「痛っ……」
 マユミはちくりとした痛みに人差し指を見た。
 ひっかき傷ができて、汚く血がにじんでいる。
「嫌だ……」
 新しい学校だというのに、用具室の中は雑然としていて、少し物を探しただけでこの有様だった。
 なにで怪我をしたのかと探し、木造棚の一部にささくれがあるのを発見した。
 どうやらこれで引っ掻いてしまったようである。
 マユミはじっと、傷を見た。
 なめるには指──手が汚れすぎていた。だから赤い血もどこか汚らしく黒ずんで見えて、さらには綺麗にならずに、だらしなく練り固まっていくのだ。
 どうしよう……怪我と言うには小さすぎて、大げさに絆創膏を貼るのは情けない。
 だからと言って、放置することも、ハンカチでぬぐうこともできないのが、マユミの生理的な反応だった。
(仕方ない……っか)
 やむを得ず、汚した指を庇うようにして、彼女はボールペンやハサミなどが雑然と放り込まれている箱を持ち上げた。
「よいしょ……っと」
 こんな時、男の人がいれば……と、考えるだけの図々しさもないマユミは、生徒にすら命じることはできなかった。
 結局、海への旅行は、臨海学校と言うことで話がまとめられることとなった。
 それに際して、生徒から十名ほどの代表を選出し、マユミ他数人の教師と、『しおり』の作成に励むこととなったのである。
 ──パソコン……使わないんだ。
 こういったことは『イベント』であるので、なるべく手作りの雰囲気を込めるべきだというのであるが……。
(結局、最後はパソコンで清書しちゃうのに)
 そして大量印刷を行うのだ。
 父親に着いて、文化的に恵まれていない土地へも赴いたことがあるマユミだから、どうせなら『がりばん』で印刷してしまえばいいのにと、そんな中途半端さに非難の気持ちを抱いてしまった。
 手をかけるか、抜くか、どちらか一方であった方が、気持ちが楽だからである。
(面倒なのよね……)
 その両方でバランスを取ることが、マユミには苦手であった。
 このようなとき、張り切ればもっと楽にと言われ、手を抜けば、もっと真剣にと口にされる。
 人にほめられるように、うまく振る舞うどころか、普段うまく立ち回っているところは評価されず、ふと気を抜いた瞬間ばかりを目撃されて、非難される。
 そのような運の悪いところが確かにあって、マユミはどこか、デジタル的に、与えられた仕事を淡々とこなすだけで終われる日常にあこがれていた。
(でも現実は、そううまくいかないんだ)
 現状に不満がある。
 今の状態は、やりたいことをやっているわけでも、夢を追っているわけでもない。
 自分という主体を添わせることができないままに、客観的に、良いだろうと思われたという立場を押しつけられているのだ。
(本当に、あたしに力なんて、あるのかなぁ?)
 答えはイエスであるし、それは疑いようもないことなのだが、結局は二度の発現を見ただけである。
 偶然、そのような場所に立ち会ってしまっただけ……という感がぬぐえないのだ。
 周囲から、君の力だと刷り込まれ、そうなのだなと思ってしまっていたのだが、こうもそれを実感することなく過ごしてしまうと、やはりあれはなにかの間違いではなかったのではないかと、そんな気持ちが浮上してくる。
 そして過去にある、暴走事故などを確かめてみれば、マユミよりもそのような場所に立ち会った回数の多い人間は、両手の数以上に見つかるのである。


 ──そんな時であった。


「あ、山岸先生!」
 生徒会用の会議室には、十数名の人間が集まっていたが、やけに雑然とした雰囲気に包まれていた。
「なにかあったんですか?」
「あったか、じゃありません! 今、碇さんにお出でいただくよう、人をやりましたが……」
 教頭はやけにおろおろとしていた。
「どうしたんです?」
 彼女は、教頭にはろくに説明を求められないなと、生徒の一人を捕まえた。
「あの……」
 彼女は、半分涙目になって、懇願するように口にした。
「一年の子が、エヴァに目覚めてしまったそうなんです!」
「えっ……それは」
「本人は、そうだとわかっていなかったらしくて。でも、そうらしくて……」
 どうもそれだけではなさそうである。
「落ち着いて、ね?」
 はい、はいと、彼女は方に置かれたマユミの手に助けられたようであった。
「そんなもの、いらないって、どこかへ」
「どこへ行ってしまったか、わからないのね?」
「はい」
(そうか)
 それでとマユミは納得した。
(碇君なら、コネもあるから……)
 エヴァを使えば、人一人捜すことは難しくない。
 そういうことなのだなと了解したが……こういう時に限って、シンジは学園には来ていなかった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。