あまりにも非現実的な光景と言うものは、人の精神を痴呆にしてしまう。
 多くの人間が呆然とする中で、その小惑星は進んだ。
 時折見える爆発は、船か戦闘艦が逃げ切れずにぶつかっているものだろう。
 だが、その巨大さの前には星の瞬きにも等しいものだった。
 惑星規模の巨大船は、まさに象が蟻を踏みつぶすかのごとく悠然と進む。
 誰もが感覚を麻痺させて、感情を消失してしまっていた。


『我はメテオ』
『声』が宣言した。
『この空域の全ての命は、我の管轄に入った』
 およそ傲慢な物言いだった。
『ヘヴンズキーパーを名乗る者よ』
 また声には力が込められていた。
『投降せよ』
 意味が分からず、無法者達はぽかんとした。
『武装を解除し、金星軍へ投降せよ。反抗は許さん』
『攻撃を続行せよ!』
 謎の通信に、旗艦からの怒声が割り込んだ。
『エンジェルキーパーを騙る者に死を与えよ! 小惑星は貴君らと同様のフィールドシステムによって跳躍、防護を行っている、それだけだ!』
『ほぉ?』
 その強気の発言に、メテオと名乗る男は乗った。
『騙りと言うか? このわしを』
『エンジェルキーパーは我らの主である。そのような命令を出すものか!』
 このような罵声でハッと我に返るのだから、一般兵士の教育の度合が知れてしまう。
 これほどの質量のものをどう跳躍させたのか。
 どのような手法により、これだけの質量のものをレーダー等、索敵器機の目から隠しているのか。
 誰もそれを指摘しようとはしなかった。しないどころか、偽物であると言う言葉に縋るような動きを見せた。
 これに対するメテオの反応は冷ややかであった。
『では、示そう……』
 徐々に小惑星を構成している十字群が外れていく……前後に接続間隔を広げると、それぞれが右、左と、交互に逆回転を始めた。
 それに合わせて、奇妙な現象が発生した。
 宇宙が歪んだ……大気が無いはずの空間が、彼らの目には歪んで見えた。
 宇宙艇のコクピットは密閉されている。キャノピーごしに見える宇宙は、その実、ただの映像である。
 当然誤差はコンピューターによって修正される。大気や太陽光の熱による歪みも補正する。
 ところが、だ。
 その歪みを、コンピューターは表示した。
 それはすなわち、本当に空間が歪んでいると言う事であった。
 異常重力の波が反抗する愚か者たちに襲いかかる。飲み込むように集約して圧し潰しにかかった。
 ──メキョ……。
 一斉に、距離に関係無く、敵性行動を見せた全ての艦が圧壊した。
『投降せよ』
 再びの声に、まだ迷いを見せていた船は武装をパージした。
 恐れおののく、まさにその様な心境だったのだろう。攻撃方法は分かった、だが敵対行動を見せたものとそうでないものとを、どうやって分別して破壊したのか?
 彼らは常識を粉砕されて、あまりにもあっけなく白旗を揚げた。
「どうなって……、るんだ?」
 それを狐につままれたような顔で見ているのはグリフォン隊の隊長であった。
『どういう……、つもりですか』
 彼はマナの声にハッとした。


「どういう……、つもりですか」
 マナは尋ねた。
 マナは自分の口で、シンジの戸惑いを伝えていた。
「あなたは、どういうつもりで」
『彼の地にて、蘇りし神の御許に、十七の使徒集いて、讃歌を奉じる……。その時まで、その力、真なる者、資格ありし者を……』
 やけに散発的な言葉であったが、マナの脳裏にはシンジの記憶と合間って、一つの情報が形成されていた。
「エン……、ジェルキーパー? その一つ、イスラフェル。双子、この機体は、だから、二人で、じゃあ、本当の乗り手は!」
 口調がシンジに重なっていた。
『道を』
 ──ゴゥン!
 惑星の前方部が『剥げた』
 巨大な十字架が、加速して飛んでいく、やがて重力を巻き込むように纏って消えた。
 ──空間にトンネルが開いていた。
 そしてその先には、ここではない宇宙が広がっていた。
『飛べ』
 メテオは命じた。
『使命を、果たせ』
「くっ!」
 マナは機体を操り、そのワームホールに直進させた。彼女の表情はシンジのそれになっていた。心が重なり合っている証拠であった。
 彼女はシンジとなっていた。
 直径が一万キロメートルに近い重力の井戸に飛び込んでいく。
 機体を金色の繭で覆いくるむ。
 飛ぶべき先には……あまりにも美しい星が浮かんでいた。
 ──地球であった。


 救われたかった自分がいた……。
 死んで当然の自分がいた。
 それでも救いはあったのだろう。
 救いは綾波レイと言う形であった。
 優しくして欲しかった……。
 想いを分かって欲しかった。
 傷つけるのは嫌だった……。
 恐いから曖昧でいたかった。
 例えどんな風に思われてもいい。
 ただ分かって欲しかった……。
 その気持ちだけを理解してもらいたかった。


 サードインパクト。
 あの時、僕は恐かったんだとおもう。
 綾波が。
 希望だから。
 僕の望みそのものだったから。
 裏切られたくなかったから。
 でも真実は……。
 僕はきっと、怖くなって……、拒絶して。
 そんな僕を……、綾波は、だから!
 だから……恐かったんだと思う。
 綾波が。
 心の壁が。
 だって綾波の心を見たから。
 微笑んでくれた、あれは綾波の心だと思ったから。
 どんなに分かり合えても、次の瞬間には心の壁に閉ざされるんだ。
 人の心は。
 その瞬間に裏切られたと感じるんだ。
 だって遠ざけられたから。
 でも綾波の心は違った。
 あれは父さんが教えた笑みだった。
 父さんの心にある微笑みだった。
 父さんが教えたんだよね?
 僕と一つになりたいと言ってくれた綾波の思いは…
 親子の情を求める父さんの心だった。


 ──なに?
 上下左右の感覚がない。
 それもそのはずで、彼女はぐねぐねと潰れていた。伸びて、縮んで、ねじ上げられて、引き延ばされたりもしていた。
(空間が……歪んでるんだ)
 だがこの周囲に見える極彩色の光景は何なのだろうか?
 音がある。声だった、心の声だ。
 人が居る、誰かと話している。青と白……銀?
(碇シンジ……)
 彼女──マナは、自分が恋人と定めた少年と同じ名を持つ人だと気が付いた。
 ……いや、逆なのだと、彼は彼の名と顔を貰った人なのだと気が付いた。
(オリジナル!)
 MAGIに収められていたというたった数メガバイトからなる遺伝子情報。
 その大本の主。
 次の瞬間、マナはゾッとした。
 青と銀。二人の少年が自分を見たからだ。いや……もう一人、白の少女が居た。
 急速に色彩が整えられて、はっきりとした姿として捉えられた。
 ──これも縁か。
 銀色に染まる少年のつぶやきが、酷く耳に残ってしまった。


「くっ!」
 ワームホールを抜けた。
 マナは喪失感のようなものを感じてしまった。それはシンジとの接続が切れてしまったためのものだった。
「シンジ!」
「だい……じょうぶ、まだ」
 ふぅっとシンジは体を伸ばした。
「マナのおかげだよ……ありがとう」
「シンジ……」
 マナは見上げて微笑むシンジに、笑みを返した。
「ここは?」
「地球の傍みたいだね……月の軌道の外側だけど」
「空気……保つの?」
「その前に適当な艦隊を見つけて保護してもらおう……。一応僕たちは地球方面軍に組み込まれているんだから」
「そっか……そうだね」
 マナは手早くレーダーを立ち上げて、近くに艦隊が展開していないかを確かめた。
「ゲンドウって人より早くつけたのかな?」
「十分先回りできてるはずだけど……何か来る」
 シンジは虹を見つけて警戒した。
 初号機は第一次形態に退行していた。それでも相手がヘヴンズキーパーや零号機でもない限り、十分戦闘には耐えられる。
 しかし、そこまで不安に駆られることはなかった。
「あれは!」
 頭のない、奇妙な形状をしたロボットが編隊を組んで飛んでくる。
「地球方面軍のJAだ!」
 マナは……本来首があるはずの場所が、まるで笑っているかのように歯をむき出しにしている口になっているのを見て、かっこわるぅ……と呟いた。


「……届いたようだな」
 その一部始終を超空間通信にて確認したメテオは、再び船を潜行させた。
 金星軍はヘヴンズキーパーのガーフィッシュを手に入れて、フィールドシステムを解明し、量産するだろう。
 ──フッと笑う。
「あ────!」
 女の子の声だった。
「その顔、なんか悪いこと企んでるぅ!」
 紫色の、まるでフランス人形が着ているような、ひらひらとした服を着た五・六歳の女の子だった。
 メテオが腰掛けている椅子の背からひょいと現れ、彼の首にかじりついた。
「なに考えてたの?」
 ぷくっとした頬の感触を楽しみながら、彼は好々爺然としただらしない表情で教えてやった。
「なにな……金星の連中はあの船で何をするかと思ってな」
「なにするの?」
「まともであれば地球に報告するだろうな……だが中にはまともでないのもいるだろう。連中は軍備の拡張を唱えて船を量産するかもしれんな」
「それで戦争をするの?」
「ああ」
 少女はとんっと飛び降りると、彼の少し前に走っていってパンッと手を叩いた。
「それ、楽しそう!」
 キラキラとした目で見上げているところには、楕円形の光の中に、金星の様子が映し出されていた。
 真っ暗な中にぼんやりと浮かんでいる。その光景に心惹かれているようだった。
 穏健派と急進派が言い争い、兵士が右に左に走っている。
 ガーフィッシュの情報を漏らされぬようにと、急進派が半ば性急に封鎖を行うよう指示を下していた。この動きに反発する形で、穏健派が噛みついている。
 このままでは、いずれ金星軍は分裂するだろう。そしてよからぬ事を企む側と、それを唾棄する者たちに別れて、内乱にまで発展するかもしれない。
「おもしろーい!」
 少女は本当にうれしそうに目を輝かせていた。
 その無邪気さは……怖かった。





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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。

この作品は上記の作品を元に創作したお話です。