「リョウジ君の方に動きは?」
 コウゾウはクルーに焦りを見せぬよう、まぶたを閉じて待っていた。
「動き出しました」
「追い付いてくるか?」
「ぎりぎりで……」
 ふうっと、まずはの一息を吐く。
「回収後に加速をかけてこの空域から離脱を図る。準備しておいてくれ」
「はい」
 眼鏡にオールバックの青年が、慌ただしく再加速のためのチェックを始めた。


「このままで逃げ切れるか?」
「……それは甘いと思うよ」
「あれ?」
 不意にアスカが声を出した。
「どうしたんだい?」
「よくわかんないんだけど、何かがこっちに来るみたい」
「なに!?」
 しかしリョウジの見るレーダーには何も映ってはいない。
 が、潜行されていればこの程度の船では探知できなくて当然だった。
「そっちの方が精度がいいのか……どっちから来る?」
「あっちの方」
 間抜けにも指差すアスカである。
「追い付かれるね……」
「どうする」
 リョウジは悩んだ。
 あの時に似てる……。
 アスカは木星へ向かう途中での出来事を思い出してしまっていた。


 木星へ向かう途中の事故だった。
「隔壁閉鎖、汚染警報発令!」
 真っ赤なランプが酷く人をあおり立て、通路に悲鳴を響かせた。
 あーん、あーん、あーん……。
 アスカはその隅っこで、お猿のぬいぐるみを抱いて泣いていた。しゃがみ込んで、動けなくなってしまっていた。
「後部ブロックを破棄する。パージ開始!」
「ダメです! 腐蝕性のガスを確認。コントロール系をやられてます!」
 艦長は苦渋の選択を強いられることになってしまった。
「……船を捨てる。全員脱出用のシャトルへ」
 あーん、あーん、あーん……。
 誰もアスカを見てくれない。
 誰もアスカをかまってくれない。
 誰もアスカに手をさしのべなかった。非常警報によってアスカの声など聞こえもしない。
 それでもアスカは人に押されて、シャトルのある格納庫へと流されてきていた。
「アスカ、アスカは!?」
 シャトルに乗り込むタラップの上で、キョウコが叫びを上げていた。
 宇宙服を着ているのは、それまで事故の処理に当たっていたからなのだが。
「ママ……」
 アスカは射出口への入り口で、脅えてしゃがみ込んでいた。
「アスカ!」
 慌ててタラップを蹴る、人工重力は働いていない。
 宙を泳いでアスカの元に降り、抱き上げてまた戻る。
「早く!」
 船員の一人が手を伸ばしている。
 射出口の扉が二人を待たずに開かれた。
「ママ!?」
 アスカはシャトル側の人間に向かって投げられた。
「ママぁ!」
 アスカは受け止めてくれた男から逃げ出そうともがいた。
 キョウコに向かって手を伸ばす……が、届かない。
 空気の流れに乗って母は吸い出されていってしまった。
「ママぁ────!」
 アスカの目前で、無情にもハッチが閉じられる。
「嫌ぁ! ママ、ママぁ!」
 アスカは誰かに押さえつけられた。続いて震動。それはシャトルが宇宙に飛び出す際に行った加速によるものだった。
 アスカは泣きながらドアを叩いた。
 男は安定したからか体を離した。そのまま逃げ込んだ人の中に紛れてしまった。
 アスカは自分を受け止めた男を恨もうにも、それが誰だったのかも分からなかった。
「ママ、ママぁ……」
 泣き崩れてしゃがみ込む。
 その隣には皆に踏み付けられてお腹の裂けた、お猿のぬいぐるみが転がっていた。


 結局ママは見つかったけど……。
 二日間の宇宙漂流は、正気を失わせるには十分だった。
 あたしはどうかしらね?
 母は死んだ……自殺だった。
 エヴァが動く事を確認する。
「あんた確か、この中が一番安全だって保証したよね?」
「アスカちゃん?」
 リョウジは怪訝そうな声を出した。
 だがすぐにアスカの表情から何を考えているか悟ってしまった。
「待て、やめるんだ!」
「い・や・☆ あたしは自分で考えて自分で決めるの」
「アスカちゃん!」
 エヴァの両手がワイヤーをつかんだ。
 その強力(ごうりき)で一瞬の内に引きちぎる。
「がっ!」
 反動でリョウジは席から投げ出されかけた。
「アスカちゃん!」
 エヴァが首を巡らし、方向を変えていく。
 背中にロケットがつけられているのだ。腰を曲げればある程度の方向は変えられた。
「ママはあたしを助けてくれた。あんたはあたしを守ってくれる?」
 甘えるように、シートに軽く顔を擦る。
 エヴァの目がキラっと光った。それがアスカに答えようとしたエヴァの意志によるものであったのか、それとも正面から来る白い船が写り込んだだけの反射光であったのか、それを確かめられた者はいなかった。


 ──ゴゥ!
 二機が平行に並んで虚空を駆ける。
「ん〜、このロケット。こっちからじゃコントロールできないのよねぇ……」
 つまり加速する一方で、減速することはできないのだ。
「カヲルってのの話じゃ、これを奪うのが目的みたいだし、攻撃されることは無いと思うんだけど……」
 敵船を見る。
 四十メートルの巨人から見ればあまりにも小さいのだが、アスカの見るモニターにはその大きな船が細部まで鮮明に映し出されていた。
 捕まえられそうなんだけど。
 思った瞬間には腕が伸びていた。
 しかしするりとかわされてしまう。
「ああん、もう!」
 ドガンと衝撃。
「やってくれたわねって!? あれ?」
 ロケットが破壊されていた。
「嘘!?」
 慣性に従って放り出されたままになる。
 また敵の口の中で何かが光った。
「あ……」
 アスカは驚いて左右を見た。
「な、なに? この感じ……」
 重力兵器を応用しての牽引ビームだった。
「つ……つかまったの?」
 それはあまり重要ではない。
「そう言えばさっき手のひらも……」
 エヴァの感じた事が、そのまま自分に伝わって来ていた。
「動けって命じれば動くって、そう言う事なの!?」
 驚き焦る。
 一瞬の脅えがシンクロを断ち、アスカは何も感じなくなってしまった。
「ええ!? ちょ、ちょっと……」
 急にエヴァを感じなくなり、L.C.L.とそれに引っ張られる服の重さを感じってしまった。
「や、やだねぇ? 動いてよ!」
 しかしまったく反応しない。
 頭上……エヴァ背面の少し前に浮かんでいる船のことが恐くなる。
「嫌……、嫌ぁ!」
 いやああああああ!
 叫び出そうとしたが、先に助けの手が届けられた。
「アスカちゃん!」
 後方からの通信であった。
「リョウジさん!?」
 敵も通信をキャッチしたのだろう、エヴァを放り出して減速した。
「え? ちょっと何するつもりよ!」
 北天側へと上がっていく。
「上から狙うつもり!?」
 アスカは焦って叫びを上げた。
「リョウジさん、逃げて!」
 リョウジの船が見えた。
 エヴァの瞳に光が灯る。
 これじゃあママにも負けてるじゃない!
 グラフィック化された重力変動の様子が表示された。
 輸送艇へと落ちていくエネルギー波。
 でかいだけで……。
 なんにもできないっての?
 あんたは!
 ──カッ!
 その瞬間、エヴァの目の輝きが限界を越えた。
 暴走する心がシンクロ値を高め、アスカにエヴァと自分本来の肉体との境界線を消失させた。
 フォオオオオオオン!
 額部ジョイントが外れ、本来なにも響かないはずの空間に雄叫びが吐き散らされた。
 体操選手の様に身を捻り、身伸での半回転を行って、エヴァは体の前後を入れ替えた。
 リョウジの船を下に庇う。
 カキィン!
 金色の壁を背中に張って、アスカは重力攻撃を跳ね返して見せた。
 あたしを守れるってんなら倒せるでしょ、あれくらい!
 アスカの叱咤に過激なくらいの反応を示す。
 エヴァは体をよじって上向いた。
 ブォン!
 スイングした右腕から目に見えない力が飛び、何かがキラリと光を放った。
「……終わったみたいだね?」
 カヲルのやたらと落ちついた声に疲れを感じる。
「簡単じゃない……」
 呆気に取られているのはリョウジも同じであった。
「しかしこれで船には帰れなくなったな」
「ほんとにこれまでなの? ねえ……」
 誰にではなく、側に感じる誰かに尋ねる。
 しかし返事はしてくれない。
「この程度のことは自分でどうにかしろって事さ」
「なによ!」
「まあ、今回は手を貸して上げるけどね?」
 ピッ……。
 またレーダーに反応が現れた。
「また来た!?」
「こちらにも映ってる。これは?」
「はぁい☆」
 やたらと陽気な声だった。
「やあガギエル」
「なぁに遊んでるの? 雑魚相手に」
 ざ、ざ、ざ、雑魚ぉ!?
 怒りに顔をふくらませた。
「ちょっとぉ! こっちはロケットも無いのに戦わされてたのよ!?」
「エヴァはその気になれば自力で飛べるのよ? 自分で力を引き出しなさいよ」
 映像は来ない。その代わりにSOUND・ONLYと表示されている。
「くっ、この……」
「まあ今回は特別助けてあげる☆ でもちょっと待ってね? その前にあれ片付けちゃうから」
「え? あ!」
 画面の一部が何度も拡大された。そこには船首を向けているあの船がいた。
「まだ生きてた!?」
 またしても重力ビームが降って来る。
「ATフィールド」
 落ちついた声とともに、赤い光が輝いた。
「なに!?」
 飛んできたのは、敵のものに非常に良く似ている船だった。ただし大きさは百メートル級ととても大きい。
 それが中間のポイントに静止した。
「ごめんね? こっちも武器を搭載してれば良かったんだけど……」
 そのまま上昇し、敵船へ向かって船首を開いた。
「口ぃいいいいいいい!?」
 アスカの常識を越える船だった。
 グシャ!
 噛みついて弧を描く。
 ひしゃげた船が、口の両端から千切れて見えた。
 もう一度口を開き、ローリングした勢いで残骸を吐き出す。
「ん〜〜〜位相空間を利用したバリアシステムってぇのは良い案だったけど、あたしの船の敵じゃあないわね?」
 衝撃さえも吸収するなら、上下から押し挟んで圧力を掛けて潰せばよいのだ。
 改めて接近して来る。
「魚っていうか……なんて言うの? これ」
 船は再び口を開いて、そっとリョウジ達のシャトルを咥えた。
「アスカはこっちに抱きついて」
「気安く呼ばないでよ!」
 カヲルの仲間だと分かっていても、それで味方と言う保証は無い。
「いいじゃない。助けてあげようってんだから感謝してよ?」
「そっちが勝手にやってるんでしょが! それにあんた誰なのよ!?」
「あたしぃ? あたしはミサキ……」
「ミサキ?」
「そ! エンジェルキーパーのミサキ。さ、送ってあげるから早くしてね?」
 アスカは渋々従った。反抗して見捨てられるのも怖かったからだ。
「声は若いようだが……、エンジェルキーパー?」
 アスカでさえ知っている謎の犯罪者集団の実体に、リョウジは頭痛を感じて呻いていた。



続く





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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。

この作品は上記の作品を元に創作したお話です。