「では山岸さんの受け入れは軽率であったと言いたいのね」
理事長室には校長と教頭の両方がそろっていた。
校長は教頭とは正反対の性格に見える顔つきをしていた。穏和で、少し丸みを帯びていて、細い目は柔らかく笑い、口元は困っていた。
ふぅと理事長は嘆息した。
こちらはやけに小さな人だった。背も丸くなったおばあちゃんで、丸いメガネをかけていた。
「わたしは間違いだとは思いませんよ? 彼女が悪い人間だとはとても思えませんし」
「存在自体が悪影響を及ぼすこともあるんです!」
当人が善人であったとしてもと、教頭は理事長に意見した。
「用務員として入り込んでいる彼のこともあります」
「碇シンジさんですか?」
「若い男性の存在は、悪影響を及ぼします。特に彼のような女性にだらしのない……」
「噂は……噂でしょう?」
「噂だけで十分です!」
キィとわめく。
「生徒がうわつくには十分な……」
「それでも」
手を挙げて制す。
「彼女の受け入れを断る正当な理由にはなりえません」
「…………」
「なにをそんなに心配しているのですか?」
教頭は答えることなく、口を閉ざした。
「あ……ええと……ですね」
「わかりませぇん」
「もっとはっきりとしてくださぁい」
これがいじめというものかと考えそうになる台詞であったが、ただの苛立ちから来るクレームに過ぎなかった。
実際にマユミの授業は、あまりにもたどたどしさが先立ってしまって、耳にしていてとても癇に障るのである。
「まさかこれ、あんたたちがしくんだんじゃないでしょうね?」
カナコとヤヨイは、心外なとミヤをにらみ返した。
「こんなガキっぽいことしないわよ」
「そうですわ」
それはそれで問題だなと、ミヤは教壇の彼女を見た。
焦っているのか、から回ってしまっている。
生徒もまじめに授業を受けようとしているのだから、ちゃんと授業を行える人間に指南役となってもらいたいのだ。
(だいたいみんながみんな、レイさんとかアスカさんみたいなわけないのよね)
教壇に立つためには慣れが必要である。三・四十人の視線を一身に浴びても怯まないでいられるだけの度胸が要るし、噛まないでしゃべれるだけの練習もいる。
なによりも資料を見なくても口にできるだけの知識の詰め込みは、なくてはならない作業である。
(あたしたちにだってわかることなんだけどな……)
アスカもレイも、実戦をかいくぐってきているのだし、なによりも初期段階から超常兵器と超常能力に関わってきている。
話題などいくらでも持っているのだ。それに報告義務によってレポートや弁論にも慣れていた。
(チョーノーリョクが使えるからって、優秀だってわけじゃないのよね)
そう思えば、立場上このようなことをさせられているだけのマユミのことはかわいそうなのだが……その巻き添えを食う形で生徒にされてしまった自分たちもまた哀れであった。
●
「失敗だったかなぁ……」
反省しているアスカであったが、だからと言って、対処の方法など思い浮かびもしなかった。
奥の部屋でぐったりとしているはずのマユミのことを心配しながらも、テレビの雑音を背景に泣き言をこぼすのが精一杯である。
「内弁慶……って言うんだっけ? ああいうの」
どういう意味かと問うシンジにアスカは答えた。
「見た目より普通だって思ったから、度胸もそれなりにあるんだろうって思ったんだけど……」
菓子箱のせんべいに手を伸ばす。
「あそこまでヘコむとは」
シンジは自分にはわかるような気がするよと告げた。
「根が臆病者だからね、僕も。だからわかるよ」
「ふん?」
「友達なら良いんだよ……それなら嫌われたって、そこまでだから。でも知らない人は別なんだ」
──だってさ。
「知らない人って、なにするかわかんないじゃないか。なにかしたって、簡単に忘れちゃえるだろ?」
「はい?」
もっと説明をと求めるアスカに頭を悩ます。
「だからさ、どうでもいい相手にさ、なにをしたとか、言ったとか、いちいち覚えてる? 覚えてたりする? でも友達だったら、顔を合わせるたびにああいうことをしちゃったとか、言っちゃったとかって、後味の悪さが残るから、言わないように、しないようにって、意識をどこかに働かせるだろう? 普通はさ」
なるほどとアスカ。
「そういう歯止めを持ってくれてない人が相手だと、怖いって話しね?」
「そうだよ」
君もそうだったろとシンジは言った。
「あたしも?」
「うん……僕のことを毛嫌いしてたころは、どんなに酷いことを言ったってさ、僕がなにを思ったとか、どんな気持ちになってるかとか、気にもしてなかったじゃないか。だから」
「エスカレートしてた……か」
「そうだよ。それが他人の距離だって思う。でも知り合いだったらどうかな? やられた側から話が漏れたら、噂になったりするだろう? だから少しは慎重になるんじゃないかな」
「……そういう歯止めを持ってるヤツが相手なら、我慢もできるか」
「そういうことさ。我慢したからって、許してもらえない相手だとね……。臆病者ってさ、そういうとき、どんなことをどこまでされるのかなってシミュレーションもしちゃってるから、よけいに体がすくんじゃうんだよね」
「シンジはそっか……あたしはどうかな……。シンジはどう思う?」
「同じところはあったし、ないところもあったよ」
「どういうとこ?」
「良い子でないとって、見せてたじゃないか」
「……そうね」
「人目を気にしたり、人の評価を気にしたりとかさ、そういうのって、そういうのが悪かった時のことを想像したりしなかった? だから良い子でないとって悪循環にはまったんでしょ?」
「そうだけど……」
よくわかってるなぁと感心する。
「なんでそこまで」
「そりゃ考えたよ、アスカのことだもん」
「…………」
「なに赤くなってんのさ?」
「良い、わかんなくて」
「…………?」
鈍い、と小さく吐き捨てるアスカである。
「つまりあの子、生徒にどんな風に考えられてるかって想像して、はまってるってわけか」
「そうだね……そういうのがどうでもいいって、人の評価なんて関係ないって思うようになったら僕みたいになるし、人の評価より大事な物があるって思うようになったらレイになるし、少しベクトルが変わったらアスカになるんじゃないのかな?」
「なんか曖昧ね、あたしだけ」
「そりゃそうだよ。考えるの、怖いから」
「怖い?」
「アスカには酷い目に遭わされたからね……考えたくなんてないよ」
いじめてる? アスカはちょっと上目遣いに唇をとがらせた。
「泣いちゃおっかなぁ?」
「……悪かったよ」
「んじゃ慰めて……居たの?」
アスカはちえーと廊下に目を向けた。
「いらっしゃい……いつ来たの?」
「わかってたくせに」
だから二人して……とレイはすねた調子でサマーコートを脱いだ。
「いちゃつくならもうちょっと話題選んでよ。聞いて鬱になっちゃった」
「どういう意味よ」
「古傷えぐりあって気持ち良い?」
「ちょっとね」
「変態、マゾ」
べーっと舌を出してレイは言った。
「シンジクンを変な世界に引き込まないで!」
「どういう意味よ……」
「こっちに引っ越してきた時ねぇ……シンジクンって傷付いてますぅって感じで、だぁれが慰めて立ち直らせてあげてたと思ってんのかなぁ? ん〜〜〜?」
降参とアスカは手を挙げた。
その時期のことについては、アスカはおおざっぱなことを聞かされているだけであった。
シンジが転校し、自分も後を追いかけた。そのわずかな間のことなのだが、逆に短すぎる時間のことだけに、事細かに訊ねるのもまたおかしい感じになっていた。
「おもしろがっちゃってさ」
「ん?」
「べつに」
アスカはむすっと、頬杖をついてそっぽを向いた。
おそらくは大したことなどなにもなかったのだろうが、口にされないことは色々と想像を膨らませてしまうものである。
それも四年も五年も膨らませている想像である。今ではあり得ないとわかっているような空想物語ができあがりつつあった。
「それより、なにしに来たのよ」
「監視」
「はぁ?」
「っていうのは冗談。ちょっと月の観察部から気になるデータが上がってきたの」
「月の観察部……って遺跡調査班とは違うの?」
「うん。ジオフロントの環境調査部の別班。黒き月全体の監視をしてるの」
これ……と、鞄からファイルを取り出す。
そこには部外秘とあった。
「なんで紙束なのよ?」
「コピーできないようにだって。これ特殊用紙だから」
「ふうん?」
ぱらりとめくって、アスカは顔をしかめた。
「月が……大きくなってる?」
アスカはシンジを見て、それからレイに確認した。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。