「……むぅ」
アスカは起き上がるなり、ぼりぼりと胸元を引っ掻いた。
「アスカ、はしたない……」
眉をひそめるヒカリである。
「なにぼうっとしてるの?」
「ん〜、変な夢見ちゃった」
「夢?」
寝ぼけ眼のままで首を傾げる。
「……夢、なのかな?」
「とにかくシャワーでも浴びなさいよ」
「はぁい……」
アスカほど髪も長くなれば、そうそう寝癖がつく事はないのだが、今日ばかりは見かねるほどに酷かった。
「それで僕の所に来たのかい?」
コクリと頷く。
カヲルの容姿はとにかく目立つ。だから彼が展望室にいることを突き止めるのは用意であった。
「なんか知ってるんでしょ」
「人に聞くのは面白くないんじゃないのかい?」
「……気になるのよ」
「なにが?」
カヲルの隣に腰掛ける。
「……あたし、あの子とは仲が良いって思ってた」
「でも今度の夢では否定された?」
アスカはうつむく。
「……あたし、ほんとは恨まれてるのかもしれない」
「そんなことはないさ」
「どうしてそんなことが言えるのよ!」
「簡単だよ……彼は君の幸せを願った。願って消えた。知ってるはずだよ?」
「あ……」
もう一つの夢を思い出す。
「それも夢じゃない、現実だよ」
「ホントに?」
「そうだね」
ポンとアスカの頭に手を置いた。
「真実は君の中にだけある、彼の優しさを疑うのかい?」
「ううん……」
アスカはまるで頭を撫でて欲しいと訴えるかのようにうつむいた。
「彼はそんな君も含めて、全てを受け入れたんだよ……運命を」
望み通りに撫でてやるカヲルである。しかしその瞳は悲しみを湛えていた。
「カヲル?」
「……優し過ぎた、彼は、君だけに、ね」
アスカはもう一つの夢を思い返した。
言い出したのは自分だった。
もうやめようかって……。
だからあいつは言ってくれた。
うん、そうだねって。
バカよあいつ!
ホントはまだ一緒に居たかったくせに……。
でも僕は知っていたから……。
アスカの耳に声が届く。
アスカ……、本当は人が恋しくなって来てるって……。
そう、シンジだけでは足りない程に。
もっと沢山の人に愛されたい。
人恋しくてたまらない。
あたしを見て!
そう叫んで駆け抜ける。
草原は素足を傷つけないよう、しなやかにしなって受け止める。
スカートが広がり、陽射しが体の線を透けさせた。
金色の髪と、それに負けない程の輝きを放つ微笑み。
シンジ、もっとあたしを見て!
それを眩しく見上げていた。
だからシンジは選んだのだ。
僕は沢山の僕を生むよ。
そして僕達はアスカを見つめる。
アスカ……悲しまないで。
僕はいつも側に居るから。
「でもあいつは嘘つきなのよ!」
現実のアスカと夢のアスカがシンクロした。
「ずっと側に居るって言ったのに!」
「嫌いな自分が分かれば、好きな自分に変えていけるよ……嫌いなものを見付け出せたら、好きになる努力ができるんじゃないのかな?」
そのために僕たちは出会ったんだよ。
「……シンジ?」
お互いを嫌い合うために僕たちは出会ったんだ。
そう、今は好きだけど……。
悲しいよね?
そんな出会い、辛いよね?
でも僕たちは嫌い合ったからこそ、好きになってもらえるように努力できたんだと思う。
だって、どうでもいいって、思うこともできたんだから。
そうしたら……。
そうしたら?
僕たちはすれ違ったままで、お互いを見る事も無かったんだろうね……。
ここが嫌いだってさ……。
嫌いだから気になったんだよ。
嫌い合えたからぶつかれたんだよ。
それは苦しいけど好い事なんだよ!
どうでもいいって、無視するよりもよっぽどいい。
無視されるよりもよっぽどいい。
だから僕達は我慢できた、そうでしょう?
君の好きな僕になりたかったから……。
本当はあの時にもう決まっていたのかもしれないね、アスカとこうなるってことはさ。
心が痛いよ……。
苦しいよ。
でも直したほうが良かったんだよね?
そためのケンカだったんだからさ。
おかげで僕は変われたよ。
僕は僕を好きになれた。
アスカのことも好きになれた。
アスカもどんどん変わったよね?
凄くアスカのことが好きになったよ。
アスカは、好きになってくれたのかな?
ずっと好きでいてくれる?
こんな僕が、僕は好きだ……。
「あんたちっとも変わってない……」
アスカの瞳に幻が見える。
展望台の向こうの空間で少年が微笑んでいた。寂しげに……哀しげに。
宇宙をバックに、独り微笑む幻がいた。
自分を犠牲にした方が、周りが傷つかなくていい。
その方が傷ついている姿に、心苦しくならずにすむからだ。
そう言う打算をする所。
ううん、自覚して人のためになるんだって思っちゃう所なんか……。
「もっと酷くなってるじゃない」
涙がポタポタと腿で跳ねる。
「嫌い嫌い、大っ嫌い!」
誰でもいいって言うあんたは嫌い、でも!
「あんた結局、自分一人しかいないじゃない!」
自分のためだけを考えないで!
「あたしのために捨てないで!」
自分を。
「あたしを!」
捨てないで、ねえ!
「ばかシンジ!」
笑ってるんじゃないわよ、ばぁか……。
アスカは嗚咽に体を折った。
「君にも見えるようになったんだね?」
優しくその背を撫でつける。
ぐいっ!
そんなカヲルの襟首が後ろから引っ張り上げられた。
「なにをしとるんや、お前はぁ!」
そこには何かを勘違いしている、怒りで体をふくらませているトウジが居た。
はぁ、はぁ、はぁ……。
鼓動が跳ね上がりコントロールを拒絶している。
破裂しちゃうよ……。
心臓が。
脳に酸素を送り込もうと暴走している。
でも僕は欲しかったんだ!
この力が。
あ、叩かれる。
何度も何度もくり返していた。
僕は何度も怒らせた。
その度に一度だけ叩かれた。
おかしいよね?
手が振り上げられた時に、あ、叩かれるんだって、首をすくめて身構えていた。
叩かれるってわかったんだから、その間に避ける事もできたんだ。
そう、それもできるはずだった。
でも僕は避けなかった。
だって楽しかったから。
嬉しかったんだ。
友達みたいでさ……。
だから寂しくなったんだ。
叩いてくれなくなって、寂しくなった。
その代わり笑ってくれるようになったよね?
アスカのことなら、少しは分かるよ。
叩く前の動きは同じだもん。
僕はバカだから、何度もアスカを怒らせたよね?
ねえアスカ……。
もし、僕がだよ?
ほんの少し、もう少しだけ……。
叩かれるって思うもうちょっとだけ前のアスカの気持ちを想像できたら……。
アスカの気持ちに、考えに気がつけてたなら。
アスカが喜ぶようにできてたのかな?
アスカは笑ってくれてたのかな?
僕はバカだから、ほんの少しだけ。
そんな力が……欲しかったんだ。
「はっ!」
目を見開く。
「シンジ君、大丈夫? 聞こえるわね!?」
慌てて覗き込んできたのはリツコだった。
「かっ、は……、僕?」
「また発作よ……。脳の痙攣とでも言うべき症状ね。まだ何度か来ると思うから気をしっかりと持って」
「は……、い」
シンジはぜぇぜぇと呼吸した。
呼吸器用のマスクがその熱い息に曇りを見せる。
「マナ」
霧島大佐は振り返った。
そこには真っ青な顔で、だがカメラごしのシンジから目を背けないマナが居た。
「彼は追撃部隊に編入される事が決まった」
「──!?」
驚きと嫌悪が顔に表れる。
「だって……シンちゃん、まだ!」
うああああああああ!
再び頭を抱えて転がり始めた。
「シンちゃん!」
見ている事しかできない自分が口惜しい。
「……これがお前が軽々しく請け負った仕事、そして」
自分の残酷さが嫌になる。
「シンジ君が、お前を降ろした理由だ」
こう言えば、マナはシンジと行くことを選ぶだろう。
それが分かっていて口にしている。
あああああ……。
まるで断末魔の叫び声だった。
体をのけぞらせてあがいている。
リツコと看護医が必死に体を押さえつけている、薬は打てない、脳が過度の酷使に正常な働きを失ってしまっているのだ。
薬物を投与したとしても、正常な反応は望めない。
どのような反応を示すのか知れない以上、つまりはシンジ自身の生命力に任せるより他には無かった。
ゴクリとマナは生唾を飲み込んだ。
シンジが好きだから、ではすまされない世界が待っている。
自分の命を、これからの人生を賭けるほどの価値があるかどうかも分からない。
「でも……」
マナは自分の心に従おうと思った。
「シンちゃんの側にいたい……」
虚空に何かを求めて手を伸ばしている。
まるで何かをつかもうとするかのように。
誰かに握って貰いたがっている。そんな風に見えた。
「シンちゃん……」
マナはその手をつかんであげたいと思った。
握ってあげたい、だってシンちゃん……。
一人が嫌だと、泣いているから。
「わたしも、行く」
マナは決意を口にした。
霧島大佐は、ただ頷いた。
続く
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。