AMBIVALENCE
「ヒカリがね……、トウジの事、好きなんだって」
「ふぅん……」
 ベッドはアスカに占領された。
 仰向けに転がり、天井を見ている。
 僕はベッドに背を預けてもたれかかり、ジュースを開けた。
「驚かないのね?」
「あまり仲がいいわけじゃないからね?、正直よく知らないから」
「そ……」
 アスカのもあるけど、飲もうともしない。
 電気は消してある、窓は無いから薄青くなるように照度を落とした。
「何処が好きなのって聞いたら、優しい所だって」
 顔を見たくないのと、見られたくないのと、僕の理由は両方だった。
「妹想いだし、お母さんがいないから、よくお父さんを助けてるし、……それに」
「それに?」
 その言いよどみに微妙な物を感じる。
「ほら、あたし達が荒れてた時、トウジってさ、あたしのために……」
「うん、まあ……」
 好きになっちゃった、とか?
 なんだか自然な流れのような気もして、僕は漠然とそう考えた。
 でもそれは早とちりだった。
「そういうところが優しいんだって、だから好きになったって……、でも良く分からないのよ」
「なにが?」
「……あたしは、シンジを知ってるもの」
「え?」
 僕はなにか意外な言葉を聞いたような気がした。
「太平洋で二人乗りした時から……、ずっとじゃない、あんた」
「なにが……」
 溜め息を吐かれてしまった。
「あんたって、バカよね……」
「わかってるよぉ」
「ううん、わかってないわよ」
 ずり……
 音がしたと思ったら、うつぶせになったのか。
 間隣にアスカの顔が来た。
「無茶ばっかりして、怪我ばかりして」
「……自分のためだよ、自業自得だ」
「じゃあなんで……、なんであの時、コントロールを返さなかったの?」
「あの時?」
「浅間山であたしが死にそうになった時も、何の装備も無しに飛び込んで来て……、弐号機とでもあれだけ痛がってたのに、熱くなかったわけじゃないんでしょ?」
「まあ、ね……」
 そう、確かに熱かったけど、あの時はハーモニクスを意図的に切ってもらってたから、そう大して酷かったわけでも無い。
「そうやって人を助けておいて、好きだって言っておいて、でも距離を取りたがって……、なんでよ?、なんなのよ?」
 理解できない?、そりゃそうか……
「僕は……、本気で人を好きにならないって、そう決めたから」
「だからどうして!」
「嫌なんだよ!、人に裏切られるのは、嫌なんだ、人の期待に答えられないのは……」
「あんたは……、よくやってるわよ」
「でも僕はアスカの考えも分からないで、傷つけた」
 目を閉じれば思い出せる。
(きゃあああああああ!)
 使徒に飲み込まれかけたアスカの悲鳴も耳を打つ。
 何度アスカをそんな目に会わせれば気が済むんだ!?
 知らずに、拳に力が入ってた。
「そんな奴よね?、あんたって……」
 呆れた声。
「だからよ……、なんであんたが殴られなきゃいけないのかわからなかったわ」
 へ?
「それなのに、ヒカリはそんなあいつが優しいって言うのよ……、シンジの事、何も知らない、何も考えないで、知ろうともしないで殴ったあいつが」
「そうなの……、かな?」
 でもそれは前の僕がそうだった。
 人の気持ちを知ろうともしないで、自分のことばかりごねてたし……
 だから人のことは言えないんだけど。
「でも好きなのよ!、本気なのよ、ヒカリは!」
「うん……」
「なのになんで?、どうしてトウジがフォースチルドレンなの!?」
 ああ、そうか……
 不意にこの部屋にやって来た理由に思い至った。
 アスカ、逃げ場所が無かったんだ……
 逃げ込みたかったのか、どこかに。
 誰かにぶちまけたかったんだ、自分の中のもやもやを。
「トウジが……、やっぱりなのか」
 でも僕の口は思考とは関係無く言葉を紡いでいた。
「やっぱりって……、なによ?」
「うん……」
 話してもいいのかもしれない。
(……好きじゃないです、秘密にするのは)
 僕も楽になりたいのかもしれない。
「それも僕の中にある予定の内の一つだから……」
「予定、ね……、じゃああたしがここに居るのも、そうなの?」
 僕は力無く首を振った。
「僕は、アスカに見限られた存在だから……」
 微妙な違いや流れを生んではいても、根本で今だ史実から抜け出せていない。
「そ……」
 だからアスカが首に回してくれた手に、そっと手をかけてつかむのが精一杯だった。
 変化が生まれてる。
 その実感が、ちゃんと得られていなかったから。



第拾八話「命の選択を」



「あ、シンちゃん」
「ミサトさん……」
 ジオフロントから出ようとした所を捉まった。
「あのね……、アスカは?」
「先に行っちゃいました」
 それもまた逃げるように、遠回りして。
「徹底してあたしと顔を会わせないつもりか……」
 アスカ……、まだ加持さんのことで。
 でも今はそれ所じゃない。
「あの、四号機が欠番になったって、本当ですか?」
「え?、ああ、ええ……、四号機はネルフ第二支部と共に消滅したわ……、S機関の搭載実験中にね、あ、ここは大丈夫よ?」
「わかってます……、参号機は?」
「松代で機動実験でねぇ、ちょっち四日ほど留守にするから……、アスカと話しておきたかったんだけど」
 溜め息を吐くしかない状況か……
「悪いんだけど、加持も避けるようだったらアスカのこと、お願いね?」
「はい」
 人の面倒見られるほど余裕ないんだけどな……
 でも見捨ててしまえるほどの薄情さを、僕は失ってしまっていた。


 トウジ、まだぼうっとしてるな。
「ミサトさんも冷たいよ、まったく……、やる気なら俺が一番なんだし」
 こっちはこっちで落ち込んでるし……
「予備でも使って貰えたら良かったのにね?」
「ああ、トウジもそう思わないか?」
「あ、ああ、そやなぁ……」
 ガタンと背中の方で椅子の音がした。
「どうしたの?、先に出たのに随分遅かったね?」
「なんやぁ、今日は夫婦揃ってご出勤とちごたんかい……」
 バン!
 アスカの鞄が机を叩いた。
「あんた達の顔、見たくなかっただけよ!」
 アスカは泊まって行ったけど、別に何かあったわけじゃない。
 ベッドは貸して、僕は下に寝てた。
 そして朝起きたら、もういなかった。
 僕は、また知らない間に何か気に障る事をしたのかな?
「また夫婦ケンカかぁ?」
「……原因は、僕達じゃないんだけどね」
 そう答えるのが精一杯だった。


「ヒっカリぃ!、おべんと食べよ?」
「あれぇ?、トウジは?」
「あ、うん……」
 気がついたけど、やめておいた。
 屋上にトウジの姿が見える、それだけじゃない。
 綾波?
 綾波が居た、何話してるんだろ?
 なんとなく洞木さんに視線を移す。
 気にしてるのか、な?
 まあそうなんだろう、洞木さんも二人を見上げてた。
 アスカは……、気がついてないようだった。


「ごめんね碇君……、いつもはアスカと二人だけなのに」
「いいのよヒカリ!、こいつはそんなんじゃないんだから」
 酷いよなぁって思うんだけど……
 アスカが本当の意味で好きなのは加持さんだから、まあそれは当たってる。
 だから僕は苦笑いを浮かべた。
「いいんだよ、アスカがよく僕と居るのは義務だからね……」
 つい調子に乗って寂しそうにしてしまった。
「なぁに言ってんのよ!、こんな美人と四六時中一緒にいられて、あんた嬉しくないってぇの?」
「あ、嬉しいです、はい……」
 鬼みたいだ。
「よろしい!」
 ほんと、ころころと機嫌が変わって……
 あ、ほらぁ……、洞木さんも笑ってるじゃないかぁ。
「ほんと、仲いいのね二人とも」
「悪くはないよ」
「鈍感バカ!、あんたほんと人との付き合い方覚えなさいよね?」
 覚えたから、こうなんだけどな……
 僕達はちょっと遠い公園に向かっている。
「……トウジの事、でしょ?」
「うん……、アスカに聞いたの?」
「前から、知ってた」
「え?」
 嘘?、と言う顔。
「トウジに構ったり、よく見てるから、気がついてた」
「うそ、やだ……」
「赤くなっちゃってまぁ」
 アスカもにやにやと笑い出す。
「でも……」
 洞木さんは落ち込もうとする。
「鈴原の好きな人ってアスカだと思ってたの、けど」
「鈴原が!?」
 アスカ……、気がついてなかったのか?
 いくらなんでも、でなきゃあんなに怒らないだろ、トウジも……
「でも鈴原の本当に好きな子って、綾波さんかもしれない」
 はぁっと、何故だかアスカの溜め息。
「……あいつもシンジと同じか」
「ちょ、ちょっと、どうしてそうなるんだよ?」
 もう訳分かんないよ。
 アスカ達の考えって、まったく読めない。
「うっさいわねぇ、あんたは黙ってればいいのよ!」
 ひらひらって手を振られた、どうせ僕は鈍いですよぉだ。
「なんだよもぉ……」
「安心してヒカリ、それはないわ」
「でも……、お昼、仲よさそうだったし」
「あの女はシンジの一万倍奥手だもの」
「そう、なの?」
 僕に聞かれてもさ……
「このあたしと二人っきりだってぇのに、何もしやしないのよ?、この男は!」
 ちょ、ちょっと待ってよ!?
「あれはアスカが!」
 それに綾波の話だろ?、今は!
「人を自分のベッドに寝かせてさ!」
「や、やだ……」
「誤解だよ!」
「ゴカイもロッカイも無いわ!」
「結果的にはそうなっただけだろう!?」
「ごちゃごちゃごちゃごちゃと男らしくないわねぇ!」
「あ、アスカだって、ちっとも女らしくないじゃないかぁ!」
 空しい言い合いだったかもしれないけど、洞木さんはそこで思いっきり吹き出してくれた。
 笑った洞木さんは可愛かった、初めて洞木さんのこんな顔を見た気がする。
 僕にも分かる、作り笑いなんかじゃないって、だからちょっとだけ嬉しくなれた。
 僕にもまた楽しい時が作り出せたってわかって、嬉しかった。


「そう言えばさ」
「ここの食堂って味気ないわねぇ、もうちょっとましな物作れないのかしら?」
 ……帰る気ないのかな?
 家に帰るのかと思ったら本部までずっと着いて来るし。
 途中じゃミサトさんがいないから食堂に寄るんだって言って。
 お腹が膨れちゃったから休憩させろって、今度は押し掛けて来て。
 じゃあお風呂行って来るからって行って帰って来たら、なんだかちゃんとシャワー浴びて僕の短パンとTシャツに着替えてベッドを占領してた。
 はっきりと言っちゃうと辛い、これから起きる事を考えると寝付けない。
 その上アスカがいる、どうにもどっちにテンションを傾けていいのか分からないんだ。
 思い詰めてるわりに、薄情なのかもしれない。
 死ぬかもしれないトウジと、煮詰まってるアスカで、僕は女の子の体に欲情してるんだから。
「……散歩に行って来る」
「ちゃんと帰って来るのよ?」
 犬じゃないんだからさ。
 うつぶせで本を読んでる姿にいたずら心が沸いて、僕は思わずぽこっと盛り上がったアスカのお尻を踏ん付けた。


「あ、加持さん」
「よぉ……、どうしたんだその頬」
「ははは……」
 見事な紅葉だったりする。
「アスカはそっちか?」
「はい……、帰りたくないみたいで」
「そうか……」
 二人で自販機にもたれかかる。
「あの……」
「なんだ?」
「アスカって、どういう女の子ですか?」
「なんだ、今更……」
 そう、確かに今更なのかもしれない。
「いえ……、知ってるつもりで、僕は何も彼女のことを知らないから」
「君は女の子のことを一々聞いて回ってるのか?」
「あまり……、一緒にいないから」
「一緒に居なかったって事なら俺だって同じさ、知らないアスカの方が多い、それは恐がる事じゃないさ」
(人は他人を完全には理解できない、自分自身だって怪しいものさ、百パーセント理解しえるなんて不可能だよ)
「彼女というのは、遥か彼方の女と書く、女性は向こう岸の存在だよ、我々にとってはね」
「でも……、だからって分かろうとしないのは嫌なんです」
「男と女の間には、海よりも広くて深い川があるって事さ」
 でも僕はそれを渡りたいと思う……
 アスカの寂しそうな背中が見える。
 綾波の無機質な目がちらつく。
 何を考えているのか、想っているのか……
 恐いんだ、何も分からないのが、だから……
 渡らなきゃ、いけないんだ。
 僕は拳を握り込んだ。
 二人のその姿が、無言の訴えのようにも思えて来たから。
 それは僕のしていた態度と、どこか似たものだったから。


『松代で事故ですってぇ!?、それじゃあミサト達は……』
『まだ連絡取れない』
 僕達は使徒出現の報にエヴァに乗せられていた。
「ミサトさん達は?」
『今は碇司令が、直接指揮を取っているわ』
「父さんか……」
 ここで決まる、変われるかどうかここで決まる。
 僕に出来る事をやってみる。
 僕はもう、頼らない。
 でも出来る限りのことはする。
 僕はそう、心に誓った。


『目標接近』
『全機地上戦、用意』
 来た……
『あれが使徒ですってぇ!?』
 エヴァ、参号機。
『そうだ、目標だ』
『そんな……、使徒に乗っ取られるなんて』
『レイ、近接戦闘は避け、威嚇しろ、いま弐号機を回す』
『了解』
『きゃああああああああああ!』
『零号機、外部追加装甲に使徒接触!、エヴァ本体に侵食を計ろうとしています!』
『こんのぉ!』
 激震音が通信機に音割れを導く。
『零号機の外部装甲をパージしろ』
『はいっ!』
 今日は待ち伏せの体勢であったから、零号機の盾は小さな物だ。
 左腕に直接マウントされていて、綾波でなければ攻撃を受け止めるのに使えないだろう。
 その盾を着けた腕で銃身を保持し、綾波はパレットガンを撃ちながら下がっていく。
『初号機!、使徒に向かっていきます!』
『碇君!?』
 無視だ!
 僕は懐に飛び込んで、ナイフを下から上へと斬り上げた。
『シンジっ、何やってんのよ!』
「足を狙って!」
『バカっ!、それに乗ってるのはねぇ……』
 綾波は僕の意図を察してくれたのか?、プラグを傷つけないように参号機の左膝に銃口を当てて引き金を引いた。
『レイ!?、あんた何すんのよ!』
 悲鳴を上げる参号機。
 吹き飛ばされる膝、跳んで落ちる足。
「くっ!」
 苦し紛れの腕が初号機の喉をつかんだ。
『シンジ』
 うるさいよ!
『なぜプラグを狙わん』
「人が乗ってるんだ!」
『生命維持に問題発生!』
『パイロットが危険です!』
『いかん!、シンクロ率を六十パーセントにカットだ』
『待て……、シンジ、そいつは使徒だ、我々の敵だ』
「助けなきゃ……、人殺しなんて出来ないよ!」
『……パイロットと初号機のシンクロを全面カットだ』
 まずい!
「父さん、やめてよ!」
 だけど僕の願いは通じなくて……
 プラグの中は、真っ赤な血の色に染め上げられた。


 初号機が動く、勝手に動く。
 その手が上がり、参号機の首を捉える。
 もがくのを無視して、立ち上がりながら持ち上げる。
 ゴキンと折れた、折った感触が手のひらに伝わる。
 シンクロは切られているはずなのに……
 それでもエヴァは止まらない。
 参号機を叩きつけ、さらにその顔に拳を入れる。
 吹っ飛ぶ頭蓋、飛び散る脳漿。
 拳がとても、生暖かい。
 気持ち悪い……
 気持ち悪いほど、気持ちいい。
 暴力に酔いしれる僕が居る。
 でも!
「アスカ、綾波っ、止めて!」
『シンジやめて!』
『碇君、だめ!』
「くそっ、止まれ、止まれ、止まれ!、止まれよ、止まってよ!」
 また同じなの!?
 初号機は参号機の装甲を引きはがし、腕をもぎ取り、殴り続ける。
 ぐねぐねとした内臓も、堅い骨も、全てを均等に殴り潰していく。
 ダメだ!
 絶望的な予感、プラグを握り締める拳。
 エントリープラグには血管のようなものが浮かんでいる。
 使徒に犯されているのが分かった、でも、それでもそこには……
 プラグに一瞬、振り返るカヲル君の姿が重なった。
「お願いっ、やめてよ!、母さんっ、綾波っ!、やめてよぉ!」
 ぴくっ……
 引きつったように指が動いた。
 初号機の手が、一瞬プラグを握り潰したかの様に見えた。
 だけどそれは、プラグにわずかなへこみを付けただけだった。
 プラグは……、トウジを、僕は、止められた?
『どうした?』
『エヴァ初号機、信号を拒絶!』
『全てのシステムがロックされていきます』
『全システム、パイロットの制御下へ移行!』
『システムが通常モードに復帰して行きます!』
「綾波……」
 僕は初号機を羽交い締めにしようとした弐号機ではなく……
「トウジを……」
 零号機が強ばって固まった指を、一本一本引きはがしてくれた。


 僕は事後処理の忙しさから、取り敢えず独房に放り込まれた。
 僕に会いに来たのは、一人だけ……
「あれも、あんたの言ってた「予定」ってやつの一つなわけ?」
 答えず黙り込んだ僕に、アスカの手が振り上がっていた。



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