「海ぃ? のんきなものねぇ……」
 話を聞かされ、ミサトは目を丸くした。
「そりゃ行けないことはないわよ、もちろん」
 ビール缶を手に、やけにリラックスした体勢を取っている。
 そしてそれとは対照的に、マユミは神妙に背を丸くしていた。
「行けるんですか?」
 おずおずと訊ねるマユミに、だからねと説明する。
「あなたが行ってる学校って、基本的にはエヴァセンスが確認されていない子供たちばかりでしょう? つまり普通の子なわけだから、出国許可は簡単に下りるわ」
「はぁ……」
「だいたい、国外って言っても明確に国境(くにざかい)があるわけでなし……」
「そういやさ」
 横入りするアスカである。
国境(こっきょう)って言えば、昔の人ってどうしてたのかな?」
「は?」
「時代劇とかでさ、国境の検問所で引っかかってってあるじゃない? でもそこら中が山だし、どこからでも抜けられそうなもんなのに」
 さあねぇとミサトは深くは考えなかった。
「昔はともかく、今は衛星だのなんだのって、いくらでも監視の目は光っているわ」
「そうなんですか……」
 覇気のない様子に、ミサトはおかしいなとマユミを見た。
「行きたくないの?」
「そうじゃないんですけど……」
「マユミはあれでしょ、気が進まないんでしょ?」
 くぴりと何かを飲んだアスカを、ミサトはめざとくこらっと叱った。
「あんた未成年でしょうが」
 ビール缶を取り上げる。
「げちぃ」
 仕方なく立ち上がり、アスカは冷蔵庫から別の飲み物を物色した。
「マユミちゃん」
「あ、はい」
 マユミはアスカの動きから、ミサトへと意識を切り替えた。
「あたし」
 正直に話す。
「行くなら行くで良いんですけど、でも、なんだかそれって、媚びてるみたいで」
「なるほど……」
 そりゃ深刻だわと、うんうん頷く。
「一緒に浮かれてはしゃげるほどには、とけ込めてないわけだしねぇ……この上、そんな気持ちなんじゃ」
「浮くだけでしょうねぇ」
 席に戻って、アスカはどうしたもんだかと眉間に皺を寄せた。
「こっちはこっちで頭が痛いってのに」
 彼女は空いている席に視線を向けた。


 ──アース総合庁舎最上階執政室。
 真夜中だというのに、シンジ、カヲル、レイの三人は、深刻な様子で顔をつきあわせていた。
 アネッサが遠慮がちに、三人のためにお茶を淹れている。
 彼女は妙な雰囲気だなと、音を立てないように慎重に足を運んだ。
「どうぞ」
「ありがと」
 いつになくそっけなく応じるシンジに、本当に深刻なのだなとカヲルの隣の席に動いた。
 シンジが読んでいるものは、先の食事会でレイがばらまいた封書の中身であった。
 外側とは違って、中身の用紙はやけにくだけた色合いとプリントが施されていた。それをカヲルも同じように前屈みになって目を通している。
 レイだけが見たくもないとばかりに背を起こしていた。お茶に手を伸ばして、時間を潰しにかかる。
 ──五分後。
「ふぅ……」
 ようやくシンジは体を伸ばした。
「疲れた……」
「よくもまぁ、これなんて傑作だね」
 もっとも、シンジには読めないだろうと、アネッサに回した。
「まぁ……」
 他国語で書かれた文面に赤くなる。
 シンジは照れるアネッサに、何が書いてあるんだろうかと不安になった。
「で……」
 冷たくレイ。
「碇さんの話だと、好きにしろ、だそうだけど?」
 シンジは冗談はやめてよと逃げ腰になった。
「はぁ!」
 途中から息を止めてしまっていたらしい。
 アネッサが大きく息を継ぐ。
「恋文でしたのね」
 ほてった頬に手を当てる。
「いや」
 カヲルはかぶりを振って否定した。
「もっと酷いよ。これは政治工作って言うのさ」
「政治工作?」
「みんながみんな、『洞木コダマ』さんのことを知っているわけじゃないってことさ」
 カヲルは皆に奇妙な顔をさせた。
「どういうことさ?」
「コダマさんとシンジ君とのことを知っていれば、こんな馬鹿なことは思いつけないよ。これじゃあシンジ君への印象を悪くするだけだからね」
 事前調査が足りないなと皮肉る。
「コダマさんのことを知らないから、こういう手紙が書けるのさ。表向きは我が国のチルドレンたちと、ちょっとした交友会を開きませんか? という話の持って行き方になってはいるけどね、そこは若い男の子だ、少しばかり目を見張るような美少女が現れたとすれば、二人が恋に落ちたとしても致し方ない。それは自然な成り行きでしょう……と」
 肩をすくめる。
「あくまで代表者を装ってはいるけどね、そんな意図がひしひしと伝わってくるな……だからこんなにも熱愛してお慕い申し上げておりますと、社交辞令を越えた熱の入れようになってる」
 仕方のない人たちだなと酷評する。
「たぶん作ったのは、専門の職業士だな。こういう文章が良いでしょうって、指導する人たちが居るんだよ」
「……じゃ、これ、男の人が書いたの?」
「書いたのは女の子でも、隣で文面を創作したのは男かもしれないね」
 なんとも言い難い顔をして一同は手紙の山を眺めた。
「気持ち悪い……」
「まあ狙いは正確だよ」
 カヲルはお茶に手を付けた。
「なにしろシンジ君は成人一歩手前の男性なんだから、歳を考えればそろそろ許嫁の一人や二人はいてもおかしくはない」
 疑問を差し挟む。
「なんで複数なのさ」
「天秤という言葉を知ってるかい?」
「…………」
「そういう考え方がいやらしいものだとは思っていない世界の人たちが、手っ取り早い手段に出てきた。それがこれだよ」
 そういうものかと、シンジは手紙の山を再び眺めた。
「ろくなこと考えないんだな、えらい人って……」
「ちなみに、家柄を考えれば、君が婿養子に入るのが当たり前の名ばかりだよ」
 こういうことには免疫があるのか、アネッサはあっさりとしたものだった。
「特にお相手を決めていらっしゃいませんものね、シンジ様は。ご婚約ともなればシンジ様があちらの家においでになるのが当然となるのですから……」
「労せず最強のチルドレンを一族のものとできるわけだ」
 生臭い話だと結論づける。
「で、どうするんだい? いっそのことアネッサと婚約したということにでも」
「やめておきましょう」
 即座に拒否するアネッサである。
「お父様が発狂なされますわ」
「どういうことさ?」
「……同じ目的で、お父様はお兄様を養子となさいました。ただし、これには絶対の条件があります」
「アネッサが由緒正しい男性を夫として、正当な世継ぎを残すことだよ。僕はあくまで養子であるし、親戚から妻を()ったとしても、やはり正当直系の血筋にはならないからね」
「馬じゃないんだから」
 あきれるレイである。
「そんなに血が大事かなぁ……」
「手紙の中には、君への熱烈な告白もあったけれど?」
「う゛……」
「現状では、意見が大きく分かれているからね。一つは正当直系の血であるほど、能力覚醒は規模が増すというもの。そしてもう一つは、環境によって培われた精神がたがを外すというものさ」
「シンジ様とお兄様ですわね」
「レイも、シンジ君も、特異で特殊な能力者だからね。僕のはあくまでバリエーションに過ぎないし、桁が違っているだけでね」
 笑って済ませる。
「ともかく、この手紙の中にはアスカを誘うものが一通もない」
「あ、僕もそれ、気になったんだけど」
「当然だね。わざわざ障害を呼び寄せる必要はないだろう? 君を手に入れることを考えれば、彼女は最大の障害だよ。それに、今の彼女は役立たずだ」
 そういう言い方は……とは、誰も非難しなかった。
 言いつくろったところで仕方のない話であるし、それは当人が一番理解していることでもある。
 だからこそ、アスカはマユミだけ帰らせるわけには……などと、わざとらしい理由を付けて、この密談から外れたのだから。
「でもこの様子だと、こちらから行かずとも、向こうからやってくるかもしれないね」
 カヲルは対策を考える必要があるなと、それでこの場は終わりとした。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。