──シンジはそっと手を伸ばした。
その直後のことであった。
「シンジクン!」
レイはシンジの腕を取って体を引いた。
少女の腹が破裂し、闇の風が吹き出したのである。
「そんな!?」
シンジはとっさに身構えた。
黒いもやは浸食するような動きを見せて広がった。そしてコンクリートの壁のみならず、あらゆるものに取り付き、包み溶かし、食らっていく。
そして闇を構成している因子は肥大化し、さらなるえさを求めて職種をのばす。
こうなると闇は粒子の集合体ではなく、どん欲な粘状生物の群体であると思えた。
(どうして)
レイは、異常な恐怖感を味わった。
どんな力も、形や能力の発現の仕方は、本人の知識と認識力によって決まってくるのだ。
ならば、表面上はどうであろうと、このような力を夢想する素地があったということになる。
(でも、こんな形の力)
どのような知識があれば、構築される力なのだろうか?
レイは、学校を飛び出したという少女のことを、もっとしっかりと聞き取ってくるのだったと後悔した。
──ゴゥ!
闇が押し寄せる。ただ、ただ、圧倒的な圧力を持って。
その圧力に、シンジの展開してる金色の障壁がゆがみ、削られ、散り流されていく。
レイは、これは、たとえエヴァンゲリオンを持ち出したとしても、防げないものなのではないかと思ってしまった。
(それでも、前に、進む?)
義務感がどうのという話でもなく、レイは、彼の顔を肩越しにのぞいた。
思いかけず、まじめな表情をしている。
おそらくは、エヴァに乗って、使徒を倒していたころも、このような顔をしていたのだろうが……。
(それを見てられた状況ってなかったしね……気迫は機体から感じられたけど)
そういえば、と、考えてしまう。
(今エヴァの使い方を教えてあげてる人たち。みんなはどんな顔をして乗ってるんだろう?)
思ったとき、レイは「え?」と声に出してしまった。
視界の端に、人影が……それも場違いに穏やかにたたずむ、女の姿が見えたからであった。
──レイは音が消えたことに気づかなかった。
闇の色が紫色になったこともわからなかった。
その紫色の中に星雲があって、星が流れていることも気づかなかった。
黒の風の奔流はなくなり、耳が痛くなるほどの静寂に満たされていて、シンジの姿が見えなくなってしまっていることにも気づかなかった。
そして、女は振り返った。
(え……あたし!?)
そこにいたのは、レイだった。
ただ、格好が明らかにおかしかった。
一枚の布を、肩からかけるように体に巻き付けていた。
髪も多少長いだろうか? 色も違う。そしてよく見ればあごもややとがっていて、目尻もきつくあがっていた。
大人の自分だ……そうわかったが、それがどうなのかと問われればわからない。
ただ、怖かった。
レイは本能的におびえて逃げようとした。
「あ!」
次の瞬間、時は現実に戻っていた。
「レイ!」
レイは、シンジの張る障壁の外に踏み出してしまっていた。
シンジの、どうしてという目に、レイは答えることができなかった。
自分でも理解できていなかったからだ。
信じられない思いだった。そしてそれは、シンジもまた同じであった。
──彼の障壁は、レイをとらえておくことはできない。それは遠ざけておくことができないのと同じ理屈である。
そして、レイは、そのことを十分に承知しているはずであった。この領域から外に出ることの危険性を、なのに。
一瞬でレイの姿がかき消える。闇の風に飲まれて消えてしまった。
──まずい!
闇の正体がわからない。抵抗することしかできない状況で、レイを見失ってしまった。
いや……。
本当に見失っただけなのかと思い至りゾッとする。
もしこの闇が無機物をくしけずるだけでなく、有機物にまで作用するのなら、人のような密度の低い物体など容易に分解されてしまう可能性がある。
そう……もし、飲み込まれたのでも姿が見えなくなったのでもなく……。
──死!?
次の瞬間、シンジはレイと同じ現象に出くわした。ただし、シンジの前に現れたのは、無骨な鎧をまとった大男であった。
「え?」
少女のなれの果てが見えなくなって、代わりに、そんな不自然な存在が現れたのだ。
シンジは油断から、ATフィールドを浸食されてしまっていた。だがそのことに気づく間は与えられなかった。
──鎧武者である。
銀甲冑を着込んだ男は、すらりと大振りな剣を抜いた。
両刃の直刀で、とても鈍い光沢を放っている。
切れ味は期待できそうにない刃ぶりの物であった。ただし、力任せに振り抜くのなら、骨ごと肉をたたきつぶす類の用途で用意されたものなのであろう。
「なんだ、こいつ!」
大上段から無造作に振り下ろされたはずの一撃、だがシンジはその大刀の軌跡を視認することができなかった。
(ATフィールドも効いてない!?)
左側に膝が崩れる。大男に見合った大刀である。それがシンジの左肩から胸の半ばにまで食い込んでいた。
「くっ!」
ぐらりと意識が傾いで消えかける。シンジは踏ん張った。意識を失えば終わってしまう。
意識がある限り、肉体はいくらでも修復できるが、逆に意識を失えば、どうなってしまうかはわからないのだ。
睡眠や気絶とは根本的に意味合いが異なる。意識の断絶は本来行われるべき自律活動にまで影響し、『暴走』させてしまう可能性があった。
ぶらりと揺れる左腕をつかんで、シンジは体から引きちぎった。
痛覚は切断していた。後は嫌悪感の問題であるが、これはさすがに無視できなかった。
自分で自分の体をちぎり、振り回す。その感覚に酸いものが胃から食道へと込み上げる。先に血が逆流し、口からあふれ出しているというのに、嫌味のある酸味がはっきりとわかってしまう。
その理不尽な気持ちの悪さが、シンジの意識を怒りによってつなぎ止めた。
よろけながら距離を取り、左側半身を再構築しながら、ちぎり取った『パーツ』を別の物体へと再構築する。
シンジは、それを、エヴァの第二武装である『マゴロクエクスターミネートソード』へと変形させた。
「くっ!」
マゴロクターミネートソードは、巨大十手を想像させるショートソードである。
シンジは受けた刃を刀身で滑らせ、柄の根本に受け押さえ込んだ。
「この!」
無理矢理に角度を変えて、敵の剣を折ろうとする。
身長にしても三分の二以下、体つきとなるとさらに小さなシンジが、力任せに肉厚の剣をへし折るのは無理に思えた。しかしシンジの腕には、見かけからは想像もできない力が加わっている。
── 攻防は、鎧武者の勝利に終わった。
「なっ!?」
シンジは逆に剣を取り上げられて驚いた。
よろけながら下がる。身長百七十センチの体で、エヴァンゲリオンと同等の『出力』を発生させているのだ。
そのパワーに唯一対抗できる存在は、渚カヲルただ一人だけであるとシンジは思っていた。
(そのはず……だ、絶対!)
ショックによって崩れかけた自信を立て直す。
不安や迷いは能力発現の妨げになるからだ。
シンジは二歩三歩とステップバックしてから構えなおした。
そして左肩に触れる。左腕の形状が今ひとつ『ふやけて』いるのは、ディテールにこだわってないからだ。
その上、破れたシャツを肉に巻き込んでしまっている。
以前の通りの腕を再現しようとすれば、その分だけ余分に集中するしかない。
それでは、隙をさらしてしまうことになる。
──シンジははっとして、敵を見た。
(ディテール?)
すっと敵は闇に紛れるように身を引いた。
まるで姿をよく見せないために逃げたようだった。
(なにかあるんだ)
シンジはよく見ようとして、一歩前に踏み出した。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。