──翌日のこと。
 シンジが足を運んだのは、ネルフ地下にある業務施設階と、ショッピングモール階層との狭間にある場所であった。
 この階層は、騎士団と名付けられた自警団体が占拠している領域である。
 エレベーターおよびエスカレーターの存在するホールを中心にして、事務的なブロックが三重の円を描いているのだが、一方向にだけ、道がまっすぐに開かれていた。
 そこには彼らが集い、会議を開くための円卓が設えられている、巨大な『広場』が作られていた。
 天井は高く、青く、床には緑の芝が萌え、さらに葉が生い茂る大樹が、そよ風に梢を揺らしている。
 ──空間そのものがゆがめられていた。
(良くやるなぁ……)
 シンジだからこそわかることである。
 大半の人間は、門をくぐった瞬間に、別の空間に転移させられてしまったのだ……と思うことだろう。
 しかし、実際には違っている。
 本来のスペースは、さほど大きなものではない。そこに作られているのは、この光景と寸分違わぬミニチュアである。
 箱庭を、空間をゆがめることによって、拡大し、使用しているのだ。
「お話は伝わっていると思います」
 円卓の正面席に腰かけている女性が口を開いた。
 二十歳を越えたばかりだろうか? わずかに鼻頭にそばかすがのこっていた。
「正直、賛同しかねます」
 残り六名の、齢も、恰好もばらばらの男達が頷いた……いや、一人だけ女の子が混ざっていた。
「だからって、僕に言われてもね」
 シンジは正直に切り返した。
「言い出したのは生徒さんたちだし、頼まれたのはカヲルく……渚代表だよ」
 それはその通りですと女は頷いた。
「ですが、実質、代表とネルフの主だった方達は、碇さんの言いなりなんでしょう?」
 シンジは鼻に皺を寄せ、それは言い過ぎだよと憤慨して見せた。
「つまり、それが気にくわないってこと?」
 緊張感がいや増した。
「まさか、僕をへこますことができれば……なんて」
「そうは言いませんけど」
 彼女はあわてたようにやめさせた。
 地位が向上する、有利に立てるなんてことを。
 これがそんな、欲にまみれての行動であるのかと詰問されたなら、侮辱であると、戦わざるを得なくなってしまうからだ。
 そして彼女らには、シンジを敵に回すだけの度胸はなかった。
「わたしたちは、ただ、適切な仲介人として、碇さんを指名させていただいた……それだけです」
「そう……」
 シンジはだけどと続けた。
「でもね、良く考えて欲しいんだ。あの学校の子達のほとんどは、好きで引っ越し……移住してきた訳じゃないんだよ」
 誰かが、だからと、先を促した。
 シンジは軽く頷き、続けた。
「その上、外に出られない、里帰りも簡単にはできない、許されないんだと知って、不安になってる。その解消は必要でしょう?」
「安全の確保はどうする?」
 シンジはかぶりを振った。
「正直、そこまでする必要ってあるのかな? 学校側としての対策は、学校としてやることになったけど、だからって、どうして君たちが出しゃばってくるのか、僕にはわからないよ」
 言い切ってから、テーブルの上に両手を置いて、組み合わせた。
 やや前傾の姿勢を取って、じっと女を見つめて、答えを待つ。
「……崩壊は、不審、不安、疑問……そういったものから始まるものです」
「だから、芽は早い内につみ取らねばならない」
 横手からの声に、そちらへと顔を向ける。
 肩のいかつい少年が、気むずかしげにしていた。
「あの女学院の生徒も、この街の住人だ。俺たちが守っているのは、能力者だけじゃないし、ましてや、その仕事は、能力者の暴走を食い止めるものでも、犯罪を犯した者を罰することでもない。皆が笑っていられるように、裏方に徹する、それが俺たちの役割なんだ」
 彼はシンジではなく、議長役らしい女へと語りかけていた。
「裏方は、表の行動に振り回されても、それは仕方無しとするべきなんじゃないのかな?」
「では、あなたは、賛成するのですね?」
「ああ」
 ではと決定したようだった。
「この件に関しては、あなたに任せたいと思います」
「了解した」
 皆静かに席を立つ。
 その中で、彼女はシンジだけを呼び止めた。
「碇さん」
 シンジは浮かしかけた腰を、すがるような目に、また落ち着けた。
 好奇の目を意識させられながらも、耐えて、みんながいなくなるのをじっと待つ。
 一人、二人と、ゲートから消えていき、やがては、女とシンジの二人だけとなってしまった。
「……ノゾミちゃん」
 ややあって、シンジは彼女の名を口にした。
「碇さん」
 彼女は口重く問いかけた。
「お姉ちゃんは……」
 シンジはまだだめなんだと正直に返した。
「僕だって、早く……なんとか……でも」
 わかっていますと、彼女──洞木ノゾミはやめさせた。
「地下のことについては、聞いてます……。『あれ』は不用意に触れるべきじゃないって。何が起こるかわからないものだからって」
「でも一つだけわかってるんだ」
「…………」
「あそこからでなければ、コダマさんに呼びかけることはできないんだよ」
 焦るように手を握り拳の形にし、震わせる。
「あれから一年、二年って……。でも、力ずくでやろうとすれば、みんな、何事だって思うだろ?」
「わかってます……」
「だけど、待てなくなってきてるのは、僕だって同じさ」
 何しろと話す。
「能力覚醒者……発現者、発現時期は、十四・五歳の年齢層に偏ってる。じゃあ、大人になると使えなくなっていくものなのかも知れない。僕だって、いつまでコダマさんを連れ戻しに行けるだけの……『あれ』と接触できるだけの力を持っていられるのか、わからないんだから」
 だから、気は急くし、焦ってもいると、彼は伝えた。
「碇さん……」
 彼女──ノゾミは、洞木コダマ、ヒカリと同じ、洞木家の子供で、三女であった。
 本当の年齢は、もっとずっと下である。
 だが発現した能力が、空間のみ成らず、時間すらもゆがませるとあっては、このような場所に幽閉されざるを得ない事情を発生させていた。
 その姿が本来の年齢から数年は後のものとなってしまっているのも、暴走した力が影響しているためである。
 はぁとノゾミはため息をこぼした。
「あたしって、お姉ちゃんに似ないですよね……」
「ノゾミちゃん……」
 暴走した力は、彼女が気にする姉の年齢へと、彼女自身を老いさせていた。
 あるいは気にするあまり、力が暴走して働いているのかも知れなかった。
 少なくとも、このような円卓会議場を形成する方向では、能力は正常に働いているのである。
「ヒカリお姉ちゃんから、手紙が来ました」
 じっとその目を見つめ合わせる。
「どうして碇さんが、そんなに……お姉ちゃんのことが好きなのか、わからないって」
 ううんと彼女はかぶりを振って否定した。
「本当に、お姉ちゃんを助けてくれるつもりがあるのかなって。本当は、口で、助けたいって、言ってるだけなんじゃないかって、思ってしまってるって」
 シンジはただ、目を伏せた。
「碇さん……」
「…………」
 そう思われても仕方がない。シンジはあきらめから、ぎゅっと歯をかみしめた。
 ──突如、なにかが形を成す。
(あきらめないで)
 なにかが言った。
(そう、あきらめちゃ、だめよ)
 くすくすと笑って。
 ノゾミは、その影をみとめて、眉間に皺を寄せた。
(ずっと、はっきりと見えるようになって来てる)
 ノゾミには、その女の影の正体がわかりかけてきていた。
 その影は、時間を隔てた場所から来ている。
 空間にとらわれずにやって来ている。
 そしてこの人に、悪いことをささやいている。
(お姉ちゃん……)
 だからと言って、彼女にはなにも口にすることができなかった。
 姉を救ってもらいたい……そのためには、何が良くて、何がいけないのか? その判断ができなかったからである。
 見た目は大人となり、このような要職に就いてはいても、中身はまだ子供であった。
「碇さん……」
 彼女は、シンジに残ってもらった、本当の理由へと話題を変えた。
「少し、頼みたいことがあるんです」
「なに?」
 シンジも気持ちを切り替えようと言うのか、素直に応じた。
「できることなら、言ってよ」
 こくりとノゾミは頷いた。
「修学旅行には、行ってもらえませんか?」
「僕に? でも……」
 難しいなと言う。
 シンジの存在は、内外に置いて、とても特別なものである。
 まだカヲルが出国する方が簡単なのだ。
「なんで……」
「この人なんですけど」
 ノゾミは、手元に置いた写真の像を、空間をゆがめることによって、シンジの正面に映写して見せた。
「誰……いや、この子って」
 小学生か……中学生であるが、シンジにはその面影に覚えがあった。
「トウジの?」
 こくんとうなずき、ノゾミはその子が、鈴原トウジの妹であると改めて口にした。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。