INTROJECTION
「出たまえ、碇シンジ君……、総司令がお会いになる」
 あれから三日経ち、そして僕は手錠付きで引き立てられた。
 何を話せばいいんだ?
「なぜ命令を無視した」
 僕は沈黙を保つ。
「答えろ、なぜ、ユイとレイを呼んだ」
 気になるのか?、そんな事が……
 思わず口元が笑ってしまった。
「お前には失望した」
「道具を相手に、失望するんですか?」
 今度は父さんが黙る番だった。
「帰れ、ここにはもうお前の居る場所は無い」
 そう来るのか。
 でもこれも予想してた事だ。
 何も動かない施設で、エヴァの発進準備をしている父さんを眺めていた時。
 ふいに父さんって人が分かった気がした。
 だからこう来る事も考えていた。
「はい、先生のところに、戻ります」
「お前にはもう、会う事はあるまい」
「……僕から逃げ出したいから、会いたくないだけでしょ?」
「なに?」
「恐いのなら、そう言えばいいんだよ」
 背を向ける、この時の僕の背中は、拒絶を表していたと思う。
 この人とは分かり合えないし、分かり合う必要も無い。
 それが正しい事なんだって、僕は急に理解していた。



第拾九話「男の戦い」



 転校の手続きを済ませ、わずかばかりの荷物をまとめる。
 電話がかかってきたけど、多分ケンスケのはずだ……、だから無視した。
 どうせ話す事なんて無いから、そのまま電源を切った。
 それから一時間して、僕は部屋を出た。
「ミサトさん……」
「送るわ」
 吊っている『右腕』が痛々しい。
 前は左腕だったはずなのに……
「碇君……」
 途中で綾波に会った。
「……わけのわからない、理解のできないものはいらないらしいや」
 僕はつい、父さんって人について愚痴ってしまった。
「恐いから……、道具にしたいらしいよ、物を考える人間は、なにを考えてるのかわからないから、恐いみたいだ……」
 そう、だからネルフの人達は、あの停電騒ぎの時、勝手に助けてくれなかった。
 自分で物を考えちゃいけないから。
 命令が何処からも来なかったから。
 そう言う人間はいらない、ううん、恐いから捨てるって言うのが、父さんだから……
 僕は感極まったのを装って抱きついた。
「碇く……」
(……でも、今日中には戻って来ることになるよ、多分ね?)
 綾波だけに聞こえるよう、その耳元で囁く。
「シンジ君、行きましょう」
「はい……」
 名残惜しそうに離れ、僕はもう一度だけ綾波に伝える。
「さよなら」
 その瞬間の綾波の困惑顔は、見ていて面白いほどのものだった。


「アスカはどうしていますか」
「加持にべったりよ、四六時中ね……」
「はは、アスカらしいです、それでいいんですよね」
 駅、でも居るのは僕とミサトさんだけだ。
 無理をしてオートマの車で送ってくれた。
「そうやって、何でもかんでも見透かして生きていくと、辛いわよ?」
「……僕が知っているのはこの街での出来事だけです」
「わかってると思うけど、これから先あなたの行動にはかなりの制限が付くから」
「はい」
 でも僕はまだ離れない。
 ミサトさんの迷いを感じたからだ。
「あの……、教えてくれないかしら」
「なにをですか?」
「第四次選抜候補者は、全てあなたのクラスメートだったわ?、全て仕組まれていたこと……、でも何故?、何故あなたはそれを知っていたの?」
「……僕は正直、自分の夢、願い、希望をミサトさんに見ていました、それがミサトさんの重荷になってる事もわかってたはずなのに」
「なにを言っているの?」
「誰も信じてくれないだろうから、話さなかっただけです」
「なにを?」
「……海が、赤かったんです」
「え……」
「隣には、アスカが、その向こうに、綾波が見えたんです、気がついたら、ここへ戻っていました」
「戻っていた?」
「ええ……」
 怪訝そうな表情のミサトさんに、つい口元が笑ってしまう。
「何がおかしいの?」
「僕は……、たぶん狂ってるって思われてしまう気がして」
「なに?」
「変ですよね?、僕はこの街に来て、戦わされて、そしてカヲル君を殺したんです」
「カヲル?」
「ミサトさんが撃たれて、僕は泣きそうになりながらエヴァに乗って、アスカは白いエヴァに殺されて……」
「何を言っているの?」
「未来の話ですよ、僕は一度、経験したから」
 間が空いた。
「……それが、あなたの隠していた事だと言うの?」
「小さな事には違いが出て来ていますけど、大きくは僕の知っている通りです、使徒の順番、人との関係、それに……、トウジがエヴァに乗せられて、それを僕が殺しかけてしまったこと」
「信じろと言うの?」
「ほら、疑ってる」
 ミサトさんは今度こそ黙り込んでしまった。
「……行きます」
「シンジ君……」
 僕は肩越しに答えた。
「大丈夫ですよ、……一時間も経たずに使徒が来ます」
「なんですって!?」
「僕はその時に、戻ります」
 そうだ、戻ってやる。
 少なくとも、父さんの思い通りにはさせない。
 それは僕って人間を壊させないための、叫びだった。


 街に十字型の炎が上がる。
 それも連続で。
「本部へのIDカードはない、パスコードも消されてる……、どうすれば……」
 記憶を呼び起こす。
 シェルターに逃げて、壊れるのを待つしかないのか……
 飛び込んで来る弐号機の首。
 そのすき間から飛び出し、ジオフロント内を逃げ惑う。
 加持さんに会えるのか?
 同じことをして、同じことになるとは限らない、でも……
「行ってみよう……」
 それでも、他の方法は思い付かなかった。


(避難訓練?、あんたばかぁ?)
 待つのは辛い……
 特に記憶が当てになら無いってわかったあの時から……
 でも信じるしか無いのも分かってるんだ。
 なら、どこで折り合いを付ければいいの?
 直後、天井と壁を壊して何かが飛び込んで来た。
 それを見越して部屋の隅に居た僕は卑怯者だ。
 かなりの数の人が弐号機の生首と瓦礫に潰されていた。
 ……これが、僕の選んだやり方なのか。
 膝が震え始めていた。
 僕は結局、自分の周りをどうにかするだけで精一杯なのか?
 それも嘘だった。
 僕がどうにかしたいと想っているのは、結局僕自身についてのことだけだと気がついたから。


「よぉ、シンジ君じゃないか」
「加持さん……、アルバイト、バレたんですか?」
「ああ……、おかげで戦闘配置に俺の居場所は無くなった、で、ここで水を撒いてるってわけだ」
 あの畑、加持さんは達観したように遠くに見える巨大な生き物を見上げた。
「アスカ……」
「ああ、なにやってるんだ?、シンジ君は」
(使徒がここの地下に眠るアダムと接触すれば……)
 僕は拳を握り締める。
 弐号機は……、両腕、首を無くしてかく座している。
 零号機は?
 探してハッとした。
 顔面を自分の槍に貫かれ、そのまま仰向けに倒れる事も出来ず支えられていた。
「綾波……」
 だけどエントリープラグは抜かれていた、脱出したとわかってほっとする。
「加持さん……」
「なんだ?」
「……僕を、初号機のケイジに」
「そうか……」
(君にしかできない、君になら出来る事が……)
「僕にしか、できない事があるから」
(自分で考え、自分で決めろ)
 後悔のないように。
 だから僕は、迷わず加持さんの力を借りた。


『レイ!』
 ミサトさんの焦りが聞こえる。
「もう一度、乗ります」
 あれだけの負け方をしたんだ、体だって!
 加持さんの持っていた無線機は、発令所の声をそのまま流している。
『わたしを拒絶するつもりか……』
 この時には、誰を差してるのか気がつかなかった。
『ダミーを、レイを……』
『受け入れないのか』
 やった!
 一瞬小躍りしそうになった。
 これで僕だけが初号機に乗れる。
 僕だけが出来る、やれるんだ!
「もう一度、乗ります」
 その声を僕は遮った。
「僕が乗ります!」
『シンジ君!?』
『……何故ここに居る』
「僕が初号機のパイロットだからだよ!」
 だけど初号機を見下ろしていた父さんはそれを無視した。
『レイ……』
「はい」
『もう一度だ』
「は……、きゃあ!」
「うわっ!」
 初号機が動いた。
 振り落とされかけた綾波が見える、プラグのハッチに手を掛けて堪えていた。
 拘束具は倒壊し、アンビリカルブリッジは半身を捻った初号機によって派手にひしゃげた。
「母さん……」
 エヴァの背中、エントリープラグが目の前にある。
「僕に乗れって言うんだね?」
 それが意思であるかの様に。
 初号機は静かな姿を見せてくれた。


 綾波が安全な所へ逃げるのを待って、僕は初号機に魂を吹き込む。
 ATフィールドが吹き出していく感覚、いる、あっちだ。
 わずかな抵抗感を感じる、そうだ敵だ、これが敵だ。
 ブリッジを右腕一本で折り飛ばして駆け出す。
 正面に壁があるけど薄いと感じる、それはエヴァとしての感覚じゃないのか?
 少なくとも人間である僕が感じる感覚じゃあない。
 壁を破る、目の前に使徒、その目が光ってる、脅えているみんなが見える。
 感覚が『遅く』なる、神経が冴える、瞬間の判断。
 殴る、蹴る、押し倒し壁をぶち壊して発令所から外へと追い出す。
「だああああああああああ!」
 左腕が吹き飛ばされた、痛みに一瞬正気が戻る。
 ここはどこだ?、どうすればいい?
 不意に視界が広がる、あっちだ!
「ミサトさん!」
 射出場に追いやる。
『五番射出急いで!』
 エレベーターシャフトの内壁に使徒を押し付ける。
 上昇するエレベーターに使徒の仮面は火花を散らして削れていく。
 この時にはもう使徒にやられた腕の痛みは忘れていた。


 はっとする、飛びかけていた心が体に戻ったって感じだった。
 初号機の動きが止まった。
 活動限界?、だってまだ二分も経ってないのに!
 無理な動きで内部電源の消耗が激しかったのかもしれない。
「動け、動け、動いてよ!、今動かなきゃ何にもならないんだ!」
 うぐっ!
 左胸、心臓に痛みが走った。
 自分でも瞳孔が開いたのが分かった、続いて衝撃、胸が焼かれた。
「動け、動け、動け、動け、動け!」
 壁に走るヒビが僕の心を焦らせる。
「今やらなきゃ、みんな死んじゃうんだ!」
 死んでいくネルフの人達、銃で撃たれる人、血を流すミサトさん、首が落ちるカヲル君、ひしゃげたエントリープラグとトウジ、食われた弐号機とアスカ、そして自爆する綾波。
 今と未来の記憶がご茶混ぜになって交錯した。
「そんなのはもう、嫌なんだよ!」
 だから。
「動いてよ!」
 鼓動が聞こえた。


 声が聞こえる。
 悲しませるもの。
 悲しむもの。
 楽しむもの。
 楽しませるもの。
 必要なもの。
 必要で無いもの。
 そして求めるもの……
 そのために必要なものが、あそこにあると教えてくれている。
 行こう、行くんだ、行かなくちゃ……
 歩こうとして腕が足りない事に気がついた、でも焦ることはない。
 ここにあいつからもぎ取った腕がある、これを貰おう。
 使徒と『僕』は同じ体でできているからね?、これぐらいわけないさ。
 脅えているの?、そうだね、君も恐いのか。
 四つ足で迫り、その上に覆い被さる。
 でもだめだよ、暴れないでよ……
 まだ戦おうとするから、その顔を潰した。
 血、血の匂いだ、血の匂いがする……
 欲しい、喉が渇く、肉だ、欲望が押さえ切れない……
 食う、食らう、噛み千切る。
 まだこいつの『ココロの壁』は消えない、僕のお腹も満足しない。
 ココロの壁を、その血を、肉を、『魂』を食らう。
『ココロの壁』が消えて行く、それに比例して僕のお腹が膨れていく。
 消えた、壁が消えた、こいつ死んだ……
 死んだらまずくなった、もういらない。
 体が熱い、燃えるように熱い。
 弾ける、なにかが、体の奥で。
 僕の境がなくなっていく、心が一つに溶け合っていく。
 僕はそこに誰かを見付けた。
 僕はその人に抱きついた。
 僕と何かが、一つになった。



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