──赤く、そして形状までも変えて、エヴァンゲリオン・アスカは出た。
「これが宇宙か……知ってるはずなのにね」
 インダクションレバーにあるいくつかのスイッチをかちかちと押す。
 人差し指、中指、そして薬指の三つでだ。
 その扱い様は酷く慣れを感じさせる。
「そっか、感覚が違うからだ。宇宙ってものを知ってるあたしと、エヴァのパイロットであるあたし。民間人だったあたしは宇宙ってものを気楽に考えてたけど、あたしは違う。あたしはパイロットとしての視点で見てるから、できるかどうかをまず考えちゃう。やっかいね」
 時間に比例する以上に失われていく『自分』を感じられる。その分だけ『アスカ』が上書きされていくのを実感できる。
 そんな様子をカヲルは苦く感じていた。
「勝手か……そうかもしれないね」
 彼は脱出用のシャトルへと向かっていた。
 通路を泳ぎ、急いでいる。
(わかっていたことさ。エンジェルがそうであるように、ある日目覚めたときからこの世界での僕たちは薄れていく。まやかしは現実の前には消え失せるものだからね……。そして現実の僕たちは幻であった僕たちのことを夢のことだとして認識していくようになる。生きているのは夢の中なのにね)
 シンジ君、とカヲルは自分を抱きしめる。
「彼女の言葉は堪えたよ……。それでもここにこうして存在を許されていることが、君に許しを与えられている証拠でもある……。僕はそれを信じたい」


「ガギエルか……」
 アスカは苦笑しながら、船体に接触した。
「ミサキ……だっけ?」
 接触回線での声に、ミサキは首を傾げた。
「アスカちゃん……よね?」
「アスカはアスカよ。でもちゃんはやめて」
「……そっか『目覚めた』のね」
「そういうことよ」
 ガギエルの中、ミサキは顔をしかめてうつむいた。
 濡れた髪が顔を隠す。
 目覚めが決して良いものではないことを彼女は知っていた。だからのことだった。
「あたし、アスカちゃん気に入ってたんだけどな」
「ごめんね。でもあたしはあの自分は嫌いよ」
「自分なのに?」
「あたしはあんなに甘えん坊じゃないわ」
「そうでしょうけどね……」
「例え仮にあれがあたしの本質だとしてもね、あたしが作り上げてきたあたしはこっちよ」
「あなたが納得してるのなら、良い。どうせわたしたちはあなたを守護するために作り出された存在だもの」
「従うだけってこと?」
「そうよ」
 ふんと鼻を鳴らして、アスカは聞かせた。
「つまんないやつぅ」
「…………」
「もっと面白い子だと思ってたんだけどな」
「そんなの知らない!」
「なに逆ギレしてんのよ?」
「あなたにはわからないわ! 勝手にこんな役割振られて、やらされてるあたしの気持ちなんて!」
「じゃあやらなきゃ良いんじゃないの?」
「そんな勝手なこと!」
「あんたも馬鹿ねぇ? シンジが人が不幸になるような真似、するわけないじゃん」
「……どういうこと?」
「あんたはシンジを知らないってことよ」
 けらけらと笑う。
「あんなお人好し……違うか。臆病者はいないってことよ。嫌われるのが恐いから、適当にうまくやろうとしてしまう。そんな奴があんたみたいに悲劇に酔うような子がいて、落ち着いていられると思ってんの?」
「わたしは……シンジなんて知らないもの」
「おかしなものねぇ……。あたしとシンジが最初に戦った相手って、『あんた』なのに」
「それこそ知らない!」
「ま、そのうち思い出すんじゃない? あたしも思い出を語り合えないってのは嫌だしね」
 ──嫌な女だ。
 ミサキは見られていないのを良いことに顔を酷く歪ませた。
 こちらの都合をまるで理解しようとしない。そのくせ自分のことばかり考えている。
(でも考えてみればそうか)
 彼女のためだけにと、このような状況を勝手に作り上げた男の女なのだから。
 これくらいが当たり前なのかもしれない。
「これからガギエルの力で飛ぶから」
「りょーかい」
「ATフィールドを全開にして。光速を超えるからバラバラになりたくはないでしょ?」
「でもATフィールドが干渉するってことはないの?」
(コクーン)状に張ってくれれば問題ないわ」
「じゃ、ドッキングさせてもらうから」
「え?」
 ガコンと船体が揺れた。
「なにしたの?」
「お腹の側に抱きついただけよ。早く行かない?」
「なぜ?」
「カヲルが来るわ。あいつとは一緒に行きたくないのよ」
「へぇ」
 ミサキや嫌がらせのつもりで口にした。
「本命の前には、男連れで行きたくないってこと?」
「アンタばかぁ?」
 心底呆れた調子でアスカは返した。
「あいつが居ると、シンジが鬱になるからよ」


(やっぱり男連れで会いたくないだけじゃない)
 ミサキは勘違いしながらも、ガギエルのエンジンに火を入れた。
(この手で殺した相手になんて、普通会いたいはずがないじゃない)
 一方、アスカも誤解させたかなとは思っていたが、あえて正しはしなかった。
(シンジだってそれなりに納得して、乗り越えたけど、それは自分だけの気持ちなのよ。もしあいつと話してシンジが自分の思いこみだったって落ち込んだら?)
 せっかくの再会がだいなしになる。アスカは口元をいやらしくゆがめた。
(ばかシンジって、ビンタしてやるのよ。それから抱きついて、キスをする。そういうのがあたしたちらしいって)
「ワープにはいるから」
「了解。ATフィールド展開」
「カヲルが待ってって言ってる」
「無視!」
「はいはい。じゃあねコウゾウおじさん。リョウジさん、しっかり掴まってて」
「ってリョウジさんいるの!? なんで!」
 ──なんでなんだろうなぁ?
 一番わかっていないのは本人であった。


「S機関始動。エネルギーバイパス、メインエンジンに直結。サブ回路遮断。重力場制御開始。ゲインを最大に」
 狭いなぁと、リョウジは少しばかり不安になっていた。
 ミサキのシートと違って、コクピットの隙間に無理やり体をねじ込んでいるような状況だ。
 この上で来るのが燃料推進器で大気圏を離脱するようなロケット並みの衝撃ならば、きっと脇腹の骨の一本や二本は折れるだろう。
(頼むぞほんとに)
 ガギエルのカメラは特別製なのかもしれない。
 前面にあるメインモニタには、空間が歪んでいく様がはっきりと映し出されている。
「地球圏に到達後は勝手にやってね」
 アスカの声がスピーカーからくぐもって聞こえる。
「勝手にねぇ……」
(これがあの女の子なのか……)
 リョウジはミサキとカヲルから聞かされた話をあらためて思いだし、悲しんだ。
(確かにな……これじゃ別人だ)
 今の自分が今の彼女を受け入れがたく思うように、ミサキもまた両親、兄妹、あるいは親類、友人に、敬遠されてしまったのかもしれないと思う。
 リョウジはごそりと動いた、ミサキが見とがめる。
「リョウジさん、もう出るから」
 ちょっとだけだと、リョウジはミサキの耳に口を寄せた。
「大丈夫、君は可愛いよ」
「こ、こんな時に……なんですか?」
「いや……な」
 軽く笑う。
「落ち着いたらのんびりしたいなって思っただけだよ。ついでに、こんな秘密だらけのことを話し合える相手とね」


 ──虹色の光が瞬いた。
 それはガギエルとエヴァンゲリオンが、ガギエルの展開した特殊フィールドに突入した証でもあった。
「置いて行かれてしまったのか」
 カヲルはシャトルの中で脱力していた。
「それも仕方のないことなのか」
「戻ってくるかね?」
 通信機。話しかけてきたのはコウゾウだった。
「お願いできますか?」
「ああ。元々君は客だからな」
 苦笑する。
「そうでしたね。忘れていました」
「担任を心配させる前に戻りたまえ」
「了解です」
 シャトルをドッキングコースに乗せる。
 カヲルはちらりと二機が消えた空間に目を向けた。
「……なら、遅れて行くだけだよ」
 自分にはミサキのような船はない。だが、火星に着けば渡航する方法はあるだろう。
 カヲルはそれを期待することにして、今は退場を選んだのであった。





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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。

この作品は上記の作品を元に創作したお話です。