シンジが住んでいた軍資材置き場にある倉庫周辺には、今だに多くの人が集まって来ていた。
何があったのか? その真相を欠片でもつかもうと好奇心で胸を膨らませている。
そんな中に二人の少年が混ざり込んでいた。
「ムサシぃ、帰ろうよぉ」
「駄目だ!」
気弱そうな少年を肌黒の子が叱咤している。
「マナ……、無事で居てくれよな」
「無事って言っても……」
「ケイタ……、その先を言ったら殺すぞ?」
彼の目は本気だった。だからケイタは黙るしかなかった。
瓦礫と化した倉庫は軍によって整理が始まっている。もしこの下に少女が埋もれているとするのなら……。
到底無事とは思えない。
「マナ……、なんでだよ」
ムサシは知らずこぼしていた。
「だからぁ……、レースで負けたんでしょ?」
「そんなはずがあるか!」
自棄になって怒鳴り散らす。
「想い返せば幼稚園、三輪車に始まって自転車、バイク、カート、車と、俺が一度も勝てなかったんだぞ!? 他の誰が勝てるって言うんだ!」
(ムサシになら僕だって勝てるよ)
色々な意味合いを込めて溜め息を吐く。
この幼馴染は、直情傾向があり直線では速いがそのままの勢いでカーブに突入するため、異常なクラッシュ率の高さを誇っているのだ。
「やっぱり無理矢理連れて帰れば良かったんだ……」
ムサシの胸の内は、後悔の二文字で埋め尽くされていた。
彼もシンジとマナ、二人の後をつけて追いかけて来たのだ。
「でも霧島のおじさん、連絡つかなかったんでしょ?」
「そうなんだよなぁ……」
霧島大佐はマナの本当の父親ではない、だが決して冷たい人物でも無い。
少々放任主義な部分が目立つだけである。
「おじさんが俺の言うことをもっとちゃんと聞いてくれてれば、あんな変は奴に引っ掛かることは無かったんだよぉ〜」
悔しげに軍によって貼られたフェンスに手をかける。
(変な奴、か……)
実際、シンジはスクールでは変人で通っていた。
どんな行事にも参加せず、友達の一人も居ない……かといって無愛想なのかと言えばそうではなく、人並みに話すし、笑顔も見せる。
表層的な付き合いが非常に上手いのだ。それでいて深く踏み込ませないよう、立ち回っている。
「でもムサシほど変ってわけでも」
「あ?」
「あ、あはははは」
失策に慌てふためく。
そんなケイタの視界に、救いの神が映り込んだ。
「あ、あれ、おじさんじゃない?」
「なに!?」
フェンスの向こうに到着したバスから、霧島大佐が降り立って来たのだ。
そして……。
「マナ!?」
続いてマナも、姿を見せた。
マナは軍服に身を包んでいた。
「それじゃあ急げよ?」
「はい! 霧島マナ、急ぎ荷物をまとめます!」
キリッとしているつもりなのだろうが、どこか遊び半分に浮かれているものが見え隠れしている。
マナは敬礼をやめると、瓦礫の山に向かって駆けだした。
「マナ!」
耳に入ったのは知っている声だった。
「ムサシ?」
「こっちだ、マナ!」
ガシャガシャとフェンスを乗り越えようとしている少年の姿に、彼女は露骨に顔をしかめた。
「ムサシ……、何やってんの?」
「そりゃこっちの台詞だ!」
彼はとうとう乗り越えると、素早く駆け寄って彼女の手を取り、引っ張った。
「痛っ、ちょっと!」
「帰るぞ!」
「帰るってどこに!」
振り払う。
「あたし急いでるんだから、邪魔しないで!」
「邪魔って……、急ぐって何だよ!?」
マナはそっぽを向いてから、気まずそうに答えた。
「……空」
「空って……」
「宇宙に上がるの」
「なっ!?」
ムサシは絶句した。
逆にケイタが目を輝かせる。
「じゃあ……、じゃあパイロットになるの!?」
「そうなる、かなぁ?」
マナは気付かれぬ程度に眉を寄せた。
シンジが認めなければパイロットにはなれないからだ。
(だめだめ!)
しかしそんな気弱な事ではいけないのだ。
なんとしても着いていかなければ……宇宙まで。
「凄いよ。とうとう宇宙に上がるんだ……」
ケイタはそんなマナの心情に気が付かないまま、尊敬と憧れの目を彼女に向けた。
素人とはいえ、負け知らずのマナがいつ『次』へ向かうのかは、同年代の少年少女達にとっては最大の関心事であったのだ。
そしてそれが、遂に現実のものになろうとしている。
「ねぇっ、これってニュースだよ。大ニュース! ねえムサシ!?」
「駄目だ!」
ムサシはこれ以上となく大きく叫んだ。
「そんなの俺が許さないからな!」
「……別に許してもらう必要なんてないじゃない」
あからさまな侮蔑を向ける。
(まったくムサシって……)
半幼馴染と言った付き合いであるこの少年は、時折この様に高圧的な態度に出るのだ。
(それさえなきゃね……)
顔も良い、身長もある。体つきも良いし、頭も悪くない。運動神経も人並み以上に持っている。
しかし自分の思い通りにならないものに対しては、非常にヒステリックな部分をかいま見せる。
それがマナには鼻に付いてたえられなかった。だから駄目なのだ。
だからこそ、シンジなのかもしれない。
マナはムサシには無いシンジの思いやりを思い浮かべて険を緩めた。
「……ごめんね? でももう決まった事なの。お養父さんも奨めてくれたし、あたしも決めちゃったの」
「マナ……」
「じゃ、あたし急ぐから」
ムサシは遠くなっていくマナの背中に、かすれてしまう程の隔たりを見て取った。
「ムサシ……」
ケイタの気遣う声に、現実を直視する。
「くそ!」
地面を蹴り付ける。
(いっつもこうだ!)
好きなんだよ! なんでわかってくれないんだ!
どうしてそんなに勝負にこだわるんだよ!? 事故って死んじまったらどうするんだ!
それを分からせるためにも、マナの価値観を崩すしかない。
すなわち、自分がマナを抜くしかない。そう思っていた、なのに。
(マナ!)
いつもムサシは、彼女に置いていかれてしまっていた。
どれほどの無茶をしても、彼女を追い抜くどころか、追いつくことさえ出来ないでいた。
(どうしてそんな!)
なのにそれをやってのけた奴がいる。どうして自分ではなく、どこの誰とも知れない奴が、それをするのか?
彼女をより危険な方向へと走らせるような奴だったのか?
ムサシの中で苛立ちが暴発する。しかしムサシも目が曇っていた。
マナはシンジの元へ押し掛けたように、『ただ抜かれただけ』で好奇心を納めてしまうほど、大人しい少女では無かったのだから。
「それじゃあシンジ君。説明するわね」
パイロットスーツに着替えたシンジではあったが、顔色は冴えないままだった。
ブリーフィングルームにはシンジと、シンジが宇宙に上がるまでの護衛を行うパイロット達で溢れ返っている。
その中心に居るのがシンジなのだから、身長差から埋もれてしまっているような状態であるのと相まって、余計にシンジを虚弱な子供に見せていた。
(目眩いがするわね……)
そんな子供に命運を預けなければならないというのだから……。
リツコは正面のモニターに航宙地図を映し出した。
「今回の事件の首謀者であるゲンドウを乗せた宇宙艦は、地球への進路を取り、現時点で約三分の一の航路を消化しています」
どよめきが起こる。
「速いな」
誰かが呻いた。
金星軍のどの船を用いたとしても、そのさらに二分の一の速度を出すのが精一杯であろう……だからだった。
「これに対し、地球では防衛網を展開していますが、おそらくその戦力は別のことへ向けられる事になるでしょう」
「それは?」
リツコが差した部分に、別の反応が点滅している。
「火星の衛星軌道上から、小惑星が移動を開始しました」
「プラント……」
シンジがぽつりとこぼした、その顔は蒼白である。
「そう、ここはゲンドウが所持していた実験基地です」
「小惑星ごと攻めるつもりか?」
手が上がる。
「そこまでして……、その、MAGIってのは欲しいものなのか?」
皆が疑問に思う所である。
どんな情報が詰まっているかはともかくとしても、ただのコンピューターである事には違い無い。
しかもゲンドウは金星の軍隊をほぼ無力化するだけの科学技術力を見せつけているのだ。
たった一機の機動兵器で。
「彼がなにを見いだしたかは分からないわ」
リツコはわざと、シンジもそこから得られた情報に基づいて作られた人造人間であるのだと言うことを伏して説明した。
「現在金星の制宙権は、ヘヴンズキーパーに握られています」
漁夫の利を得るように現れた艦隊が展開した白い戦闘艇は、アスカを襲ったあの船の同型艦であった。
「これを突破することは用意ではないでしょう、しかし……」
惑星上では重力や大気の影響などを受けて、ワープの成功率は格段に低くなってしまうのだ。
シンジがゲンドウの手から逃げ出すときに、地表に突き立ってしまうようなことになってしまったのも、惑星の大気圏周辺で跳んだためだった。
「この作戦には、惑星連合としての威信がかかっています。もしヘヴンズキーパーに敗北した時は……」
「暗黒の時代か」
二度と裏世界の者の許可無く、金星から飛び立つことは出来なくなってしまうだろう。
彼らに飼育される家畜となるしかない。
いや、金星だけならともかくとしても……。
「こんな言い方は古めかしいけど……、あなた達の双肩には人類の命運が掛かっています。だから……、頑張ってね?」
リツコのリツコらしくない物言いとはにかんだ笑顔に、パイロット達は年甲斐も無く顔を赤らめ、見とれ、次には『おお!』っと気合いを発した。
大気圏外用の宇宙兵器が『足』を手に入れたのに対し、大気圏内兵器は二十世紀後半よりさして発展していなかった。
主エンジンの燃料革命と小型化による変革は、もちろんある程度の進化を見せてはいたが、空力特性を考えた時に、大きく形状に手を加えることは出来なかったのである。
ノーズで音速突破時の大気を割き、その衝撃にもがれぬよう、翼はデルタを描いて後方へ流される。
いまだ反重力を手にしていない人類にとっては、それが限界であるのかもしれない。
「だけどこの機体は、初の大気圏の自力離脱と降下を可能にした機体なのよ」
古世紀の爬虫類、あるいは恐竜にも似たフォルム。
二本足で立ち、前足には火器が取り付けられている。
「陸戦をも考慮した『SV−21』式グリフォン、最新鋭機よ?」
シンジはその機体を見ても特に感動しなかった。
見上げるほどの巨体は初号機にも匹敵する。
それは従来の戦闘機ほど小回りが利かないと言う事だ。
「……考えてること、わかるわ」
リツコは技術者として苦笑した。
「結局、地上をホバリングさせるのが精一杯だったのよね」
「使えるん……、ですか?」
今、グリフォンは後ろ足で天を見上げるように直立している。
その様は小動物が鼻先に吊るされた餌を嗅いでいるようでもあった。
「戦闘機としては失格でも、戦闘艇としては十分な出来よ? 直進のみに限れば十分大気の層から上に昇れるわ」
全長六十メートルにも及べばロケットと言えなくも無い、そう考えればホバリングによる移動でも、驚異的な速度を計測している。
(後は出たとこ勝負か……)
シンジはその一言を飲み込んで、夕焼け空を眩しく見上げた。
「初号機は……」
「FモードからUモードへ換装終了。いつでも発進できるわ」
「じゃあ……」
シンジはヘルメットを抱え直した。
「行きます」
初号機の格納されている倉庫へと向かう。
無言で付き従うリツコである。シンジは倉庫へ入り、初号機を見上げると同時に表情を強ばらせた。
「……マナ」
少女が仏頂面で初号機の複座を埋めていたからだ。
「なにやってるの?」
シンジの問いかけに、ぎろりときつい目を向ける。
「言ったはずよね?」
「え……」
「置いてくつもり?」
「あ……」
シンジは助けを求めるようにリツコを見た。
「大佐の承認済みよ?」
「そんな……、だって」
「『検査』ではあの子とあなたの相性は悪くは無いわ。後はあなたが信じて委ねるかどうか、それだけよ」
「信じる……」
シンジはマナを見上げ、もう一度「信じる……」と呟いた。
それは『なにを根拠に』と自分に対して問い詰めている、そんな思い詰めたものが感じられる一言であった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。