アスカは泣かない女の子だった。
「アスカちゃんの席はあそこね?」
 教師に促されて顔を上げる。
 土星のジュニアスクールに転入した時、アスカの目は死んでいた。
 本来明るく輝くはずの髪は、くすんだ上にべたついて見えた。
 ぷくっとした白い肌も、むくんだ上にたるんでいた。
 顔色は土気色をし、生来のはつらつさは完全に影を潜めてしまっていた。
「暗い奴ぅ」
 誰かの口から素直な感想が漏らされた。
 一時間目、二時間目と授業が終わるごとに、アスカに話しかける者は少なくなっていった。
 苛めにすら発展しないほど、鬱に入ったアスカには、関わり合いになるのを戸惑わせるような何かが感じられた。
 気持ち悪かった。
 そんな中……。
 トウジだけが、アスカを見ていた。
 彼だけが原因を知っていたからだ。
 目を閉じ、トウジは記憶を探った。
「ほな、また来るわ」
「うん……」
 ばいばい、お兄ちゃん、と、生まれつき体の弱い妹は、精一杯の嬉しさを込めて寂しさを押し隠し、手を振って見送ってくれた。
(ほんまに大丈夫なんやろか?)
 子供のトウジにも、妹に死の影を見てしまっていた。
「それじゃあアスカちゃん、後でまた来るから」
 トウジは突然開いた扉に慌てて立ち止まった。
「ねえ? 惣流さん……」
「難しいみたいよ? 多分もう駄目だって」
 そんな看護婦達の会話に腹を立てる。
(なに諦めとるんや!)
 あるいは自分への叱咤だったのかもしれない。
 トウジはその扉が閉まり切っていないのに気が付いた。
「アスカちゃん? ちゃんとしないとあそこのお姉ちゃんに笑われちゃいますよぉ?」
(なんや?)
 何処か舌足らずで、不自然な抑揚を込めたセリフに興味を引かれた。
 様子を窺ったトウジは、その光景に胸を締め付けられる思いがした。
(なんやこれ!?)
 真っ白な部屋、カーテンごしに差し込む淡い光。
 ベッドの上に居る女性は、とても愛おしげに我が子を可愛がっていた。
 抱き上げた人形を、娘だと信じて。
 そして赤い髪の女の子は、そんな女性を部屋の隅にある椅子に腰掛けて見つめていた。
 虚ろな目をして、表情を失って……。
 と、ふいに……。
 少女の目から涙が一筋流れ落ちた。
 溢れた涙はたったの一粒だったのだが、それはトウジに鮮烈な印象を植え付けていた。
 少女はつたい落ちた涙が痕になって乾くまで、微動だにせず壊れた母親に無言の訴えを発していた。
『あたしはここよ! ママ、あたしを見て!』
 トウジは確かに聞いたのだ。
 泣きじゃくりながら、声が裏返るほど大きく訴える、アスカのそんな悲しい嘆きを。
 だから。
「お前は、なにをしたんやぁ!」
「だめ、トウジ!」
 トウジはアスカを泣かせる者が許せなかった。


Evangelion Genesis Next
Evangelion another dimension future:7
「虹……」



「調子はどうかしら? シンジ君」
 ようやく発作は治まったものの、まだ起き上がる事を許されず、シンジはベッドの上ではやる気持ちを抑えるのに苦労していた。
「悪くはないようね? シンジ君、あなたには軍から徴兵命令が出ています。所属は地球方面軍第十三艦隊」
「地球方面?」
 シンジは訝しげに訊ねた。
「金星じゃないんですか?」
「ゲンドウが宣戦布告したのよ……」
 リツコは病室の壁面に埋め込まれているテレビのリモコンを取った。
『我々はMAGIの引き渡しを要求するものである』
「MAGI……」
「……金星の艦隊は壊滅、土星と同じくね?」
(当たり前だな)
 シンジは冷静に分析した。
 零号機がもう一度『あの』攻撃を行えるとは思えない。しかしネクストシステムとプロトタイプとはいえリアルチルドレンをシステムとして組み込んでいるのだ。
『鈍重』な従来の戦闘兵器でどうにかなる相手ではない。
「でも、じゃあどうやって?」
 シンジはつい主語を省いてしまったが、察しの良いリツコはシンジの言いたいを事を正確に読み取った。
「一つは民間の輸送船を徴用して……」
「だめですよ。それじゃあ……」
 シンジは手を組んでお腹の上に置いた。
 苛立ちからか? ギュッと力が篭ってしまっている。
「今からじゃもう、追い付けない」
「……そうね」
 リツコの何かが挟まった様な物言いに、シンジは『直感』してしまった。
「ATフィールドですか?」
 ハッとするリツコである。
 彼女はシンジの辛げな表情を見て、顔を背けた。
「いいですよ。別に」
「そうね……」
 ごめんなさい、は心の中だけで告げた。
 どんなに思いやりを持とうとしても、彼には通じないのだ。
 全てを読み取る彼には、だからリツコは半端な同情から来る言葉は漏らさなかった。
 代わりに大きく一つ呼吸をする。
「貴方が最後に使った力……、あれは初号機のブラックボックスに関係しているわね?」
「はい……」
「そしてあの力は、過去に一度だけ発動している。レコーダーの記録と一致したのよ」
「フィールドジェネレーターによるワームホールの形成と、ATフィールドによる重力井戸の維持」
「できる?」
 リツコの端的な問いに、シンジは頷いた。
「やりますよ。僕はそのために生き延びたんですから」
「……復讐は、辛いものよ?」
「リツコさん」
 シンジは微笑みを向けた。
 とても、透き通った微笑みを。
「僕はあと……どれぐらい保ちますか?」
 ネクストシステムは人の脳に負担をかける。
 しかしそれ以上に仮想領域で反応する神経は、現実の衝撃にまったく対処し切れないのだ。
 空想の世界で起こる衝撃に身を固くしても、現実の衝撃はそれとは全く別の瞬間に襲いかかってくる。それでは無防備なところにダメージを受けているのと変わらない。
 シンジは腕などに軽い痺れが残っているのに気が付いていた。
(あと……、何度も戦えないな)
 相手がただの機体であれば問題は無い。しかし同系機である零号機が相手となると……。
 シンジの『直感』は、相手が一機では終わらないと、警告信号を発していた。


「おどれ!」
「やめて!」
 トウジとアスカの声が交錯する。
 馬乗りになられたカヲルには、逃げ場はないように思われた、しかし。
「その感情、好意に値するよ」
 カヲルは事も無げに拳をつかみ受け、そのまま腹筋でトウジの体を押し返した。
「ぬおっ!?」
 ゴンッと、押し返されたトウジは後頭部を打った。
 その隙にカヲルは立ち上がる。
「わしはな……、おどれみたいな奴は許せへんのじゃ!」
 頭を振りながら立ち上がる。
「やれやれだね?」
 カヲルはからかう様に肩をすくめて見せた。
「その調子じゃあ、何を言っても信じてもらえそうに無いね」
「トウジ! なに誤解してるのよ!!」
「うるさいわ! お前は黙ってぇ!」
 ──ぶちっ!
 トウジのその物言いに、何かがぶち切れる音がした。
「誰に向かって言ってんのよ。このバカ!」
 パン!
 小気味の良い音が鳴った。
「な……」
 頬を押さえ、呆然とするトウジを、アスカは顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
「ちょっとは頭を冷やしなさいよ!」
「な、なんでや……、わしは」
 困惑し、そのままトウジはアスカから向こう側に居るカヲルへと目を向ける。
 カヲルはいつものように口元に笑みを張り付かせていた。
 それがトウジに高ぶりを再発させる。
「そういう、ことかい……」
 カヲルが居て、アスカを泣かせていて、それでもアスカはカヲルを庇って……。
「あんたなに言ってんのよ?」
「もうええわ! 勝手にせぇ!」
 背を向ける。
「ちょ、ちょっと」
 ドスドスと足を踏み鳴らして去っていく。
 そんなトウジの後を追いかけようとしたアスカの肩を、カヲルはつかんで引き留めた。
「今はそっとしておくほうがいいよ」
「でも……」
 アスカは肩を抱かれて動きを封じられた。
「突然の兄離れに、彼は酷く戸惑っているのさ」
「ちょっとぉ……、兄離れって何よ?」
「違うのかい?」
「違うわよ!」
 アスカは振り払うようにしてカヲルの腕から逃れた。
「変なこと言わないでよ!」
「そうかい?」
「そうよ!」
「でも彼は違う……彼はずっと君のことを見守って来たと思っているのさ。でも君はもう彼の庇護を脱してしまっている。ただそれだけのことさ」
 カヲルはアスカの警戒心など気にせずに、窓の外に目をやった。
「それだけって……」
「君はもう、本当の守護者を見付けてしまった……。それを彼に話すわけにはいかないだろう?」
 赤い瞳に見つめられ、アスカはわずかにくぐもった呻きを発した。
「心配することは無いよ」
 一点、優しげな声を掛けるカヲルである。
「彼も直に思い出すさ」
「思い出す? なにを?」
 カヲルは護魔化すように、アスカの頭に手を置き、優しく指を動かした。





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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。

この作品は上記の作品を元に創作したお話です。