「やはりATフィールドか?」
 眼下に金星を見下ろし、その船団は白い小型船を多数従えていた。
 その旗艦であろう船のブリッジに、隻眼の男が座っている。
 無残に潰された眼窟は、掻きむしられたような引きつれを残していた。
 彼が見ているのはエヴァンゲリオン初号機の強奪を計った際に現れた、謎の船挺の記録映像である。
「エンジェルキーパー、まさか実在していたとはな……」
「それはヘヴンズキーパーを構成する五人衆の一人としての言葉かね?」
 通信の相手が言葉尻を捕まえる。
「貴様とて信じていたわけでは無かろう?」
「だが現実に、我々は彼らの不興を買ってしまったのだ」
 ふんっと隻眼の男は鼻を鳴らした。
「そのためにジェネシスとやらを手に入れたいのだろう?」
 言葉の端には、その価値を問い詰めるものがある。
 ジェネシスと言うカードを手に入れた時、それを引き渡すべきか否かと言う……。
 だが通信相手の男にその揶揄が届くことは無かった。
「金星、裏側より上がって来る機影があります!」
 ブリッジが喧騒に満たされたからだ。
「来たか」
 男の口元に残忍なものが宿る。
「ガーフィッシュ隊を展開、正面に広げておけ」
 ガーフィッシュと呼ばれた船こそ、あのガギエルに似た中型戦闘艇であった。


(くっ、はっ……)
 肺腑を圧し潰すほどの重圧に、マナは血が背中側に押しやられるのを感じていた。
 初号機の前方にはいくつもの機影がある、グリフォンだ。
(こんなので……、本当に宇宙に出られるの!?)
 マナが知っているのは『お上品』な民間のシャトルである。
 それに比べれば戦闘機などずさんなもので、耳をすませばガタガタとネジが緩んでパネルが震動し、外れようとしている音が聞こえて来るのだ。
(落ちる!)
 マナはこれ以上とない恐怖心に目をギュッとつむった、しかし……。
(あ……)
 ふっと……突然重圧から解放されるのを感じた。
 体が浮き上がるような感覚にも襲われる。
「大気圏より離脱、これより警戒態勢に移ります」
 ヘルメットの中にグリフォン隊隊長からの声が伝わった。
「シンジ……」
 不安からつい話しかけてしまうが……。
「来たよ」
 シンジからの返答は、実にそっけないものだった。


 ヘヴンズキーパーの布陣は、今の金星軍にとって絶望的なものだった。
 木星軍を壊滅に追い込んだ機体が三十機。ただし重力兵器を使用した痕跡が見当たらない事から、おそらくはフィールドシステムのみ搭載の廉価版であろうことが窺えた。
(あまり嬉しい話じゃないわね……)
 地上からリツコは冷静に状況を分析していた。
 既に戦闘は始まっている。中型戦闘艇を前面に、戦艦が四、空母が一、旗艦であろう船に至っては、形状からその正体を窺い知ることができないでいる。
「この!」
 シンジもまた、混乱の中で焦りを感じていた。
 白い船は初号機を無視するようにグリフォンだけを執拗に追いかけ回そうとする。明らかに楽しんでいるのだ。
 そしてまた一機、グリフォンに迫る機影があった。
「うわぁあああああああ!」
「きゃああああああああ!」
 シンジの雄叫びにマナの悲鳴が重なった。
 シンジはグリフォンを守るために盾となって間に割り込み、自機のフィールドシステムで敵弾を受け止めた。
「すまない!」
 味方機からの短い一言だった。
(無茶するんだから!)
 シンジの優しさが恨めしくなる。
「下がってください!」
 しかしシンジの気遣いも限界に達していた。
「グリフォンじゃあの船の相手はできない!」
「それなら!」
「あっ!」
 グリフォンが三機ほど編隊を組んで、戦艦へ向かって特攻していく。
「だめだ!」
 シンジは言い終える事が出来なかった。
 爆光が三つ、儚く散った。
「だから……、こんなんじゃあ!」
「シンジ……」
 肩を震わせるシンジを、心配げに見つめる。
(でも……)
 自分もあのパイロット達と同じなのだ。
 シンジの負担になるばかりで、何の役にも立っていない。
(あたしは……何のために)
 ここに居るのかと自問する。
 ギュッと拳を握り締める。
『ジェネシスに告ぐ』
 空間にホログラムが投影された。
『投降を勧告する。我らは既に金星を掌握しているが、その支配をもくろむものではない』
「シンジ……」
 マナは敏感に気配を察した。
 グリフォン隊の機体の幾つかに不審な挙動が見えたのだ。
 誘惑。
 銃口がさり気なく初号機へと向けられている。
 命と使命を秤に掛けた時、人はどちらを選ぶのか?
「奴ら、恐れているな……」
 味方機からの通信が入った。
「え……」
「初号機だ、奴ら知ってるんだよ。あの白い奴でも勝てない事を」
(その通りだ、けど……)
 シンジは無意識の内に、手元隅にあるモニターでマナの顔色を窺ってしまった。
 そしてその行動は……。
(シンジ)
 マナ側にあるモニターでも、逆に確認できる仕草であった。
 ゴクリと唾を飲み下す。
 苦痛に呻き、のたうち回るシンジの姿が蘇る。
(やらなくちゃ、今やらなくちゃ……)
 またシンジは無茶をするのだ。
 初めて実戦に付き合ったあの時から、何度もシンジの雄叫びを聞いている。
(無理してる)
 恐いのを護魔化すために叫んでいるのだ、それぐらいはマナにも分かっていた。
(逃げちゃ、だめよ!)
 自分に向かって言い聞かせる。
「シンジ」
 ビクリとシンジが震えるのが分かった。
 だからマナは、余計に心を決められた。
「操縦、……覚えたから」
「でも!」
「やろう、シンちゃん、追いかけなくちゃ……」
 マナはわざと明るく振る舞った。
 ゲンドウは遥か遠くに居る。ここで死ぬわけにはいかないだろうと。
(マナ……)
 だがマナの悲壮な決意とは裏腹に、彼女の膝は護魔化し切れずに震えていた。
 それでも。
(情けない!)
 シンジは自分にはない勇気を見せつけられたように感じられて、強く拳を握りしめた。
 マナに比べて自分はどうなのだろうか?
 俯き、唇を噛み締めているだけで……。
(どうしたんだよ!)
 シンジは自分の直感を信じようとした、だが何も思い浮かばないのだ。
(何も見えない、何も分からない事がこんなに恐いなんて!)
 震えが走る。
 だがシンジは気が付いていない、何故未来が予測できないのかに想いを馳せるべきだというのに。
「来るぞ」
 シンジは通信によって思索を断ち切られた。
 隊列を整え直した艦隊が戦闘艇を随伴させて迫って来る。
「グリフォン隊へ通達、逃げたい奴は金星へ降下しろ。逃げる腰抜けに興味は持たんだろうよ。奴らはハンターだからな」
 隊長機からの許可が下りた途端に、十数機のグリフォンが尻を向けた。
「腰抜けが……」
 その機体を見送っていて、彼は初号機が人型に変形するのを見て取った。
「やれるのか?」
「やりますよ」
 シンジとて心を決めざるを得なかった。
(まだだ、まだ僕は……)
 だが心とは裏腹に、マナには手伝わせぬようコントロールを与えていない。
 マナに負担をかけられるほど、強い踏ん切りをつけられたわけではないのだ。
「なるべく、無傷で手に入れたかったのだがな……」
 隻眼の男は、初号機の変形をそのような決意の表われとして受け止めていた。
 シンジが子供である事も知らずに。
「ガーフィッシュ隊を先行させろ」
 彼の手の振りに合わせて、白い戦闘艇が推進剤に火を入れた。
「……奇麗」
 マナは場違いな感想を吐き、もっとよく見ようとヘルメットを脱いだ。
 戦闘艇の噴炎が星のように数多く瞬く。
 その光は同心円を描き、広がりと共に七つの色に輝きを変えた。
「虹って……、言われてる」
「虹……」
 シンジもまた、ヘルメットを脱ぎ捨てる。
 そんなシンジの答えに満足して、マナはもう一度無数の虹に魅入り直した。
 だがそれはあくまで船がエンジンに火を入れた光である。
 数の多さは敵の多さを表しているのだ。
「恐くないの?」
 だからシンジは、つい尋ねてしまっていた。
「恐いよ……、けど」
 マナはコントロールカットを受けているのも知らずにグリップを握った。
 そしてふと、股の間からシンジの頭が見下ろせる事に気が付き、下らない事を思い付く。
(お尻ずらしたら、足で首、挟み込めないかなぁ……)
 もっとも、パイロットスーツごしでは面白くもなんとも無いだろうが。
 そんないたずら心が沸いて来て、マナは妙な落ち着きの良さを取り戻すのに成功した。
「この!」
 突然、シンジが動いた。
「きゃ!」
 焦ってシートにしがみ付く。
 初号機が左腕を前に伸す、腕にマウントされていたパーツがスライドして開いた手のひらの側に回り込み、ビームシールドを展開した。
「きゃああああああああ!」
 目の前で粒子ビームが減殺される様は見ていて気持ちの良いものではない、飛び散る火花が心理的な恐怖心を呼び起こすからだ。
(やっぱり、マナにはまだ……)
 その恐怖心は自己防衛本能を呼び起こす。本能は自我の強化を、強化は心に壁を生み出してしまうのだ。
 そうなると、とてもシンクロは望めない。
(ネクストは間違いなく精神汚染を……)
 引き起こすだろう。
 シンジはまたも自分の考えに取り込まれていた、だから。
 はっと言う息遣いが聞こえるまで、マナへの気遣いを忘れてしまっていた。
「見ちゃ駄目だ!」
 だが遅かった。
 マナの目に、粉砕されたグリフォンのコクピットが映り込んだ。
 ヘルメットの奥、必死の形相で息絶えたパイロットの顔は血まみれだった。
「嫌ぁ!」
「マナ!?」
 マナは必死になってレバーを前後に動かした。
「嫌、嫌、嫌ぁ!」
 その場から逃げるために、視界から死を追い払うために動かした。
(どうして!)
 だが動いてくれない。
(なんで!?)
 訓練通りだというのに、だ。
 マナは涙目になりながら、混乱する思考の隅で冷静に原因を掴んでいた。
(シンジ!)
「マナ!」
 シンジはシートから立ち上がった。
 フィールドシステムさえ起動していない、いま攻撃されればそれで終わりであるというのに。
「マナ、マナ!」
「嫌、いやぁ!」
 マナはシンジの顔を押し返した、シンジの顔が死人の顔に見えたからだ。
「痛っ!」
 マナのスーツの袖部品が引っ掛かり、シンジの頬に傷をつけた。
「あっ……」
 マナは数滴漂った血の赤さにハッとした。
「し、シンジ……」
「マナ……」
 シンジの優しい瞳に、涙を滲ませ、しがみつく。
「シンジ!」
 シンジはマナの頬に頬擦りしながら、優しく、優しく抱きしめ返した。
(逃げちゃ、駄目だ……)
『なによりも……、誰よりも自分から』
 知らない人の声が、脳裏をかすめ、過っていった。
(マナが死ぬことにじゃない、結局、僕はマナを壊してしまう事が恐かったんだ……)
 精神汚染とは、互いの心を犯し、犯すことだから。
(マナはその恐さがわかってない、だけど僕は……)
 泣きじゃくるマナに保護欲を掻き立てられている。
(護りたいと思う、この気持ちは本当だと思うから)
 爆光が二人を浮かび上がらせる。
 逆にマナは、やはり信用してくれてはいなかったのだと情けなくなっていた。
(でも……)
 こうしてくれているシンジの気持ちは、本当のものだと思うから。
 異常な状況と異常な興奮、それにおかしな感情が、二人の間に通い合った。
「シンジ……」
 マナはヘルメットを脱いでいてよかったと、心から安堵した。
 傷つけてしまったシンジの頬に、自分の頬を擦りよせる。
 シンジはマナを抱きしめたまま、足でレバーを蹴り、ボタンを押した。
 それがもたらす結果に、自己満足を覚えるために。
(きっと上手くいくよ……)
 シンジはその時、心の底からマナを大切にしようと決めていた。
 それが、この時だけの想いだとしても。
 気持ちは確かなものであった。



続く





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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。

この作品は上記の作品を元に創作したお話です。