「ミサトが泣いてるのよ……」
開口一番それだった。
「あんたバカよって……、加持さんの伝言もまるで遺言みたいだったの……」
僕の小さな部屋が、さらに息苦しく感じてしまう。
「ねぇ、あんたなんでも知ってたんでしょ?」
その通りだ。
「なんで教えてくれなかったのよ、なんで!」
「言ったよっ、加持さんにも、ミサトさんにも!」
「あたしには何で黙ってたのよ!」
それは予想外の叫びだったわけで……
「なんでそうやってあたしだけのけ者にするのよ!、バカ!」
……のけ者、か。
どう答えていいのかが分からなかった。
第弐拾弐話「せめて、人間らしく」
ミサトさんが泣き崩れた時に、僕は何も出来ない子供なんだってわかった。
だから逃げ出した、何も出来ない、どうすることもできなくて、恐かったから。
『聞こえるアスカ?、シンクロ率八も低下よ?、真剣にやってる?』
『やってるわよ!』
アスカのシンクロ率、やっぱり下がりだしたな……
大きな所では変化しない、それが分かってたから、この結果も予測してた。
……そう言う僕って、最低なのかな?
結局、またミサトさんから逃げたんだから。
エヴァンゲリオンケイジ。
「あのアダムより生まれしものエヴァシリーズ、セカンドインパクトを引き起こした原因たるものまで流用しなければ、わたし達は使徒に勝てない……」
「逆に言えば、自分達を殺そうとするものまで利用する」
ミサトさんは半眼を向けて来た。
「やはりわたしは、あなたを、エヴァを憎んでいるのかもしれない」
「それでも僕には、僕には僕の知っていることを教える事しか出来ません」
「わかっているわ……、エヴァ拾参号機までの建造が開始されたわ、あなたの話し通りにね?」
「そうですか……」
いよいよ近いって事か……
僕は拳を握り締める。
「非公式で行う理由については、あなたを信じて策を打つことにするわ」
「お願いします」
「何処に行くの?」
僕は歩き出そうとして困った。
「……さあ?、とりあえず、綾波とでも話して来ます」
「そう……、アスカのこと、よろしくね?」
バレてる、か……
ちょっとだけ分が悪かった。
部屋に戻ると、やっぱりまだアスカは居た。
自分の携帯で誰かと話してる、ドイツ語か……、多分お母さんだ。
電話を切った直後に表情が変わった、きつく、笑みを消して。
「随分長く話してたね?」
「まあね……、いつものコミュニケーションって奴……」
嫌いなのかな?
「いいな、話せる人が居て」
「まあね……、でも表層的な物よ、本当の母親じゃないし」
「知ってる……」
「そうだったわね?、でも嫌いってわけじゃないのよ、ちょっと苦手なだけ、これは?」
「それも聞いたよ」
「誰に?」
「アスカに……」
居たたまれない空気が流れる。
僕はどすっと、アスカの隣に腰を下ろした。
「ねえ」
「なに?」
「あんたが好きにならないって言ってたの、あれ、だからなの?」
はっきりしない物言いだけど、何が言いたいのかぐらいは大体分かるよ。
「なんでよ?」
「一度は一緒に暮らしてたのに、それでもこの程度だからね……、うまく付き合っていけなかったんだ、誰とも」
「だから恐いわけ?」
「うん……」
「……あんたなんかに、心配されるなんてね」
……迷惑、だよね?
それでも他人として遠ざかる事だけは間違いじゃなかったと思ってる。
だからアスカだって、こうして同じ空気を吸ってても、何も言わないでいるんだから。
まだ僕達はこうしていられる、例えそれが、アスカの自棄の結果だとしても……
アスカ……、一人でシンクロテストか。
アスカが転がり込んで来てから、心配で一人にしておけなかったんだよね?
おかげで買い置きのラーメンなんかが底をつきかけてるんだ、今はアスカの分も必要だから。
ラーメン、か……
両手に下げた買い物袋に重さを感じる。
アスカの作ってくれたお弁当が懐かしいや。
「あ、アスカ……」
なんだか怒ってるみたいだ……、また結果が悪かったのかな?
「なにぼけぼけっとやってんのよ?」
「あ、ちょっと考え事」
「はぁ?」
「アスカの作ってくれたお弁当、美味しかったなって……」
「な、なによ、急に……」
なに赤くなってるんだろ?
「あ、綾波」
アスカが来たのと同じ方向から歩いて来た。
「碇君」
はっとしたように……、って、アスカを見てるの?
「いーっだ!」
行っちゃったよ……
やっぱり仲が悪いのか。
「なにかあったの?」
「別に……」
「そう?、頬、腫れてるけど」
「なんでもない、心配しないで」
「……うん」
「……なにが、おかしいの?」
「アスカがこっちを覗いてるからかな?」
肩越しに振り返ると、急いで通路の角に隠れようとする赤い髪が見えた。
また綾波とケンカしたのか……
僕はもう、苦笑してしまう以外のことができなかった。
二人の関係は、はっきり言って想像の枠を越えていたから。
使徒が来た。
『零号機発進、超長距離射撃用意、弐号機、アスカはバックアップとして発進準備』
一応パイロットには戻れた僕だけど、初号機が封印されてたんじゃ意味が無い。
僕にはこのプラグの中をLCLで満たす権利も与えてもらえないのか……
『冗談じゃないわよ!、エヴァ弐号機、発進します!』
『アスカ!』
焦ったアスカが出ていった。
これから起こる事が何か?
それでもアスカは僕を許してくれるんだろうか?
とにかく僕は……
(なによ……、あたしの時は)
僕は拳を握り込んでいた。
『目標、いまだ射程外です』
『きゃああああああああ!』
『敵の指向性兵器なの!?』
『いえ、熱エネルギー反応なし!』
『心理グラフが乱れています、精神汚染が始まります!』
アスカの悲鳴が聞こえる。
落ち着け、落ちつくんだ!
運良くS2機関も手に入ったじゃないか。
頼んでいた物も出来上がっている、後は、使うだけだ。
『精神汚染、Yに突入!』
『嫌ぁあああああああ!、わたしの、わたしの中に入って来ないで!、痛い!』
「初号機を出します!」
『嫌ぁ!、わたしの心を覗かないで、お願いだからこれ以上わたしの心を犯さないで!』
『心理グラフ、限界!』
『待ってシンジ君、アスカ戻って!』
『嫌よ!』
『アスカ命令よ、撤退しなさい!』
『嫌よ、絶対に嫌!』
「ミサトさん弐号機とこっちの通信だけでもやらせてよ!」
『また足手まといになるくらいなら、ここで死んだ方がマシよ!』
『アスカ!』
一方で冷静なカウントがスタートしている。
『加速器、同調スタート』
『電圧、上昇中』
『最終安全装置、解除、全て発射位置!』
『だめです!、この距離でATフィールドを貫くには、まるでエネルギーが足りません!』
『しかし出力は最大です、もうこれ以上は!』
『弐号機心理シグナル微弱!』
「アスカ!」
「わたしってよく泣くわね……、もう泣かないって決めたのに」
僕が、アスカはなにも話してくれなかったからって言ったのを気にしたのか?
彼女はポツリと語ってくれた。
「わたしは早く大人になるの、だからぬいぐるみなんか踏みにじったわ」
そう、そうかもしれない。
アスカならそうすると思う。
「ママは生きてるのに殺されたの」
「どういう、こと?」
「ママはエヴァで実験で精神汚染食らっちゃったのよ……、まだ生きてるのに、生きてたのにお葬式が始まったの、パパは新しいママを連れて来たの」
まるで子供のような舌ったらずな感じの声。
「自分で考え、自分で生きるの……、ママはお人形に「一緒に死んでちょうだい」って言ってたの、アスカちゃんって言ってたの……」
「アスカ……」
「あたしはエヴァのパイロットになったわ、でもママは死んだの、首を吊って、パパもママもいらない、やっと自分で考えて自分で生きていけるようになったのに……、でもだめなの、もうだめなのよ……」
両の拳を膝の上で震わせる。
ふるえる肩がとても小さくて。
「アスカ……」
僕は手を挙げたけど、肩にかけるかどうか迷った。
トン……
先にアスカからもたれかかって来た。
その拍子に手を肩に置いてしまって。
「うっ、うう、う……」
嗚咽を漏らすアスカに、僕は手に力を込めた。
とても離す気にはなれなかったんだ……
アスカはよく泣く、泣くのを護魔化すために怒る。
泣かそうとする全てを遠ざけるために、戦おうとする。
泣かされないために、壊すんだ、泣かされまいとして。
なんて単純なんだろう。
でも僕は、そんな単純な事にも気がつかなかった。
『汚された……、あたしの心が、汚されちゃったよ……、シンジぃ』
その一言で十分だった。
「これ以上は待てません!」
『いかん、目標はパイロットの精神を侵食するタイプだ』
『今、初号機を侵食される危険は避けねばならん』
「やられないために、倒すために僕は初号機に居るんだ!」
『その保証はない』
「ならドグマの下の槍を使うの?、父さん!」
また言葉が途切れた。
「父さん!」
『……そうだ、レイ』
『はい』
『急げ』
『はい』
『しかしアダムとエヴァの接触はサードインパクトを引き起こす可能性が!』
「待てないって言ってるだろう!」
僕は勝手に初期コンタクトをスタートさせた。
内側からATフィールドが膨れ上がる。
胸が熱い、そこに何かが集中する。
『初号機のS2機関、出力増大!』
『しょ、初号機のATフィールドが!』
「うわああああああああああああ!」
熱い。
声が迸る、でもそれとは逆に心がたった一つにまとまっていく。
僕は自力で拘束具を除去した。
ボルトが飛び、ケーブルが弾け、火花が飛んだ。
僕は初号機を歩かせた。
『シンジ君!』
「弐号機のモニター映像を回して、早く!」
『マヤ!』
画面隅に弐号機から見た視界が映る。
真っ黒な世界に、なにかおぞましい物が浮かび上がる。
『なにこれ?、どうなってるの!?』
『わかりません!』
『アスカが、心を閉ざしたというの?』
何かが映っていた、それはまるで……
そうだ、暗闇から這い出して来る……、母親の、顔?
『シンジ君、エレベーターシャフトの方にライフルは用意してあるわ』
「ありがとうございます、リツコさん!」
それをつかみ、僕はエレベーターに乗った。
(よかったね、アスカ)
(ちっともよくない!)
そうだ、そうだよ……
(なによ、あたしの時は出さなかったくせに……)
そうだ、アスカは待っててくれたんだ。
だから行く、今度は行く。
もう誰にも頼らない、自分で考えて、自分で決めるんだ。
じゃまだってもう、させるもんか。
『初号機、地上に出ます!』
『零号機、投擲、三度目に入ります!』
くり返し槍を投げる零号機が見える。
「零号機の照準にこっちもリンクさせて!」
『マヤ代わって!』
『はい!』
「このぉ!」
零号機より一瞬早く銃を構え、引き金を引く。
リツコさんのサポートが間に合った、零号機のデータを貰って狙いを定めた。
背中のコンセントからズルリと魂が抜き取られる様な感触を味わった。
そのエネルギーが、銃身からたった一度だけ迸る。
だけどそれでも、距離が遠過ぎて使徒のATフィールドをたわませるのが精一杯だった。
『だめか!』
ミサトさんの絶望的な声。
『零号機の槍が!』
さらに突き立った。
ATフィールドが破れた、槍は使徒の身を貫いて、さらに遠くへと飛んでいった。
『やった!』
散るように消えて行く使徒。
「アスカ!」
僕は銃を放り出すと、慌てて弐号機の体を支えに走った。
回収されていく弐号機。
ビルの屋上、あの時もこうだった。
こうやって、立ち入り禁止のテープを越えられなかったんだ。
これがアスカの心の壁だって、そんな風に思えて。
バカだったんだ!、それで良かったんだよ、これがアスカの心の壁だったんだ。
「こっちに来ないで!」
「なんでさ……」
僕はそのテープを越える。
「来ないでよ……」
僕はこうしたくて、帰って来たんだ。
「よりにもよって、あんな女に助けられるなんて、また助けられるなんて!」
「……いけないの?」
「嫌い嫌い、みんな嫌い!」
「……でも僕はアスカに好きって言った」
膝を抱えていたアスカが震えた。
「その時の気持ちは本当だから……」
だからアスカ、頑張ってね。
僕は背中を合わせてしゃがみ込んだ。
欲しいのはこの温もりなんだと、なんとなくそう思えたから。
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