「シンジ君か……」
うつぶせの初号機のそばに立つカヲルの背後に、ぼんやりとした影が浮かび上がる。
「カヲル君……どうして」
「それが、僕の定めだからだよ」
「そっとしておいてあげてよ」
「でも彼女は君を欲しているよ」
「なぜ……どうしてこんなことをするのさ?」
「哀れだからさ」
振り返る。
ポケットに手を入れ、冷笑を浮かべている。
「アダム……かつてそう呼ばれていたもの。僕たちの本能がそれを求める。僕らはみな父の御許へとたどり着き、激しく包容を受け、天に還ることを夢見ていた。その本能が今も僕たちを苦しめている」
「カヲル君……」
「アスカちゃんと同じだよ……過去の記憶に縛られながらも、今の自分達を失いたくない。そうあがいている」
「…………」
「君の目覚めは、この世界に崩壊をもたらすだろうね……けれど真実の世界がそこにはあるんだ。僕たちは、還らなくてはならないんだよ」
「夢から覚めて?」
「そういうことさ」
次の瞬間には、彼は居ない。
「自問自答……か」
苦笑する。
「彼は……どこにでもあって、ここにも居る。でも、それは彼を願うものが生み出す幻像に過ぎない。彼の一部分がその気持ちを受けて現れるだけ……そう、本当の彼は、今、ここで、なにが起こっているのか? 彼女がどうなっているのか? 何も知らずに眠っている」
なのに……。
「僕らは、君と……、自分の良心と、語り合ってしまう……。君を望む心が生み出す、幻像と」
「…………」
アスカは一人、展望室の床にしゃがみ込んでいた。
膝を抱えて座っている。隣ではヒカリが心配していた。
「アスカ……なにかあったの?」
「なんでもない……」
「カヲル君に嫌われたの?」
「そうかもしれない」
ああやっぱり……。
アスカのような子でも振られるんだなと思う反面、こみ上げる仲間意識を自己嫌悪を持って否定する。
あたし、嫌な子だ、と。
「元気を出して……ね?」
「うん……」
「アスカにはイカリクンがいるじゃない」
撫でるように触れた背がビクンと震えた。
(え?)
ふるふるとふるえ出す。
「アスカ?」
のぞき込む。髪でよく見えないが……。
──泣いている。
「アスカ? ねぇ……アスカぁ……」
揺すっても、言葉を返してくれない。
「いやよ……ねぇ? アスカはそんな子じゃないでしょう? 笑ってよぉ……」
だが、アスカは顔を上げない。
上げようともしなかった。
「どうだね? 様子は」
コウゾウである。
「説得に失敗しましたよ」
リョウジ。
「しかたないです。カヲル君でも動かせるって話なんて、彼を頼りますよ」
「いいのかね? 大事なものなんだろう?」
「必要ならどんな手を使ってでも奪ってくんじゃないですかね? 彼の目的は……別ですし」
ふぅむとコウゾウ。
「ついでに……ということもしないのか」
「ええ……どうもあれの乗り手は限られているみたいなんでね」
(アスカ……か)
リョウジは興味を移していた。
(それにエンジェルキーパー。世界の真実? どうも、な)
今は考えることではないなと頭を振る。
「それで、申し訳ありませんがね、俺たちはここらでお暇させていただきますよ」
「君もかね?」
「ガギエルに同乗させてもらえることになったんで」
ははーっとうつろに笑うのは、笑えない取り引きがあったからである。
「ま……がんばりたまえ」
「はい……」
コウゾウはあえて聞かなかった。
「げに恐ろしきは女の情念……」
ぽつりとこぼすカヲルである。
「なぁにぃ?」
「なんでもないよ……君はただでさえ怖いんだから、そう睨まないでくれないかい?」
どういう意味よと、ぷうっとむくれるミサキである。
濡れた髪を持つ彼女が恨めしげに上目遣いをすると怖いのだ。青白い肌と相まって。
「で、なにをしたんですか?」
「いや……落ち込んでたようだったから」
ごく当たり前に励ましただけだというのである。
「ほほぉ? ごく当たり前にですか」
「なにか棘がないかな?」
「いえいえ。女性に優しく、は、確かに誇れるところでしょう……どの程度までか、は、議論がわかれるところでしょうが」
「はは……はぁ……」
やはり落ち込む。
(失敗したかなぁ……)
落ち込んでいる彼女を慰める術などない。
だから話してみろよと言ってしまったのだ。
「俺にはどうすることもできないだろうな……けど、つき合うことはできる」
「……うそ」
「うそじゃない。君がいまなにを悩んでいるかなんて知らないさ。でも泣いてる女の子を突き放すような真似はしないよ」
「……ほんとに?」
「女の涙ってのは、武器だよな」
頭にぽんと手を置いて撫でてやった。
「な?」
「うん……」
「いつでも、話は聞いてやる。誰かが知ってくれている。想ってくれているってのは、きっと、それだけで元気になれることなんじゃないかな?」
「リョウジさん……」
彼女の瞳が大きくゆるんで……涙があふれた。
──だが。
「ちょ、ちょっと待て!?」
「つき合ってくれるって言いましたよね!?」
「だ、だが君! ご両親の挨拶とかキール議長との謁見というのは!」
「あたし、エンジェルキーパーになんてなりたくない! 人でいたいんです!」
自分を捨てた人たち、自分が捨てた人たち。
いなくなることを前提にしていた人たちに、あたしはまだここにいると口にして回りたい。
気持ちはわかるのだが……。
「とほー……」
「まあ、これでリョウジさんがどう認識されるかが見物ですが」
くつくつと笑う。カヲルは見えるようだとからかった。
エンジェルキーパーの娘を『堕天』させた男、リョウジ。
きっと世界中から注目されることになるのだろう。
「分不相応……ちょっと違うか?」
「時間があれば、議論しましょう」
「だな……」
立ち直る。
「今気にしていても仕方ないか」
「地球が無くなれば、終わりですから」
「だがゲンドウは本当に地球をなくすつもりなのかい?」
「正確には、この世界そのものをなくそうとしているんですよ」
それはまたスケールが大きい──。
加持はヒュウッと口笛を吹いた。
そして一方で、カヲルの顔にやはり舞台演者が足りないようだなと認識した。
紅の髪の少女。
彼女はまだ、そこから立ち上がれずにいた。
続く
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。