「はぁ……」
 マユミは職員室の隣の空き部屋に用意されている、非常勤講師用の部屋にはいると、自分の机に座ってどっと突っ伏すように倒れ込んだ。
 アスカやレイが時折教鞭を執りに来るように、マユミ以外にも非常勤講師として顔を出している者は多い。毎日……というのが、マユミただ一人だけな話である。
 年齢は近い……生徒との距離としては許容範囲内だろうか? 四・五歳のものであるのだから、話題についていけないわけではない。
 だがパワーが違う。大人しいと表現されることの多いマユミは、事実性格的には大人しく、少女たち特有のパワフルな一面には、一歩引いてしまう場面があった。
 だからだろうか?
 それを距離を測っているように思われているかも知れないと……彼女は感じだしていた。
(それじゃいけないんだけど……)
 自らに与えられた課題は『人付き合い』の上達なので、逃げるわけにはいかないのだ。
 だから、職員であると言っても食事はなるべく生徒と一緒に取るようにせねばならなかったし、通勤も時間帯を変更したのは、教え子と鉢合わせするようにと考えた末のことであった。
 ……もっとも、そのように振る舞うこと自体が、彼女の性格からはとても難しい行為であるので、だから彼女の気疲れは、そろそろピークに達しようとしていた。


「兆候としては良くないんだよね」
 カヲルはマユミの観察記録を取り寄せていた。
「なにか問題でも?」
 応じたのはアネッサである。
 大ありさとカヲル。
「みんなは歳が近いからうまくやれるだろう、なんて無責任なことを言っていたけどね、教育現場に置いてはむしろ歳は離れているべきなんだよ。いくら歳が近くても、立場的なものがある以上は、決して友達にはなれないだろう? そうなると、後は仲間か、警戒すべき相手か、そうなってくる」
「そうですわね」
 アネッサは小指を立ててティーカップを持ち上げた。
「人は往々にして、身勝手なものですものね。思い通りにならないからと言って憤り、興奮する。日本ではギャクギレ……とおっしゃいましたか?」
「そうだね」
「老いれば根気が身に付きますもの。多少のことは目をつむり、我慢も利こうものでしょうが……」
「山岸さんにそれを求めるのは酷さ。彼女は今の立場に不満を抱いてる……納得できるはずがないからね。その上、周りは彼女を理解しない人間ばかりで、理解できない相手ばかりでもある」
 その状態では、なぜ我慢しなければならないのかという、根本的な疑問を抱かずにはいられないと言う。
「お可愛そうに……」
 憐憫の表情を浮かべる妹に、カヲルは苦笑して問いかけた。
「山岸さんが? 生徒たちが?」
「お兄様のおもちゃにされている方々が、ですわ」


 下校していく少女たちが居て、そんな一団を憎らしげに見ている子が一人居た。
 逆に生徒たちはそんな少女がいることに気づいていない。
 当たり前の服装に、手にはコンビニエンスストアの袋を提げている。立ち止まっているのは横断歩道の前なのだから、ただの信号待ちであると目には映っているだろう。
 その表情も、特になにかが浮かんでいるわけではなくて、ただ景色の一部としてうつろに女子生徒たちを眺めているだけ……のように感じられた。
 ただ、目だけは大きく違っていた。


「山岸さん」
 準備室から出たところを呼び止められて、マユミは萎縮した様子で相手の役職を口にした。
「教頭先生」
 丸メガネをかけたスーツ姿の教頭は、オールドミスと表現するのがふさわしすぎる女性であった。
 野暮ったく長い髪を頭の上でまとめているのが、印象をとても悪いものとしていた。さらに老け込んでいるようにも見せている。
「どうですか? 慣れましたか?」
 答えはわかっている、そう裏に潜ませた言葉に、マユミは、あ、嫌だなと身構えた。
 ねちねちとした人間は、まず遠回しなところからはいるもので、マユミはそんな色合いを教頭の声に聞き取ったのだ。
 そして実際に、彼女の説教はマユミには辛いものだった。
「いいこと? みんな大人のようでも、まだ子供なの。特にあなたのように壁を感じる相手に対しては……」
「せーんせ!」
 ぽんっと肩を叩かれて、マユミは振り返り、誰だっただろうかと一瞬迷った。
 そして担当教室の生徒の一人であったことを思い出す。
「カナコさん」
 不覚にもマユミは名字を覚えていなかった。
 皆がカナコさんと呼んでいたので、反射的にそう出てしまっただけのことである。
「なにしてるんですか? もうすぐ授業始まりますよ」
「お行儀が悪いですよ、あなた」
「はぁい……ごめんなさい、教頭先生」
「まったく……」
 彼女は小言を続けようとしたが、確かに時間がないなと時計を見てあきらめた。
「では山岸さん、よろしくお願いしますよ?」
「はい」
 マユミは緊張の面持ちのままで、カナコはバイバイと手を振りながら教頭を見送った。
 ──ため息をこぼす。
「ありがとう、カナコさん」
「いえいえ」
 頭の後ろに手を組む。
「教頭先生って、イラチだから」
「いらち?」
「いらいらしてる人って意味です。自分の理想とかあって、その通りになってないのが許せないタイプの人なんですよね。だから思い通りにしようと思って説教ばっかり!」
「そうなの……」
「言い聞かせることと、躾るってことの区別が付いてないんですよね。あんまりまじめに聞くことないですよぉ?」
 あんなにかたっくるしい人が増えるのは嫌だと言っておきながら、カナコはまあ大丈夫かと口にした。
「山岸センセって、そんなに教育熱心じゃなさそうだし」
「そう見える?」
「先生って、つまんない人でしょ?」
「…………」
「あ、ショック受けてますね」
 そうねとマユミは嘆息した。
 面白みのない人間だと言うことは、自分が一番よくわかっているのだ。
 人気を取れるタイプでないことも理解している。
「ねぇ……カナコさん」
「はい?」
 マユミは教室に向かう道すがら訊ねた。
「あなた、将来のことって考えたことある?」
「うわっ、いきなり進路相談ですか?」
「そうじゃなくて……ううん、いいの」
「……自己完結しないでくださいよ、なんですか?」
 ちょっとねと答える。
「もしなにかになりたいって思ってたら、少しは自分の意見ってものを持ててたのかなって思っただけ」
 根暗なんだ、とカナコは思った。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。