リン……。
降り立った少女の素足を中心に、穏やかな波紋が広がっていく。
波の一つ一つに幻が浮かんで揺れた。それは少年がこれまでに見て、聞いて、感じた来た全ての記憶であった。
波紋は何処までも広がっていく。
少女は顔を上げてその波の行き着く先を追いかけた。
どこまでも、どこまでも……。
やがて波は何かにぶつかり折り返す。
弾き合う波はくるぶしまで沈んでいる少女の足を弄んだ。
跳ね上がる飛沫が高波のように荒くなる。
少女はバランスを崩して水の中へと飲み込まれた。
溺れる、その恐怖に人は抗い、暴れてしまう。
それが極当たり前の反応だ。
そしてその行為が余計にこの海を荒立てる。
穏やかな海をかき乱す。
『これまで』に試しを受けた人々はそうであった。
心と言う名の海に溺れて、慌てた彼ら、彼女らは、その心に犯され、呑み込まれ、苦しんでいった。
そして海もまた、そんな彼らの恐怖心に感化されて、黒く濁り、汚れていった。
溶け合いながらも拒絶しあう。
だから人はもがいていった。
──しかし、彼女は違っていた。
(シンちゃん……)
その本流が深い悲しみを伴っていると分かるからこそ……。
そして彼は決して自分を苦しめたりはしないと信じていたから。
マナは世界を満たし、体に纏わりつくその全てのものを。
深く、肺の中へと吸い込んだ。
Evangelion Genesis Next
Evangelion another dimension future:8
「オリジナル!」
『うわぁああああああああ!』
通信機からの悲鳴は音割れていた。
幾ら新型機とは言え、ガーフィッシュとの間にはフィールドシステムと言う大きなハンデが存在しているのだ。なのにその上、彼らパイロットはあくまで地上軍の防空隊員である。
無重力と底無しの無限空間は、彼らに重大な感覚の消失を味あわせていた。
普段重力の影響下で暮らしている彼らである。地平線の消失は上下の基準を見失わせる。平衡感覚を失った彼らは、本能的な恐怖から逃れようと金星を常に視界に捉えていた。
恐いのだ、何も無い空間が……気が付けば帰れないほど遠くに離れてしまっているのではないかと脅えが走って。
それは夢中で沖に向かって泳いでいるのと同じ恐怖感であった。
振り返れば浜が見えない。
そしてガーフィッシュのパイロット達は、そんなパターンを即座に見抜いて、常に宇宙を背負って戦っていた。
シンジは目を閉じたまま、そんな世界の感情に触手を伸ばしていた。
深くシートに腰掛けている。マナとの抱擁は解いていた。
マナは逆に目を開いていた。ガコンと何かの震動が響く。
「変形、開始……」
シンジがこぼした声に、顔を上げる。
目に写る世界に、もう恐怖は感じなかった。
シンジを通して世界の全てが流れ込んで来る。この瞬間、マナにはこれから何が起こるのか全てが分かっていた。
そしてあらゆる事を理解していた。
ジェネシス初号機、その形態はさらなる変化を起こしていた。
コアブロックを中心に体が前後に回転を起こす。
前となった後頭部が上下に割れて目が現れる。
上腕部を基軸に腕が回転し、手首を軸に手の平が内側へ収納され、変わって大型の手が外へ出る。
腰から下が回転して元の前後を取り戻す。スライドするように腿と脛が伸び、カバーは伸びた部分の余白を埋めるように閉じ合わさった。
腰が伸びる、装甲が蛇腹状に広がる。
上腕、下腕もまた伸びた、こちらは内部の機械を剥き出しにしたままだった。
胸が膨らんだように内部から押し広がった。
無理矢理身長を伸ばしたように、すらりとした肢体を披露する。
倒れていた肩パーツが起き上がった。
同時に装甲間の隙間、見えたままになっている基本フレームを、黒い素材が覆い尽くした。
それは大気圏突入用の耐熱シールドなどに用いられるナノフィルターだ。
通常は十分ほどをかけて外部装甲に噴射塗布される代物である。太陽光によって乾燥させて、大気摩擦で燃え尽きる、使い捨てのフィルターである。初号機はそれを対レーザー用の防御膜として使用しているようであった。
『フシュゥウウウ……』
後頭部から現れた顔、その凶悪な口元から排気……、いや、獣の熱い息が吐き出された。
全身を覆ったナノフィルターは異常な速度と厚みで硬化した。
ギシギシと関節の動きに合わせて筋肉のように盛り上がり脈動する。
それは明らかに同じものでありながら、違う特性を見せていた。
顔を上げる、瞳が輝く、一本の角が陽光に煌めいた。
その形状は、エヴァンゲリオン初号機のそれに酷似していた。
変形したジェネシス初号機のサイズは、通常の機体に比べても倍近く大きくなっていた。
そして人型である事からも狙いやすいと判断されたのか、長距離からのレーザーバルカンが集束した。
「いかん!」
グリフォン隊隊長は叫んだ。
だが、予測された事態は起こらなかった。
「なっ!?」
避けたのだ。
その巨体で。
身をひねるように、軽い仕草で。
ただ上半身を横向けただけで。
「バカな……」
その動きはまさに達人の見切りを連想させる物だった。
「できるはずが無い!」
その巨体では。
無重力空間で半身を横向けると言う動作には、どれ程微妙なアポジモーターとバーニアの操作が必要になるのか?
少なくとも少年少女にできる芸当では無かった。
粒子はわずかながらにも拡散する、吐き散らされた粒子は見えない穴を初号機の装甲に無数に穿っていた。
ギキュッと、初号機は拳を握り込むように『筋肉』に力を入れて盛り上がらせた。
ナノフィルターがその特性を活かして穴を塞ぎ、修復する。
その様はまさに生き物が筋肉に力を入れて傷を塞いだかのようであった。
「目覚めたか……」
黒い世界で男はパイプに火を入れた。
男の年齢は四十代に見える。口髭が豊かであった。
顔を上げる、今は黒いサングラスを掛けていた。
まるで船長のごとき出で立ちをしていた。そしてまさに彼は船長だった。
「あの機体に戦力を集中しろ!」
「ガーフィッシュを前面に押し出せ! 盾にして攻撃を防がせろ!」
ヘヴンズキーパーは混乱のるつぼに陥っていた。
「来ます!」
誰かが叫ぶ。
変形した初号機は武器など携帯していなかった。
ただ一直線に船団に向かって加速しただけだった。
「集中させろ!」
「駄目です、止まりません!」
ガーフィッシュからの中継映像に、誰もが戦慄を覚えて震え上がった。
金色の繭に包まれた初号機には、あらゆる攻撃が通じなかった。
ガーフィッシュであれば距離を取って逃げる事も出来ようが、鈍重な戦艦、空母ではそうもいかない。
(前に出し過ぎたか)
威圧するつもりで艦を押し出してしまった自分に、船団の総監は舌打ちしていた。
ガーフィッシュも必死であった、母艦を失えば酸素が尽きるまで宇宙を漂うしかないのだから。
特化し過ぎたガーフィッシュは、大気圏に突入する事も、一般規格のステーションに立ち寄ることもできないのだ。規格が違いすぎて、収容は望めない。だが船を捨てることもできない。ヘヴンズキーパーの最高機密に属するものである。捨てて逃げれば殺されることは明白だった。
「ガーフィッシュをぶつけろ!」
誰かが命じた。
ガーフィッシュ対ガギエル、その戦闘はまさに『フィールド』を持つ者同士の戦闘の帰結するべき点、すなわち原始的な攻撃こそが有効なことを証明していた。
そして彼らはそれを実践に移したのだ。
だが彼らは間違っていた。
初号機の展開している金色の繭は……。
フィールドシステムとは全く異質な、違う力であったのだから。
「ATフィールド展開」
シンジの口からコンピューターごとく抑揚の無い声がこぼれ出す。
マナはそのことについて、どうとも感じ取らなかった。
自分を案じてくれているシンジの想いは、直接胸に響いて来るから。
そして自分の気持ちも伝わっているはずだった。
そんなあなたは見ていたくないと言う、いたわりと悲しみは通じているはずだった。
「敵母艦捕捉」
マナは機体を、旗艦ではなく空母へと向けた。
それは酷く現実性を欠いた光景であった。
空母の発艦口を『拳』でぶち抜いた巨人は、そのまま両腕で隔壁をこじ開け中に入った。
殴る、蹴る、踏み潰す。
酷く原始的な動作で待機中の機体を、設備を破壊していく。
そして壁を割いて奥へ奥へと歩み進んでいくのだ。
「ひゃあ!」
突然轟音と共に通路を破壊され、クルーであろう者達は腰を抜かした。
フシュゥウウ……。
その寸断された通路の向こうに、巨獣を思わせる顔が目をぎらつかせて息を吐いたのだ。
誰もその獣を止めることはできなかった。
「ブルーノアが……、落とされた?」
ほぼ中心辺りからだった。空母は内部から膨張するATフィールドの圧力に負けて崩壊して墜ちた。
爆発は無く、代わりに巨大化した金色の繭が光り輝いていた。辺りには空母だったものの残骸が漂っていた。
「化け物が……」
ヘヴンズキーパー、五人衆の一人、ゲドウィンは、強くシートの肘掛けに爪を立てた。
紫色の怪物は群がるガーフィッシュをうるさいとばかりに殴り飛ばしている。
両手を組み合わせた一撃によって、ガーフィッシュは無残に中折れ、爆発をした。
初号機が顔を上げる。次の得物を見定めているのだとゲドウィンは感じた。
その矛先は戦艦であった。惑星連合に所属しているどの戦艦よりも強力で口径の大きなビーム砲を搭載している。
しかしその大きさゆえに初号機のような中型機には意味を成さない、そして小型砲では初号機のフィールドを突き破るなど不可能だ。
ゲドウィンは艦の行く末を克明に想像した。だがその予想もさらに悪い形で裏切られてしまった。
「惑星軌道の外側より大質量物体接近!」
「レッドノア、二番艦、三番艦が巻き込まれます!」
それを見た時、ゲドウィンは頭の配線が切れたかの様に惚けてしまった。
直系十キロを越える十字架にそれは見えた。
金属なのか岩石なのか? その両方の特性を持っているように見受けられた。
それが二隻の船を巻き込んで流れていった。味方の巨大艦が起こした爆発が、スケールの差からとても小さなものに見えてしまった。
「れ、レーダーには反応が……」
「ステルス? まさかあれほどの物体が!? なんの反応も検知させないというのか!?」
それはガーフィッシュすらも巻き込んで流れていった……だが不思議な事に、グリフォン隊の寸前で『霧散』し、消えた。
消失したのだ。
「な、あ……」
誰もが悪夢だと思った。
証拠として、破壊された船は残骸となって漂いながらも小爆発をくり返しているのに……。
それを成した流星は消えたのだ。
いや、それは流星ではなかった。
『この空域に存在する全ての者に宣言する』
声はあらゆる無線周波数を通じて、一方的な勧告を行った。
『我はエンジェルキーパー』
ヘヴンズキーパーに動揺が駆け抜ける。
『エンジェルキーパーのメテオ』
潜航していたのだろう……。
黒い波をかき分けて、突然黒い惑星が現れた。
それはまさに流星だった。
直系十キロを越える、反り身を付けた十字型の装甲が、少しずつ小型になって、後方へと無数に重なり流れている。
それは巨大な涙の粒のようにも見える、涙滴形だった。
スケールが余りにも違い過ぎた。おかげで誰も気が付かなかった。
これだけの物体であるというのに、金星に、なんの重力異常も与えていないと言う事に。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。