右から来た刀をかわしても、シンジに反撃することは許されなかった。
剣の作り出す風圧が、彼の体を軽く浮き上げ、横へ流そうとするからである。
(風なんてないはずなのに!)
空間そのものが剣圧に巻き取られて動いているようである。シンジはここに来て、既成概念を捨てることにした。
人の形のままでは勝てないと踏んだからである。
「くっ!」
まず体重を重くする。体を硬くし、密度を上げ、自重を増やす。
そうしなければ、剣を受けることができないからだ。
次に、彼の運動靴が内部よりはじけた。つきだしたのは爪だった。
鳥のように尖った二本の爪だった。そしてかかとからも一本飛び出していた。
「ぐっ、う!」
横なぎの剣をソードで受け止め、踏ん張った。
利き腕だけでは耐えられずに、左手も添える。
ふくらはぎが張って、スラックスがビリリと破れた。
筋張った筋肉があらわとなった。
三本爪の足は恐竜のようで、同時に、シャツの下の体にも、一目にわかる変化が現れているのではないかと想像させる物だった。
──シンジは戦いなれている。
使徒との戦闘であったが、それでも場に飲まれない程度には、胆力を鍛えられている。
体の変貌に意味があるとは思わないが、この空間ではより強いイメージを抱かなければならないと感じて、安易な方法に頼ったのである。判断としては間違いではない。
「わぁ!」
──それでも『試合巧者』であるかどうかは別問題だった。
巨剣士は、シンジのような小僧に剣を止められたことにもショックを受けずに、逆に剣を引いて、彼の体勢が崩れるように仕向けたのだった。
シンジは急に剣を引かれて、前のめりにバランスを崩した。
(まずい!)
真下から、丸太のような足が蹴り上がってきた。
とっさに左手をだし受け止める。ガンッと、鋼の衝撃に腕をしびれが突き抜けた。
もぎ取られたかとシンジは思った。
いや、いっそのこと、ちぎりとばされてしまっていた方が良かったかもしれない。そうであれば、復元すれば良いのだと、意識を切り替えることができたのだが、シンジはしびれる腕に、当たり前の人のように反応してしまったのだった。
──つまり、被害の度合いを確かめて、かばうような姿勢を見せてしまったのだ。
剣を持つ手でかばってしまった。使徒が相手であったならば、このような行動も隙とはならない。
使徒と、人との差が、ここにあった。
使徒は、圧倒的な武力によって、敵を殲滅するだけの物である。だから、さらなる圧倒的な力によって、対するだけで良かったのである。
しかし、人との戦いは勝手が違った。
なぜなら、人と、人との戦いは、相手の先を読んで封殺し、御することを第一として成り立っているものだからである。
(良いように遊ばれてる!)
首を斬りとばされたシンジは、その首が遠くへと行かないうちに、宙で受け止め胴に戻した。
生首を再接合して、相手を見る。剣は捨てた。
(使徒と人……いや、使徒と、エヴァか……)
はたして、どちらが強いのだろうか?
(僕が使徒で、こいつがエヴァか……)
だとすれば、自分は負けるかもしれない。
戦いに集中すれば、あるいはという思いが脳裏をかすめたが、シンジはその考えを捨てることにした。
戦い、勝利することで、今の目的が果たせるとは思えなかったからである。
今の第一は、レイである。
そのためには、この不条理事態の秘密を解かなければならない。
この巨漢の武者を倒したところで、それが解けるとは限らないのだから、力のすべてを注ぎ込むわけにはいかなかった。
倒したところで、これがなにかによって作り出された人形ならば、次々と切りなく現れてくるだけであろうし……。
「はぁっ!」
シンジは両手をそろえて突き出した。
ドンッと、光の束を放出する。両腕の神経組織と細胞を利用して、陽電子を生成し、放出したのだ。
光は武者の胸で爆発した。さすがにこれは痛撃となったのか、武者はよろめいた。
──同時に、ぐにゃりと空間がゆがんだ。
「なんだよ!?」
ゆがみの色合いが凝縮し、鎧武者に背後から覆い被さる。
取り憑き、覆ったまだらの幕は、そのまま武者の新たな鎧となって、硬化した。
二回りほど大きな体と、剣を与えられた武者は、ずんっと音を立てて足を踏み出した。
鎧は、攻撃性が増すように、ブレードと突起物が付加されている。
さらに、左腕には、大きな長盾が装備されていた。
明らかに、シンジのビーム攻撃を受けての防具である。
「学習……で、反映させたってわけか」
その対処反映のあまりの早さに、シンジは使徒よりもずるいんだなと、げんなりとした感じを覚えたのであった。
プツンと、テレビのスイッチを入れたときのような音がして、光が横から縦へと広がりを見せる。
そして電子信号は映像へと変わった。
白から色へ、そして……。
「結婚するなら、背が高くて、落ち着いた方が良いですわ」
お嬢様たちの会話風景が映し出される。
それは窓の外に見える、ジャージ姿の碇シンジを馬鹿にしたものであった。
あのような貧相な少年ではなくてと理想を語る。だが、少女たちの空想は、妄想に近いところを推移しながらも、決して現実的な境界線を越えようとはせず、大人となり、結婚して、子供を産んで、幸せな家庭を築く。
そんな夢物語を綴るにとどまり、その形、ビジョン……相手のこと、結婚式の光景、住居に、理想の家族構成。
そんな絵図はありながらも、彼女らの会話には、過程というものが欠けていた。
大人となって、結婚すれば、ふしだらとされる行為を行わなければ、子は成らないのだ。
少女たちは、口にはしない。それははしたないことであるからだった。
してはならない、禁忌である。夢想することすら、おぞましい。
だが……一人となると、話は微妙に変わってくる。
興味は押さえきれず、恥ずかしいことであると自覚しながらも、こっそりと絵空事である本を手に取り、思い描いてしまうのである。
ちょっとした描写に、深く刺激を受けて、空想を押し広げていく。その程度をあるとき、少女は、踏み越えてしまったのだった。
境界線が、どこにあったのかはわからない。
少女は気づいたとき、悲鳴を上げていた。
べったりと、太股が血にぬれていた。
怖くて、スカートの中を見れなかった。知識としては、生理という物を知っていたが、そのときはそのような不埒な妄想に浸ってしまっていたものだから、体になにかしらの罰が与えられたのではないかと考えたのだ。
──思いこんでしまったのだ。
醜い、醜い、醜い。こんな自分は醜い。そしてこんな自分が、こんな自分の妄想の果てに生まれてくる子供はきっと汚い。
たくさんの淫らがましい、汚らしい、負のメンタリティ。
そんなものによって構成され、生み出されてくる子供がまともであるはずがない。
──どこまでも具体的に思ったわけではないのだ。
だが彼女の中にあった、エヴァと名付けられた無形の力が、最初の形を選るには、それは純粋すぎる『衝動』であった。
「そんな……」
レイはその光景を別の眼によって捉えていた。
しかしそれは頭の中に浮かぶ情景のような形で見えていて、なれた第三眼を通して視るような感じではなかったのだ。
だから戸惑いもしたが、すぐに順応もした。
問答無用で流れ込んでくるのなら、抵抗せずに、終わりを待てばよいのだから。
──そして、レイの前には、躯が山となって積み重なっていた。
赤ん坊の死骸である。頭が大きい上にゆがんでいたり、まぶたが大きく腫れて、眼球を覆い隠してしまっていたり、手足が枯れ枝のように細かったりと、そのどれもが奇形児であり、また、黒くくすんで、変色していた。
なのに、ぶよぶよとして、みずみずしいのだ。
気味が悪い、だが、その平原と、先にある丘の頂に、子を産み落としている存在があった。
それは、レイたちが探していた少女であった。
見るも無惨に肉太りし、風船のようにふくらんでしまっていた。
その上、たるんだ脂肪が肉の段を作り、ところどころは脂肪が堅くなってしまって、老女のような肌合いを見せていた。
手足は腹のふくれ具合に、若干埋もれて、短く感じる。
指は太って、もう曲がらないようであった。
そんな彼女の体の脂肪が、時折泡となってふくらんで、子供となって落ちるのだ。
はい出るようにして産声を上げる赤子たちは、ギギャアとこの世のものとは思えない産声を上げる。
そして丘を転がり落ちて、地に手をついて歩こうとし、息絶えていくのである。
彼女は、今の自分にか、あるいは子供たちに対する切なさのためか、滂沱のごとき涙を流し、えぐえぐとしゃくり声を上げていた。
しかし、その泣き声も、のどの脂肪につぶされて、器官をふさいでしまうのか、ひどく耳障りな物である。
「なんで……」
レイは、その異様な光景に、歯ぎしりをした。
「なんで、こんなこと、するのよ!」
──させるのよ、と、レイは泣いた。
彼女には、これが、ただの偶然による『事故』ではないとわかったのである。
いや、感づくまでもなく、わからされていた。ヒントはあからさまにあかされている。
自分に似た女である。彼女は今も、薄気味悪く笑いながら、肉だるまとなった少女のそばに立っている。
漂うように、揺らめきながら……宙に浮くように、つかみ所なく。
──それが、誰であろうとかまわない。
レイは、彼女が、徐々に実体を持ち始め、存在感を濃くし、渚カヲルに奇妙な警戒心を呼び起こさせている存在だ、などとは知らぬままに、力を解放して突っかかっていった。
そのとき、彼女は、怒りに支配されていて、結果をみじんも想像していたりはしなかった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。