいる本のあるあたりを避けるという、非常に意地汚い選択をしていたのだが。


 ケイコはデスク越しに、黙々と書類の整理を行っているアスカを眺めていた。
「……なによ」
 いい加減うっとうしいと、そんな視線に顔を上げ、アスカは露骨に不機嫌を表明した。
「なんか話でもあんの?」
「あたしは別に……」
 ケイコは「ふぅ」っと身を起こした。
「ただね……アスカって信頼されてるんだなって思ってさ」
「誰に?」
「碇さんとか……渚君とか、冬月さんとか」
 指折り数え上げていく。
「会議の時にも同席させてもらってるでしょ? あたしたちなんて追い払われちゃうのにさ」
 それはと告げる。
「信用ってのとはちょっと違うんじゃない?」
「そう?」
「おじさまとカヲルと……あとミサトとか、間に挟まれても意見できるってんなら、代わってあげるけど?」
 うげぇっと彼女はうんざりとした態度で拒否をした。
「ごめん、あたしが悪かった」
「でしょ? でもなんで急にそんなこと言い始めたのよ?」
「ちょっとねぇ……」
 うーんとのびをしてから立ち上がり、彼女は部屋の隅にあるポットへと歩いた。
「山岸さんのことでね」
「マユミ? あの子がなにかしたの?」
「山岸さんは別に……ただ下が騒いでるのよ」
「……下?」
「高校んときの仲間より、もっと下の子」
 最初はぴんと来なかった。
「……中学の?」
「そう」
 椀に注いだ渋いお茶を、くいっとあおる。
「実際には、あたしたちが高校の時、小学生だった子たちね。中学の子はまだアスカとシンジ君のごちゃごちゃとした話を聞いてたりしてるから良いんだけど」
「なにがいけないってのよ?」
「あの子たち、アスカのこと、お姉様だって思ってるのよね」
「へ……?」
 オ・ネ・エ・サ・マ……アスカは一瞬、見事なまでにその思考を停止させた。
「おねぇ……なに?」
「オネエサマ。高嶺の花。黙ってりゃ綺麗だし、その髪の色がね……」
「なんだかすっごく馬鹿にされてる気がするんだけど?」
「人気が爆発しちゃったのはアネッサちゃんよね。あの子にお姉様なんて呼ばせてるからよ」
 そういう遊びかと、ようやくアスカは納得した。
「でもなんでそんなのが流行ってんのよ?」
「あたしに聞かないでよ……」
「それで? それがどうマユミに繋がんの?」
「……山岸さんって、暗めでしょ?」
 席に戻る。
「下の子にしてみれば、なんで? ってことになるみたいよ。なんであこがれのお姉様は、あんな子を可愛がっているんだろうって」
 アスカはゾワワと鳥肌を立たせた。
「可愛がるって……」
「たぶん、そっちの意味で合ってると思う」
 やめてよとアスカは真剣にお願いした。
「あたしが言ってるんじゃないんだから……」
「それで……なんなの?」
 話を戻す。
「お姉様はお優しいから、恋人であるシンジ君が預かることになった山岸さんにも、きっと優しく接しているんだろうな……ってことになってるみたいよ?」
「で?」
「マユミちゃんはお荷物ちゃん。お姉様がかわいそう」
 アスカは眉をひそめ、彼女を見た。
「ほんとにそんな噂が立ってんの?」
「そ」
 神妙な面持ちをしてうなずきを返す。
「その上、いじめられやすいタイプの山岸さんは、いじめられないように取り入ろうとして、いろいろといやらしい真似をしてるって……」
「んなわけないじゃない」
「あたしもそう思う……」
 ケイコは駅まで迎えに行ったときのことを思い返した。
 その後もたびたび顔を合わせているのだ。
「メガネのせいかな? 暗い感じはするけどねぇ……」
「自信がないってのはあるけどさ……」
「そういうタイプ?」
 そうよとアスカは大げさに語った。
「何事にも予防線を張っちゃうタイプね。勝手に自分でやっちゃって、それで問題になったらどうしようって考えちゃって、だから先にこれで良いんでしょうかって聞きに来るのよ。よく言えば石橋を叩いてもまだ渡らないタイプね」
「悪く言うと?」
「いらいらする奴」
「いらいらはするんだ?」
「でもああいうタイプには慣れてるからね……」
「知り合いにいるの?」
「居たの」
 アスカは一時期のシンジにそっくりなのよと、マユミの性格をそんな風に表現した。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。