──視線を感じる。
マユミは妙な気配を感じて、サッと振り返ってみた……が、人影を見つけることはできなかった。
(やだなぁ……)
これがまだ地下の巨大書庫であったのならば安心できる。
どんなに悪くても怪現象……すなわちお化けで済むからだ。
しかし家に向かう夜道ともなれば話は変わる。
(痴漢かな……)
月も電灯もある。それでも暗がりはいくらでもあるし、襲われたときには声を出す暇もなく一瞬で引きずり込まれて……。
マユミはとにかく歩かねばと足を動かした。
前に前にと速度を上げていく。やがて小走りになって……マユミは先にあるコンビニエンスストアの光に、ああと安堵の吐息を漏らした。
しかし──気を抜くには早過ぎた。
「きゃ!」
黒い影に視界を奪われた。
彼女は黒い布のようなものに包まれたのだと理解できなかった。混乱し、恐怖で自分さえも見失ってしまっていた。
(息ができない!)
これは痴漢などではない……ということまでもわからなかった。
もがき、苦しみ、鼻と口を塞ぐ『闇』を払いのけようとするも、それもできない。
(──助けっ)
マユミは最後まで願わなかった。
願えば、またあのようなことになってしまうと、おびえ、すくんでしまった。
(い……や……)
マユミはどこに向かうでもなく手を伸ばした……。
そしてそのまま気を失って、そうして目覚めた。
「あ……」
だらしなく、大の字になって布団を蹴り飛ばしてしまっていた。
(夢……)
状況を把握するまでに、たっぷりと時間がかかってしまった。
すぅすぅと呼吸する音に、隣のベッドのアスカを見る。
(気持ち悪い……)
酷い寝汗に髪だけではなく、シャツまでも肌に張り付いていて、首元を撫でれば長い髪と垢のぬるりとした感触に不快感を覚え、マユミはますます嫌悪感を募らせた。
それから彼女は窓を見て、差し込むほの明るい朝日に目を細めたのだった。
「つっかれたぁ」
ミサトは口にするなり上着をはだけ、部屋の戸を開き放り込んだ。
だが着替えはせずにキッチンへ戻って、席に着く。
「ビールちょうだい、ビール!」
「まだ朝だよ?」
「こっちはこれから寝るとこなのよ!」
不機嫌だなぁと、シンジは大人しく従うことにした。
「なにかあったの?」
「マユミのことでね」
「山岸さんの?」
ミサトはちょっと待ってと、先に栓を抜いて口を付けた。
ぐびぐびと缶の半分ほども一気にあおる。
「くはぁ! まったくさぁ……」
「なにさ」
「騎士団の連中よ! 査問会議とか言って、アスカを呼び出そうとするから代わりに行ってきたのよ」
「アスカを?」
「ほんとはシンジ君を呼び出すつもりだったみたいなんだけどね……」
さすがにそれはと、ストップがかかったのだという。
「僕……なにかしたかな?」
「シンジ君はマユミちゃんの監督係でしょ?」
「山岸さんだってなんにもしてないと思うけど……」
一から話すわと、今度はシャツを脱ぎ捨て、アンダーシャツの姿になる。
「事は思ってたよりも大きく広がってたみたいなのよね」
「事?」
「マユミちゃんよ。ほら、碇さん直々に、シンジ君への紹介でしょう? それって裏があるって言ってるようなもんじゃない」
「はぁ……」
「つまり、あたしたちはマユミちゃんに大きな期待を寄せてたわけよ。もちろん、連中が勝手にそう考えているんだろうって思ってただけの話なんだけどね」
なるほどとシンジは了解した。
「別に山岸さんに危ないことをしてもらおうなんて思ってないんだけどな」
「でも騎士団の連中は、勝手に深読みして勘ぐってたわけよ」
もちろん、騎士団以外にもそう考えている連中はいるのだろうと口にする。
「ま、そこんとこはともかくよ。連中、あたしたちがマユミを捨てたと思ってんのよ」
「はぁ!? なんですか? それ……」
またぐびりとビールをあおった。ようやくシンジは、ミサトがやるせない気分に陥っているのだと気が付いた。
「……なかなか期待に応えてくれないマユミに苛立って、もういいってね? 書庫整理ってさ、なんかイメージ悪いみたいね」
「イメージって……」
「もちろん、ちゃんと説明したんだけどねぇ……。実験の成果が上がらないことで、一番ストレスを感じてたのは彼女だってね? だから気分転換にアルバイトをすすめただけだって。それをあいつら」
「なにを言われたんですか? ……って、そっか」
「そうよ!」
失望した上層部は、彼女を適当な部署へと飛ばした……ということらしい。
「なんだかなぁ……」
「最近、ちょっとやりすぎのところがあるのよね、騎士団の連中」
「レイに頼んでみる?」
「ダメよ。自分たちは正しいことをやってるんだって意識が先走ってる。秩序を守るためには罪を犯した人間を刈り取るんじゃなくて、監視を強化して罪を犯させないようにするべきだとか言ってたし」
「逆にレイが説得されちゃいそうだね……でもどうするの?」
「どうもしない……ってわけにもいかないのよね。でももう眠くて頭働かないのよ」
あんたたちが帰ってくる頃には考えておくからと、彼女はふらりと立ち上がった。ビールが効いて、相当に眠くなったらしい。
「ま、あたしも考えるから、シンジ君もなにか考えておいてくれない?」
「わかったよ……」
「言わなくてもわかってると思うけど、マユミちゃんがなに言ったって見放すってのはナシだからね?」
「わかってるけど、でも、ほんとにいいの?」
「なにが?」
シンジは言わなくてもわかってるくせにと、上目遣いにミサトを見た。
どれほど古参の人間であろうとも、ミサトはただの人間である。
そのミサトの立場は、あくまで彼女個人に対する敬意でもって成り立っているのだ。
そんな彼女が、能力者の管理機構とも言える騎士団に逆らおうとすれば、それなりの衝突が起こるのは目に見えていた。
場合によっては、退職に追い込まれてしまうという事態もあり得るのだ。
なのに、ミサトは笑って見せた。
「今更追い出すわけにもいかないでしょうが」
だてにシンジ君や、アスカを引き取ってやしないわよ……と、ミサトは明るく笑って見せた。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。