「うっ……」
 シンジは呻いた後に目を開けた。
「……知らない、天井だ」
 見ていた夢を思い返す。
 そうか……あの時、僕を見逃してくれたのは、もういらない……捨てるつもりだったからだと誤解して。
 シンジはその見知らぬ土地に迷い出た。
 あの時……、空間跳躍を試したんだっけ、今考えたらあの時もATフィールドが僕を守ってくれてたんだな……。
 でなければ空間を跳躍する際のエネルギーに圧し潰されていたはずだったから。
 乾いた大地にめり込んでいた。
 シンジは降り立ち、呆然とした。
 その荒れ果てた荒野が金星だと知ったのは、人の住む場所に辿り着いた後だった。
 ──プシュ!
 思考を邪魔するように扉が開く。
「シンちゃん!」
「……マナ?」
 駆け込んで来た少女は、そのまま口元を手で被うと、目からポロポロと涙をこぼした。
「シンちゃんのばかぁ!」
 そしてまた跳び出していった。


「嫌われちゃったかな……」
 その方が良いと思うのは、長年慣れ親しんだ思考形態のためであろうか?
 こういう風に考えるのが普通になってる……、やだなぁ。
 だからマナを受け入れたのかもしれない。
 すねて、怒って、笑って……。
 幾つかは欲しくても手に入らなかった感情だった。
 でもこれ以上は付き合わせちゃいけないんだ。
 ネクスト、A10神経の接続には100%失敗する。
 シンジにはその確信があった。
 マナは……、僕の過去には耐え切れない。
 出生ではない。シンジを生み出した男と女、そして見て来た実験の残酷さに。
「僕は……どうすればいいの? 母さん」
 シンジは一人で嗚咽を漏らした。


 ブン……。
 リツコの手元のモニターが消える。
「不敏な子ね……」
 覗き見ていたのだ、ずっと。
「……敵機は自力で重力圏を突破、宇宙へと逃れたよ」
 側には霧島の姿がある。
「軍の決定は?」
「金星圏から逃さん構えだ。ヘヴンズキーパーは今回の件に関しては否定している」
「そうですか……」
 まあどうせ全滅するのが落ちでしょうけどね。
 リツコはやや冷めたい予想を立てていた。


 宇宙空間で使用される兵器は強力である。
 これは空気などによって威力が拡散、減滅されないためなのだが、結果、余程の装甲厚のものでなければ、一撃で墜とされるのが当たり前だった。
 そして足と言う固定方法がある。
 威力と利便性、この二点により、戦闘艇がそのまま砲台として使用されるのも珍しくはなくなった。
 空母に対空レーザー以外の大出力兵器が備わっていないのは、こういった理由もあるのだ。
 戦闘艇が多くなればなるほど、当然その生命を維持する「酸素」などは大量に必要とされる。
 いくら航続距離が長くなっても、戦闘艇では積める酸素量に限界がある。
 このため戦闘艇を主力とする部隊には、空母の存在が不可欠だった。
 空母が落ちれば死を待つ以外にはなくなるのだ。
 よって空母は何層もの特殊な装甲を重ねられ、まさに鋼鉄の箱として完成されていた。
「だがヘヴンズキーパー、奴等の戦闘艇はただの一機で沈めたそうじゃないか」
 到底肯定できる話では無かった。
「木星艦隊の再編成」
「国が一つ傾くよ」
 地球にある統合司令本部での会談である。
「この情報は何処から?」
「ネルフ、旅客船からのソースだ」
「信用できるのかね」
「チェックは三重、それもあの男が直にしている」
「そうか……」
 老人達は知らない。
 そこに「エンジェルキーパー」、カヲルとミサキの情報が無い事を。
「金星はどうかね」
「あの男が現れたそうじゃないか」
「まずいよ君ぃ……あの実験には我々の首も」
 こうして会議はなんの実りも得られないままに終息していく。


 ここは何処?
 粗末な小屋だった。
 目前にはスープが食べてとばかりに、美味しそうな湯気を立ち上らせている。
 心配げに見ている少年いた。
 あ……。
 でも違う。
 何処か違う。
 脅えた表情。
 自分の知っている「彼」ではない。
「なによこれ……」
 え?
 誰?
 わたしの声?
「あ、あの、今日はちゃんとした水を見付けたんだ、だから」
「いらない……」
「え?」
「いらないって言ってんのよ!」
 ガシャン!
 熱いスープが引っ掛かる。
 少年はやけどした手を庇いながら、恐る恐る少女の機嫌を窺った。
「ご、ごめん……」
 ぼろぼろになったシャツの袖口から伸びる細い腕を、少女の目から隠そうとする。赤くなって皮が剥げそうになっていた。
「なんでよ……」
「え?」
「何で謝るのよ! 悪いのはあたしじゃない!」
 うん、そうなのに……。
 自分でもわかる、彼の態度に苛ついているのだと。
 何もかもが壊れた世界で、水や、食べ物を見付けるのがどれ程難しい事なのか?
 少年はいつも崩れかけたビルの中に入り込んでいた。そこで水を、調味料を、具材を探し、崩れて来た建物に圧し潰されかけて、怪我をして……。
 それでも、それなのに少年は鼻にもかけない。
 自慢しない。
 いつまでも卑屈な目をして、こちらを見るのだ。
「あんたが自分が何か分かってないんじゃない!」
「あ、アスカ……」
「シンジはシンジでしょ! 何であたしに従うのよっ、ばかぁ!」
 そう言って少女は泣き崩れる。
 二人の選択肢から逃げ出すと言うものはない。
 アスカは感情を爆発させて、心を脆く、柔らかくする。
 シンジはアスカを見下ろし、後悔し、思い直す。
 そして優しく、強くなる。
「なんだよ、文句があるなら自分でやればいいだろう!?」
 強さは少年にプライドを、プライドは我慢の限度を、我慢はいつしか激発を教える。
「ご、ごめん、シンジ……」
 アスカはひっくり返したお皿を拾う。
「お願い、お願いだから怒らないで、嫌わないで、ねえ、あたしを一人にしないで、シンジぃ……」
 ひっくとしゃくりあげる声。
「じゃあ、食べてくれる?」
「うん……」
 シンジは優しく肩に手をかけ、自分の席に座らせる。
「さ……」
 微笑みを見て、アスカはおずおずとスプーンを取る。
 そしてシンジのものだったスープを一口。
「……おいしい」
「よかった」
 満面の笑み。
 アスカも恥ずかしながら、恥じらうようにシンジを見る。
 アスカはそれからおかわりもした。
 シンジはそれを見て喜んでいた。
 その夜。
 シンジ?
 一つの毛布にくるまっていたはずなのに姿が見えない。
「シンジぃ……」
 不安になって起き上がる。
 空には星空、背には崩れかけの壁。
 目前には燃え尽きた焚き火が冷えきっている。
 シンジ、あたしが嫌いになったの?
 だから捨てちゃったの?
 嫌……。
 一人は嫌なの。
 もうわがまま言わないから。
 だからあたしを一人にしないで……。
 からん……。
 どこかで小石の転がり落ちる音がした。
 シンジ!?
 弾けるように顔を上げる。
 不安が怒りに取って代わる。
 なによあいつ!
 あたしを一人にして、寂しがらさせて!
 それを見て楽しんでるってわけ!?
 調子乗ってんじゃないわよ!
 怒鳴り付けようとして立ち上がる。
「ちょっとシ……」
 アスカはシンジの様子がおかしい事に気がついた。
 少し離れた場所に横になっている。
 小さく丸くなっている。
 気付かれてはいない、アスカは息を殺して近寄った。
「なんでだよ……」
 そんな声が聞こえて来る。
「何も食べなくても死んだりしないんだから……」
 それは厳密な意味で、自分が人間とは違う存在になっているからだった。
「なのになんでお腹が空くんだよぉ……」
 シンジの苦しげな声が聞こえてきた。
 アスカはこみあげる涙と嗚咽を堪えるために、口を塞いだ。
 バカ!
 食事をひっくり返せば、当然一人分の食べ物が減るのだ。
 それでも自分がひもじい思いをしたことはない。なぜ?
 ちょっと考えりゃ分かる事じゃない!
 その食料が何処から出たのか?
 それを埋め合わせるために、誰の食料が削られているのか。
 負担と帳尻が、その空白がどこで誰に埋められているのか。
 全てはシンジだ。
 今日もアスカのために、シンジはスープを差し出した。
 シンジ……、今日、食べてない。
 昨日は? 一昨日は?
 食べてない……。
 いつからだろう?
 いつからこうしていたのだろう?
 ねえいつから?
 シンジはお腹の鳴る音を、必死に隠そうと丸くなっている。
 グゥ……。
 お腹が鳴る度にアスカはからかっていた。
 なによもう、卑しいわねぇ……。
 そのたびに困ったような顔をしていた。
 違う!
 アスカは気付いた。
 我慢したのよ! 辛いのに……。
 その表情、泣きそうでも、泣き言を隠すために。
 誰のために?
 あたしのために……。
 卑屈な顔?
 情けない顔?
 違うっ、あいつ悲しくて……、でも笑っていたくて……。
 アスカはシンジを見つめていた。
 その背をずっと見つめていた。
 後悔から来る歯ぎしりが……彼女の何かを変えていった。





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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。

この作品は上記の作品を元に創作したお話です。