「いっただっきまぁっす!」
がしゅがしゅと咀嚼音が響く、景気の良い伴奏は茶碗と箸の合奏だった。
「あらあら、レイもレイちゃんも今日は沢山食べるわねぇ」
にこにこと主婦的満足感を味わっているユイである。
(三匹……、四匹……、六……、あ、五匹)
シンジは食べながら考えていた。
エビフライはそれはもう立派なごっついエビがベースになっていた。
問題はレイが三匹、綾波が四匹、で、何故かシンジは六匹で、それが食べてもいないのに減っていく事だった。
「シンちゃんこれも食べないの?」
食べる、と言って隠すと何を言われる事か。
目がキラキラと輝いている、光っている、星が瞬いている、ついでに涎も垂らしている。
「……あげるよ」
「ありがとー!」
シンジははっきりと分かるほど溜め息を吐いた。
「もうお腹一杯なのね……」
そう言ってレイもかすめ取っていく。
シンジはユイの顔を見た。
『その分、多くしてあるでしょう?、文句言わない』
ニコニコ顔から読み取ってしまって、残った二匹のエビでご飯を口にするシンジであった。
ごほん、と一つ咳払い。
「ではシンジ……、覚悟は良いな?」
(なんのだよ)
シンジは奇妙な半笑いを浮かべた。
父と母の寝室だ、が、父親と二人きりで篭るにはおかしな感じがする場所ではあった。
「一体なんの話しをしようって言うのさ、父さん……」
シンジにはそれが不安であった。
経験上、真面目に聞いて得をしたことがないからだ。
「なに……、人生の先輩としての教訓だ」
ふんぞり返る。
(恨むよ、母さん……)
シンジはとっくに気がついていた。
自分が父を押し込めるための生贄であるということに。
「あれはそうだな……、ユイが大学の四回生だった頃の話だ」
シンジは右から左へ聞き流していた。
「今でこそこうだが……、わたしも中学生の頃は、よく可愛いと言われた物だった」
座ったままずっこけるシンジ。
「父さんが!?」
「うむ」
父はやたらと大仰に頷いた。
「だがな、男だ、可愛いなどと言われて嬉しい物か」
「もしかして……、それでそんな顔をするようになったの?」
「そんなとはなんだ」
だがゲンドウは少し楽しそうに笑った。
実に珍しい表情にシンジは目を丸くした。
「ユイと初めて会ったのは、そう、彼女が打ち上げのコンパか何かで、祇園のスナックで支払いをしている所だった」
「ギオン?」
「京都のな、そう言う場所が在る」
そうなのかぁ、とシンジは素直に納得した。
「ユイ達は料金のことでもめていた、法外な値段を請求されたらしい、そこへ運悪く、わたしは顔を出してしまったのだ」
「運……、悪く?」
「うむ」
何やら複雑に真剣な表情でゲンドウは語った。
「わたしはただ、呑みに入っただけだったのだがな、ユイ達はその手の暴力担当が出て来たと思ったらしい」
ごくりと、シンジの喉が鳴った。
「それで……、どうなったの?」
「ふっ……」
ゲンドウはニヤリと笑った。
「ボコにされた」
「え?」
「中段蹴りからこめかみへの足刀、実に見事だったよ、ユイの蹴りはな」
「あー……」
思わぬ馴れ初めに絶句のシンジである。
「父さん……」
「まだだ、話は続くぞ」
にやりと意味もなくゲンドウは笑った。
「起きた時、わたしは助手席に寝かされていた」
「車?」
「ユイのな、そしてユイはわたしの顔に濡れたハンカチを置いていた」
「置いて?」
「窒息するかと思ったがな」
(母さん……、証拠を消すつもりだったんじゃ)
続きを聞くのが恐くなって来たのか、段々と腰が引け始めた。
だがゲンドウはお構いなしに先を続けた。
「当時、わたしはとある道場に通っていた、だからだろうな、彼女の実力が並みではないことはすぐに分かった、きっと名のある人物に違いないと思い、大学まで訪ねて行った」
その頃、ゲンドウは確かに道場に通っていた。
通ってはいたが、余り良い評判は聞かれない道場であったのだ。
だがゲンドウはそこでそれなりの実力を示してしまっていた。
それが災いして、事実無根の悪名の札を釣り下げられることとなってしまっていた。
「あの……、先日は失礼しました!」
大学、何故だか農学部へと続く道だった、それなりに大きな道だ、真ん中には街路樹まである。
その隅で勢いよく頭を下げたものだから、一瞬でユイは人目を強く引いていた。
ゲンドウは仏頂面のままユイを見下ろしていた。
自分よりも頭一つ分も小さい体で、どうこめかみを蹴ったのか、それも店内の入り口、カウンター前と言う狭い場所でだ。
それが非常に気になっていた。
「謝罪は聞いた」
ユイはちらりと上を見て、相手の表情が変わっていなかったために、また下を向いた。
「頭を上げろ」
命令口調に脅えながらユイは従った。
「名前は」
「ユイです……、碇ユイ」
「そうか」
ユイはすっかりおどおどびくびくとしてしまっている。
昨日の彼女と同一人物かどうか。
ゲンドウは少し気になったのか、質問をくり返した。
「趣味は」
「は?」
「得意な物は、なんだ」
「あ、あの……」
ユイは妙に困惑した表情を作ってゲンドウの顔を見上げた。
「ユイー!」
そこに非常に元気の良い声が聞こえた。
友達を呼ぶ口調だった。
「また来る」
ゲンドウはそう言って背を向けた。
「あ……」
やっぱりユイは困惑していた。
いや、はっきり言って、理解できなくて苦しんでいた。
「……なんですか、それは」
にこにこと話すユイに、綾波は理解不能だとばかりに顔をしかめた。
「わたしも分からなかったけど、あれはあの人なりの愛情表現だったのよ」
「は?」
なんとも言えない顔になる綾波である。
「キョウコが……、その時に来た友達だったんだけど、彼女に相談したら、それは惚れられたなって、正直困ったわ」
ユイは頬に手を当てて、ほうっと熱い吐息をついた。
頬が赤くなっていた。
「あー!、居た!!」
指を差した上に大声を出されて、ゲンドウはギクリと身をすくませた。
何かをした覚えは無いが、ケンカを吹っ掛けられることはざらである。
今度もそうかと思い、舌打ちをして振り返った所には、赤毛の女性がにこにこしながら立っていた。
「碇、ゲンドウさん?」
「……そうだが、君は」
「あたしキョウコ、ユイの友達よ」
それがゲンドウと、ユイの無二の親友であるキョウコとの出会いであった。
「キョウコって……、確か惣流さんの」
「そうだ」
普通、友達の親の名前など知らないものだが、シンジはゲンドウとユイが揃ってそう呼んでいたので覚えていた。
「彼女は積極的な女性だった……、まず名字を名乗らなかった、そのため名前で呼ぶしかなく、まずはそれでユイに誤解されてしまったのだ」
シンジは相槌を打つべきかどうか悩んで……、やめて目で先を促した。
「好きなら好きって、はっきり言いなさいよ!」
ニコニコと笑って背中をバンと叩く。
実に元気の有り余っている女性であった。
「いや、わたしは……」
「もう!、はっきりしないわねぇ」
「キョウコ君、それは誤解……」
「誤解もろっかいも無いわよ!」
大声で掛け合いの漫才をしながら廊下を歩く二人の前で、バサバサと書類の束の落ちる音がした。
「あ、ユイ、丁度いい所に……」
キョウコが歩み寄ろうとすると、ユイはいやいやをするように後ずさった。
「ユイ?」
手を伸ばすと、ユイは弾けたように白衣を翻して駆け出した。
「キョウコのあほぅー!」
研究室前の狭い廊下に、ユイの声はそれは見事に響き渡った。
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